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コーポ・ア・コーポの沼

岩浪れんじのバルバロ!がめちゃくちゃ面白いから、もっと読みたくて、コーポ・ア・コーポを久し振りに読み返した。

やはりこの漫画はいつどこで読んでも一瞬で引き摺り込まれる。あの季節と時代と、たしかにあっただろう生々しい日常にどっぷり浸かる。


沼ってオタク用語だけど、その意味ではなく、本当に沼にゆっくりずぶずぶ沈んでくみたいに、漫画に描かれた中に没頭させられる、という意味で使ってます。

2000年ひと桁台の、ガラケーが幅を利かせてたあの頃の、大阪とか関西とかのぎゅっと限定された狭い地域の、ボロいアパートに住んだり住まなかったりする人たちの話。です。

雰囲気に圧倒されて雰囲気読みしがちだけど、じつはすごく情報量が多い。丁寧に描かれたキャラ絵とコマとセリフや背景などは、何度か読み返して、その度新しい発見がある。
初回で読み飛ばしてたところをじっくり読み込んで、文字通り線と線、点と点が繋がって、何が描かれてたのか、こういうことか!とわかったりする。説明があるわけじゃない絵と表情と行間を注意深く拾っていって繋げて、理解できたとき衝撃が襲う。

大阪や関西圏には縁もゆかりも無いのに、ふとした時に知らないはずのリアリティが自分の記憶みたいに蘇る、その感覚もおもしろい。若い読者はどうなんだろう。2001〜7年あたりと思われる、あの時代にある程度の年齢で、大人として生きてきたからこそのリアリティかもしれない。

この漫画、初期の頃は「愛すべき底辺」とか言うキャッチコピーを見た気がしたけど、映画化がきまった後あたりから見なくなった。底辺というのがまずかったのかな。しかしアレは、あそこに描かれてる人たちは底辺なんだろうか。

自分基準で見るけど、この漫画には今の自分の歳(四十路)で自分と同じような立場の人は出てこない。
でも中学や高校卒業すぐ〜20代前半だったとき、漫画に描かれるキャラたちは確かに私のまわりにいた。
母子家庭、シンママ、キャバ嬢、居酒屋バイトのフリーター、居酒屋の厨房にいて子供育ててる人、日雇い労働者、それをまとめる店長、深夜帯のお弁当屋のバイト、昼職と掛け持ちする風俗嬢。
さすがにヤクザとか前科持ちとかはリアルでの知り合いはいなかったけど、でもそれ以外は特に底辺だとは思えない。なんか別に普通の人たちばっか。

見なくなったキャッチコピー「底辺」とは、人じゃなくて場所のことを言ってるのかも。
作中で語られる、コーポの「あの辺り」は「道が汚」く「路地」は「空気が濁」り「もっと小マシなところ」があると思われてる、そんな場所。あとコーポの場所か分かんないけど、「ほんとに治安悪いの?」「一回そういうとこで呑んでみたい」と、住人からするととんでもない言われような「◯◯らへん」という地域も登場した。うん、なんか言い訳できようのない差別用語ですよね。

底辺かどうかは別として、この漫画の人たちの共通点って、老人も若者も男も女も皆、今かろうじて立ってる場所のほかに行き場が無い人たちに見える。各々のキャラごとに描かれてるその悲壮感が半端ない。(唯一例外は就職の決まってる高橋ちゃん。)
登場人物たちが、どうしようもない力でその場に杭打ちされてることを自覚する瞬間の重たさがやばい。
でもこの漫画が沼なところは、描かれる多くの描写は普段の生活の話で、そんなことはとっくにわかってて呑み込んで見ないふりしたまま淡々と進む生活を描いているところ。

バルバロ!はコーポ・ア・コーポに比べるとポップで今のところ全然暗くない、笑える。早く単行本で一気読みしたいよ〜


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