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『宮本、独歩。』は、どこまでも宮本浩次だった。 ー 引きずり回して独り歩いてゆく、という決意を目の当たりにした1枚。ー

※2020年6月15日ロッキングオン「音楽文」に掲載していただいたものです。「音楽文」終了に伴い、こちらへアップいたしました。


ロックと歌謡曲とパンクとヒップホップとダンスミュージックとジャズとスカ。
これらの種類の音楽が1枚のアルバムに収められているのだ。たった12曲の中に。混沌としているのか。確かにそうかもしれない。しかしそれすらもねじ伏せてしまうだけの圧倒的な力がこのアルバムにはある。
ラストの『昇る太陽』を聴き終えた時、結局のところ宮本さんは宮本さん以外の何者でもない。という当たり前の事実を突きつけられたのだった。ソロをやっても有名アーティストたちとコラボレーションをしても、華々しいタイアップに恵まれていても。いくらかの焦燥感を漂わせて終わるこのアルバムは、あまりにも宮本さんらしかった。眩しすぎる一連のソロ活動を直視できないこともあったわたしには、予想外であり嬉しい余韻でもあった。それは決してネガティブなものではなく、とはいえ現状維持かというとそういう訳でももちろんなく、宮本浩次という本質を抱えながら新しい世界へ飛び込んでいるということ、エレファントカシマシでの40年近い年月をもひっくるめて胸に抱きつつ、ひとり真っ向勝負を挑んでいるということに感じられたのだ。

『ハレルヤ』『夜明けのうた』では、自らの道を確信したかのような迷いの無い歌声。
『昇る太陽』では、呆然と立ち尽くすやり場のない叫びにも似た歌声。実はそこに宮本さんの見据える先をみたような気がして、わたしはシングルリリース時とは異なった昂ぶりを覚えた。何故だか胸もきゅうっと締め付けらせた。この曲を華々しい個性の塊であるアルバムのラストに据えた宮本さんの想いにも。
『ハレルヤ』で
  そんな俺にもう一丁祝福あれ ハレルヤ
と自らを激励した。
『昇る太陽』では
  昇る太陽 俺を照らせ 輝く明日へ 俺を導いてくれ
と願った。
祝福を全身で受け止めつつも、拭いきれない満たされない思いを引きずり回しながら前を向く。もう宮本さんらしさしかないのである。

『宮本、独歩。』は小林武史さんがプロデュースを手掛けた『ハレルヤ』から始まり『冬の花』『夜明けのうた』と続く。
昨年、ソロデビュー曲『冬の花』を初めて聴いた時「これは確かにエレファントカシマシではない」と思った。だからソロなのか、と何となく納得したような気分になった。なんせ演歌のような歌謡曲だ。とは言え、もし宮本さんが「エレカシでやる。」と言ったら、恐らくやっただろう、とも実は内心では思ったりしていたのである。しかし宮本さんはやらなかったわけだ。エレカシであれば『冬の花』はこうはならなかっただろうし、それは宮本さんも、それこそエレカシメンバーも思うところではなかったのかもしれない。
40年近くエレカシであり続けている宮本さんは、常にバンドが鳴らす音を意識して曲を作ってきたことだろう。
小林さんは『冬の花』をバンド云々以前のひとつの音楽として扱ったかのように思えたし、宮本さんはこの曲を通じてバンドという枠からの解放を遂げたように感じられた。

それまで発表されてきたソロ曲のどれよりも衝撃を受けたのは、横山健さんを迎えて制作された『Do you remember?』だった。昨年のロックインジャパンフェスで初披露されたこの曲は、言ってしまえばエレカシの面影を全く感じなかった。
「シンプルで必然性のあるコード進行で、童謡のようなメロディをあえてロックンロールのサウンドに乗せていく。」
宮本さんはパンクについてそう語った。音楽知識に乏しいわたしにとって、この明快な説明は大変理解しやすいものだった。ロッキンで『Do you remember?』を聴いた時に感じたことを、そのまま言語化してくれたようにすら思えた。
「エレファントカシマシでやるべきではないと感じて、すべて封印してた。」
とも言っていた。
『Do you remember?』でとても印象的な歌詞がある。
  もはやどうでもいいや 俺の全てでこの世を愛してゆこう
絶対的な愛しかないのである。自らの愛だけで良しとする潔さ。もはやどうでも良いのだ。目を逸らすとか逸らさないとか、かくあらねばならぬという呪いの様な呪縛とか。
宮本さんは敢えて目を逸らし続けていたパンクへの封印を解いた時、考えうる最高の布陣で挑んでみたかったのではないだろうか。横山健さんのギターとJun GrayさんのベースとJah-Rahさんのドラム。そこに宮本さんの歌が乗る。それぞれの道で生きてきた男たちが鳴らす衝動的でどこかノスタルジックな音の競演。現役のバンドマンだからこそ響かせることのできる生命力溢れる力強さと瑞々しさ。

『宮本、独歩。』の中でも何故だかひどく惹きつけられ、なんならこのアルバムの要のようにすら感じている曲がある。『昇る太陽』『Fight! Fight! Fight!』『旅に出ようぜbaby』だ。3曲ともノンタイアップで、『Fight! Fight! Fight!』はエレカシでもお馴染みの村山☆潤さんが、『昇る太陽』と『旅に出ようぜbaby』は宮本さん自身がプロデュースした曲である。
『Fight! Fight! Fight!』と『旅に出ようぜbaby』は、ひとことで言うと明るくて楽しい曲だ。
エレファントカシマシをわたしは「重い」バンドだと思っている。音楽への姿勢も、奏でる音も、佇まいも。それはわたしにとってエレカシに惹かれる理由のひとつだ。
だからこそこの2曲のストレートな歌詞と軽やかで明るいメロディは新鮮だった。宮本さんはこれまでも聴く人を鼓舞するような曲を沢山歌ってきたけれど、それとも少し様子が違うのだ。 
  I love you I need you どんな時でも
  I love you I need you 愛してるぜgo!
  『Fight! Fight! Fight!』
このストレートすぎる歌詞を宮本さんが歌っているというだけで、ちょっとした事件である。いや、ちょっとどころか個人的には激震が走った。それくらい意外だった。宮本さんの歌には恋愛要素を感じることはあまりないのだけれど、この歌詞にも面白いくらい微塵も感じない。男と女という概念を超えた、聴くものひとりひとりへ向けた賛歌のようだ。『Do you remember?』と全く同じだ。そこには絶対的な愛しかない。わたしたちは宮本さんからの「愛」をただ受け取れば良い。同じく愛をもって返すのか、返さないのかは各人の自由である。宮本さんが「愛してるぜ」と歌っている。それが全てだ。
  この世界の中に 君に見せたいものがあるのさ
  心には花束 唇には歌を 飛び出そう 町へ行こう
  きみを誘っていこう 僕らの新しい旅に出ようぜbaby
  『旅に出ようぜbaby』
予想の遥か斜め上を突っ走る明朗な歌詞が弾き飛びそうなくらい軽やかなメロディに乗っているし、おおよそ宮本さんの曲とは思えない爽やかで明るすぎるギターソロが響き渡るし、もう全力で振り切っている。
世界的に終わりの見えない閉塞感が漂う中、恐怖を感じながらも電車に乗って仕事へ向かう時、イヤフォンからこの歌が流れる度にこみ上げる涙を堪えた。宮本さんのあたたかくて力強い歌声が耳に届いた時、それはわたしの希望となった。どれだけ安心したことか。どれだけ心強くなったことか。大変な時だけれど、そんな時でも電車に乗って仕事へ向かわなければならない日々だけれど、わたしは案外幸せだ。そこそこ混んでいる電車の中で、何の疑いもなく素直にそう思った。
この安心感と幸福感には覚えがある。
昨年、宮本さんのお誕生日にリキッドルームで開催された「ソロ初ライヴ!宮本、弾き語り」だ。あの日、わたしは宮本さんが紡ぐ歌とギターにすっかり包まれながら、エレカシとは違う何かを感じていた。
「歌詞はもう全体にね、もっともっと単純化していくといいなと思っているんですけど。内面的なものじゃないものに。それこそ隅田川のキラキラじゃないものっていうのはすごく心がけているんですよ。」
インタビューでの宮本さんの言葉が過った。
そうだ。わたしはこの明快でややこしくないシンプルな歌詞に、宮本さんの日常の延長線上を感じたのだ。この人も市井の人なのだ。聴くだけで、すとんと胸におちる。思考する必要はない。柔らかで優しい言葉の羅列が、聴くものを選ばず、広く受け入れ、回り道をせず直接こころに届く。それが結果として遠くはない、と思えた。エレカシに感じていた「重み」とは決定的に異なるものだ。
「レッド・ツェッペリンのサウンドに太宰治の歌詞をのせたかった」
かつてエレカシの曲について宮本さんはそう語っていたと聞いたことがある。
確かにエレカシの歌詞は、特に初期のものは文学の香りが漂う難解な歌詞がしばしば登場する。リキッドルームでのライヴはエレカシ初期の歌が多かったにもかかわらず、それすらも易々と包容していた。ソロ名義で、たったひとりきりで初めてライヴをするということに、宮本さんだけでなく観客であるわたしたちも緊張していた。あの日、わたしたちは「喜び」と「緊張」を共有していた。その共有が「共感」となったのだろうか。ステージでひとり弾き語るのはわたしたちと何ら変わりがない、今この日本で生きるひとりの男なのだ、ということを肌で感じた。そんなわたしたちの想いを宮本さんも受け入れ、時に気遣い、時に手を差し伸べ寄り添ってくれたような、そんな穏やかで寛いだ空間だったのだ。少なくとも、わたしにとってはそんな時間だった。
これがエレファントカシマシと宮本浩次の違いなのだろうか。
宮本さんはソロを語る時、大前提としてエレファントカシマシとしての40年近い歴史について必ず触れる。
「一心同体過ぎて良いも悪いも分からなかった。今ようやく客観視することができるようになった。」
いつかのラジオでの言葉だ。
40年近い音楽活動を、すなわちエレファントカシマシを俯瞰し、これまでさんざん自らに課していた事を少しばかり違った方向へ舵を切ってみる。良い加減とも少し違う。宮本さんはよく「軽み」という言葉を使うけれど、力を尽くし徹底的に「軽み」を目指しているかのような、そんな印象だ。全力で軽みを目指す。なんとも宮本さんらしい。
だからこそアルバムのラストを飾る『昇る太陽』の異質さが際立つのだ。苦悩すら滲み、そこはかとなくエレファントカシマシが過るこの曲が。
『昇る太陽』と『Fight! Fight! Fight!』『旅に出ようぜbaby』は、まるで対極みたいだが、どちらも確かに宮本さんなのだ。
陰と陽。月と太陽。エレファントカシマシと宮本浩次。夜が明けると朝がやって来るように、どちらも必然で当たり前に存在するもの。

椎名林檎さんや東京スカパラダイスオーケストラとのコラボレーション、高橋一生さんへの楽曲提供、数多くのタイアップからはエレファントカシマシへの敬愛と肯定を感じた。
制作方法もジャンルもそれこそ楽器を鳴らしている人間も、曲ごとに異なる。「独歩」と言うにはいささか賑やかすぎるが、それはつまり「ひとりきり」と言うわけではなく「エレカシからの独歩」と言った風情なのかもしれない。
「エレファントカシマシのことを思って憂鬱になっちゃったりしてる」
と言ってしまうくらい、宮本さんはいつだってエレカシでいっぱいの人なのだ。だから何が何でも「宮本、独歩。」を成功させると断言する。そんな宮本さんの姿は、やっぱりわたしが惹かれるエレカシの「重み」と同じものを感じさせてくれる。

2019年、宮本浩次のソロワークがスタートし、楽曲がリリースされるたびに心のどこかで引っ掛かりのようなものを感じていた。正直エレカシとソロの線引きが分からなかった。2020年3月4日ソロファーストアルバム『宮本、独歩。』が発売され、現時点でのソロ活動の全てを目の当たりにし、ようやくわたしなりに腑に落ちたような気がした。『宮本、独歩。』は、宮本さんそのものだった。宮本さんでしかなかったのである。リキッドルームで寄り添ってくれた宮本さんも、エレカシで包み隠さない重さをぶつけてくる宮本さんも、ここには全部あった。更に言ってしまえば、歌謡曲やパンクという今まで手を付けてこなかったジャンルに、ソロとして、最高のパートナーを得て挑んだということに、宮本さんのエレファントカシマシへの侵しがたい究極の理想像を垣間見た気がして、勝手に嬉しくなってしまう始末なのだ。

そういったわけで『宮本、独歩。』はわたしの宝物のひとつに加わった。晴れやかな気持ちで宮本さんの歌をコンサートで浴びることができるその日まで、『宮本、独歩。』を味わい尽くしてみよう。必ずコンサートで落ち合う日はやって来るのだ。その点において、わたしは宮本さんに絶大なる信頼を寄せている。やっぱりわたしは案外幸せだ。いや、とびきり幸せだ。そんなことを思っていたら、頭の中で宮本さんの澄み切った歌声が響いたのだった。

  会いにゆこう 未来のわたしに
  会いに行こう わたしの好きな人に
  会いにゆこう あたらしい世界に
  『夜明けのうた』

※文章内の発言は
音楽と人 2019年12月号
ロッキング・オン・ジャパン 2020年3月号
ロッキング・オン・ジャパン 2020年4月号
より引用



https://ongakubun.com/posts/5827

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