人生をやり直せるなら、高校1年のあの瞬間に時を戻したい
人生をやり直せるならあそこに戻りたいって思うこと、わたしにはよくある。もちろん巻き戻せないことはわかっている。
でも、ふとしたタイミングで思い出して、別な選択をしたら・・・と繰り返し想像してしまう。あそこはたくさんあるわけではない。ただひとつ。あのとき。
それは高校1年生の文理選択のタイミング。
わたしは秋田出身。秋田県内で進学校と言われるところに通っていた。16歳にして、人生で初めての岐路に立っていた。
16歳が、大学で何を学びたいかを考え、そのために文系と理系どちらに進むかを決めなければいけないのだ。そりゃもう、当時のわたしからしたら大きすぎる決断。そんなの決められるわけないじゃんと若干泣きべそ状態。
なんでかっていうと、実はわたし、そのときすでに小さな頃から長年抱いていたピアノの先生になりたいという夢が砕け散ったあとだったから。
だから、なんにも将来の夢なんて思い描けないから、文系と理系どちらがいいのかわからんわけです。で、どうやって決めたかと言うと、
だって、新たに友達作るのめんどくさいじゃん。そこにエネルギー割きたくないよ。
理系に行けば、先生にたっぷり数学教えてもらえるじゃん。それってバラ色すぎるでないの。
はい、こんな安易な決め方でした。まさかこんな決め方をしたせいで、38歳になった今も引きずって後悔することになろうとは、当時の高校生のわたしは想像できるわけもなく。
さて、なんでこんなに引きずってしまっているか。
それは大学を中退したから。
理学部数学科へ進み、学ぶ内容についていけなくなって中退してから17年ほど経ちますが、学歴コンプレックスを抱くようになったのはここから。
今でもわたしは「逃げてしまった」という後悔と「いざという時にまた逃げてしまうのではないか」という自分への疑いで、心の中がじゅくじゅくしている。
そして、中退は家族にとっても大きな出来事でした。祖母も母も、恥ずかしいから誰にも言ってはいけないと、父や叔父など身内にすら隠すように言ってきました。そこでハッとした。これは「恥ずかしい」ことなんだと。
家族にとってはきっと、わたしの明るい未来はここで閉ざされたようなものだったのかもしれません。その価値観の中では、明るい未来っていうのは、いい大学を卒業して、いい会社に就職して、ずっと働き続けて生活を安泰させること。
これまでのわたしは、家族が(特に祖母が)喜んでくれる道を進むことが自分の喜びだと思っていたので、それはそれはショックでした。
こうして、わたしの中には後悔と自分への疑いだけでなく、恥ずべきことという思い込みが追い打ちをかけてくることになった。
そして、考えることはいつも一緒。
あのとき、理系を選択したわたしに「なんで理系を選択したの?本当にそれでいいの?納得してる?人生は意志さえあれば、いつからでも方向転換できるけど、今その判断に満足している?」ってしつこいくらいに問いかけてくれる存在がいたら、もしかしたら今、全然違う道を歩んでいたかもしれない。先生たちの中には、そんなことを相談できる人も向き合ってくれる人もいなかった。みんな偏差値がどうだこうだ、でしか見てくれなかった。
だけど時が経ち、コーチングを学ぶようになってからはこんなふうに考えられるようになった。
ようやくだ、「文理選択の後悔」「大学中退による学歴コンプレックス」「恥ずかしい人生というレッテル」を活かそうと思えるようになったのは。
正直、中退したことをこうして公にすることに、もう全く抵抗がないと言えばうそになる。でも、それ以上にわたしと同じようなことで悩む学生がいたら、力になりたいという思いの方が大きくなっている。
思いは確かなのだが、思いばっかり大きくなって、実は、全くそこに行き着く方法が分かっていない。
だから、ここに書いて宣言することで、道を切り拓いていけたらいいなという思いで書いている。トントン!なんて遠慮がちにではなく、ドンドン!と扉をこじ開けたい気持ちで書いているから、今わたしの心にある思いの種となった中退については書かないと始まらない。でないと、わたしらしくない。
「かなえの闇へようこそ」
今日はこんな感じで、わたしの闇をちょっくら打ち明けてみた。ようこそされても困るかもしれない。でも、未来のわたしにちゃんと胸を張りたいから、ようこそしてみた。ようこその先の未来はきっと明るいはずだ。そう信じたい。