息子の巣立ちの日に
今から12年前、長男が大学進学のため関東で初めての一人暮らしを始めることになった。
奇しくも当時は東日本大震災という未曾有の大災害があった直後。
引っ越しや家電など生活用品の調達も物流の混乱による影響から普段どおりには行かなかった。
ただでさえ不馴れな一人暮らしなのに、計画停電の対象地域に当たっていて、電気のない不便な生活を送らなければならない。
実際に大きな被害に遭われた方がいるなかで不謹慎だけど、私の初めての子供を初めて送り出すのが、何もこんな時でなくても、と思って不運を悔やんだ。
3月下旬、長男含め家族総出で新幹線に乗り、5時間近くかけて一人暮らしのために借りたアパートへ引っ越し作業に赴いた。
長男は片道切符だ。
まずは掃除。そして時間指定で順番に配達されてくる家電、家具などの受け取り、組立て設置。慌ただしく時間は過ぎていった。
夜はみんなで日高屋で夕飯を食べた。我が家の方には無い店だ。食べ盛りの三人息子。連日の引っ越しで疲れていたが、お互い好きなものを好きなだけ食べながら会話も弾んだ。知らない町だけどみんなでいれば不安もないしこんなに楽しい。
ふと、こうやって家族5人、旅先で食事するのももしかしたら最後かもしれないと思った。
ホテルに2泊して取り組んだ引っ越しも最終日となった。
その日は早朝からホテルを引き揚げアパートに向かった。
家族5人で残りの作業と、日用品、食料の買い物など出来るだけのことは済ませ、なるべく長男が当面困らないように、寂しくないようにと万全に近い形で一人暮らしをスタートさせてやろうと皆一生懸命やった。
幼い弟たちもお兄ちゃんの門出に水を差してはいけないと、なるべく明るくはしゃいだ様子を見せていた。
部屋が整うにつれ別れが近くなってくる。
こんな状況下に長男ひとり置いて帰るのが不憫でならない。でも、私がここで絶対に泣くわけにはいかないのだ。これから始まる知らない土地での初めての一人暮らし。そして初めての大学生活。長男の方が不安いっぱいで寂しいに違いないんだから。
この頃のテレビはAC(公共広告機構)のCMが繰り返し流れていたのを記憶している。あの女性のコーラスの甲高い「エ~シ~」の裏声が不安をより一層引き立てて耳障りだったのを思い出す。アパートに設置したテレビからもひっきりなしにこのCMが流れていた。
そんななか、部屋をノックして狭い脱靴スペースに入ってくる人がいた。
このアパートの大家さんだ。
アパートの敷地内の戸建てに単身で住んでいる。70代後半くらいか。小柄で白髪のパーマで何とも人懐こい笑みを浮かべて立っていた。
「お引っ越しおめでとうございます。」
そう言って手に持っていた風呂敷包みを差し出した。
「引っ越し祝いなんだけど。お口に合うかしらねぇ。皆さんで食べてくださいね。」
長男が入学を決めた大学は実は第一志望ではなかった。いわゆる滑り止めだったのだが、この大家さんはもし第一志望校に受からなかったらうちに決めたらいい、と手付金もなしに部屋を押さえてくれた。そんな大家さんの人間味のあるところが部屋を選んだ決め手になった。
風呂敷包みを開けると、そこには二段重ねの大きな重箱と取り皿、お箸がそれぞれ5つ。
重箱の蓋を開けると、つやつやなお赤飯がぎっしりと詰められていた。
「わぁ!すごーい!!」
皆思わず歓声を上げた。
ちょうど一段落ついたところだったので、取り皿でみんなに取り分けて、まだ少し温かい赤飯をいただいた。
長男との別れが寂しくて悲しくて辛くてこれっぽっちも思ってなかった。引っ越しが「めでたい」なんて。
よく考えたら新しい門出、初めての一人暮らし、第一志望ではないにせよ、ちゃんと進路も新居も決まったのよ、そうだわ、本来ならこれはおめでたいことなんだわ!
赤飯をいただきながら何だかギューっと締め付けられていた心がほどける感じがした。
昔からお祝い事には赤飯を食べるという、私たちの世代では日常になかった日本の文化に触れたせいでじんわりとそんな気持ちになってきたのかもしれない。
一人暮らしがスタートし、しばらくはお互いのパソコンでSkypeを介して息子の日々の様子を画像付きで聞いた。小さいパソコン画面の中の長男は、うちで一緒に生活していたときよりはるかに饒舌だった。今思えば、心配性な母親への気遣いだったのかも。
大学が始まるまでの数日間は、大家のおばあちゃんの案内で、近所を散歩したそうだ。ちっちゃいおばあちゃんが大きな若者を従えて歩く様子が目に浮かんでクスッとなった。それと同時に、本当に嬉しくて安心して大家さんに感謝した。遠い地で一人で大丈夫だろうか、困り事はないだろうか、と常に気がかりだったので、身近で息子を気にかけてくれる人がいることはすごく心強かった。
震災直後で入学式はなく、なしくずし的に始まった大学生活の4年間。
大家さんの意向で家賃は必ず家賃帳と現金を持って毎月大家さん宅に支払いに行くシステムだったらしい。今時振込みでないのは珍しいが、毎月一度は住人の顔を見たいという大家さんの考えのようだった。
大家さんは毎月1日の狂いもなく家賃支払日に訪れる長男のために、自宅玄関にトイレットペーパーやカップ麺など生活必需品を用意して待ち構えてくれていたとのこと。
たまに息子が支払った家賃から数千円キャッシュバックしてくれることもあったとか。
あれから12年。
大家さんはどうしているだろう。
息子の大学進学で縁が出来た町であるが、息子が引き揚げた今、もう行く理由もないしたぶん一生行くことは無い気がする。
それでも、あのときの気持ちとか、状況とか、赤飯を食べたこととか、今も割とハッキリ覚えている。
私は、あの前もあれから後も、変わらず人の言動に心痛めることが多くて、人との関わりはいまだに苦手だし、人間不信で人間嫌いだけど、あの大家さんにはもう一度会いたいと思える。そんな人が私に何人いるだろうか。かなり希少な人であることは間違いない。