まず私は現在介護の仕事をしております。かれこれ20年はこの介護業界に携わっています。今年に入りとあることがきっかけで無学、無理解ながら哲学に関心を持ち様々な哲学書を読み漁っている毎日です。 (注)以下、私の認識で書き綴る内容です。哲学の理解含め誤認があることを前提でお読みください。 人が介護を要する理由は様々あれど、高齢者においては一般的に認知症を要因とするイメージが多くもたれているのではないかと思います。この病気はかつては「痴呆症」と呼ばれていました。この認知症とは
今日は休みである。妻子は社会に出ているが私は変則勤務なのでゆっくりと体を休めている。 しかし、そんな平和な日々を脅かす戦いが始まろうとしている。我が愛する家族は皆アイスが好きなのである。それもガリガリくん中毒なのだ。夏はガリガリ家となることは我が家の小さな幸せである。今もガリガリくんをガリガリしながら映画を見るという嗜好の時を満喫しているのだ。 だが、毎年、毎年奴らは食べ終わってゴミ箱で役目を果たした墓標のような神聖なガリ棒(ガリガリくんの棒)を目掛けて宣戦布告をしかけて
もう、40歳が目前に迫ってきた。学生の頃は40代と言えばベストオブおっさんというイメージだった。おじさんではなくおっさん、もはやお兄さんと呼ばれることはなく、そう「おっさん」である。この「おっさん」と「おじさん」を兼ねる「おっつあん」という呼称があるがこのことを語ると脱線するので今は捨て置く。 論語ではないが若い頃は「おっさんにして迷わず」という認識を持つほど初老においては人間形成も社会的立場も確立し、苦労は増えるが確固たる人生を送っているものだと思っていた。 しかし、不