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ほめてはいけない  どうしてよっ?!

『嫌われる勇気』の読書会、今回もたくさんの意見や疑問があがりましたが、その中でも気になった「ほめてはいけない」ということについて書きたいと思います。

ほめる、ほめられるとは

「子どもはほめて育てよ」「部下はほめて育てよ」こういう信仰はかなり根強く残っていますね。実際、ほめるの何が悪いのさ?ってこの部分を読むと感じてしまいますよね。

無論、体罰はもってのほかですし、叱ることも認めません。ほめてはいけないし、叱ってもいけない。それがアドラー心理学の立場です。(P.197)

私たち日本人の多くは小さい頃から親や先生などから「ほめられたり」「叱られたり」を繰り返してきていますので、意識の中では「ほめられれば良し」「叱られたら悪し」という固定観念が出来上がっています。だから、いきなりこんなことを言われると戸惑ってしまいますよね。

では、ほめるの何がダメなのか?

ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。(中略)人が他者をほめるとき、その目的は「自分よりも能力の劣る相手を操作すること」なのです。そこには感謝も尊敬も存在しません。(P.197-198)

そう、ダメなのはこの「操作」を意図して相手をほめるというやり方なんです。上の人の意向に沿えば高評価され、沿わなければ低評価されるという、まさに「飴と鞭」の関わり方を否定しています。

これはなぜかというと、アドラー心理学では「縦の人間関係」、つまり支配と依存という関係を作ることを「好ましくない」と考えているのです。たとえ親子、師弟、上司部下の関係だろうと、それは年齢や役割の単なる「ちがい」でしかなく、能力の優劣は存在しない。人はすべて対等であり、ちがいを認めて尊重しあう関係性をつくることが大切だと考えているからです。

ほめられようとばかりしてしまうと、その人は常に他者の顔色を気にします。自分の本当に望むことや意思を曲げても、他者のおめがねにかなうこと、高い評価をもらえることを目的に走り続けてしまうかもしれません。それは依存的で不自由な生き方です。そのような生き方に導いてしまう危険な「ほめる」という行為を問題視しているのです。


ではどうすれば?

ほめてはいけない、ではその代わりに何をすればいいの?戸惑いの声が聞こえてきそうです。それに対する答えはこうです。

いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。もしも横の関係を築けているのなら、もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくるでしょう。(P.204)

横の対等な関係性から、率直な想いをそのまま伝えること、これが「ほめる」に代わる「勇気づけ」という関わり方であり、こちらをアドラー心理学ではすすめています。

たとえば子どもがテストで100点をとってきたときに「すごい!偉い!賢い!」とほめる。親が発した言葉の裏から「100点取れる子はすごくて、偉くて、賢い」だからあなたはこうなりなさい、という無言の操作が子どもに伝わってしまう。だから子どもは100点の自分でいなければ親の期待にそえなくなるかもしれないと思い込む危険性がある。

これを「たくさん努力してたもんね」「がんばってきたことが形になって嬉しいね」「感動をありがとう、お母さんもお仕事がんばろうと思ったよ」と言われたらどうでしょう?子どものプロセスを見守ってきた親として、子どもの努力を認める、一緒に喜ぶ、その喜びを与えてくれたことに感謝する、この「共に」という目線、つまり共感の姿勢で関われば、子どもは評価におびえることなく、自分なりの努力のプロセスを歩んでいくことができるのではないでしょうか?

それでも何か引っかかる

はい、そうなんです。そうですよね。そうはいっても私たちは思わずほめてしまうことがあるもの。美しい花嫁さんを街でみたら「きれい」、オリンピックですごいジャンプを見たら「すごい」と思わず言う。こんなほめ方もダメなんですか?アドラー心理学は?と詰め寄られたら困ります。

結論から申し上げますと、これは自然であたりまえの心の動きです。これをダメと言われる筋合いはありません。ダメなのは、ほめるの先にある意図が操作的かどうか、支配的であるかどうか、これで判断してくださいね。

そして中には「私は親にほめられたことがない」「ずっと親にほめてほしかった」「ほめられなかった自分はダメな子かも」という心の痛みを抱えているケースもあると思います。気持ちはとてもよくわかります。

幼少期は、たとえどんなものであれ、親に無関心でいられるよりは関心を向けられたいと皆が願うものです。心理学で「ほめるはダメ」なんて決められてたとしても、子どもには関係ない話かもしれません。

それでも、たとえほめられずに生きてきた自分でも、そんな自分を勇気づけることは今からすぐにでもできるんです。評価されなかったとしても、いい子と言われなかったとしても、それでも今大人になって一人前に生きている自分を、自分で認めてあげてください。

他者の評価は生きていく上で、絶対的に必要な条件なんかじゃありません。自分の価値は自分で認めていいのです。他者の基準に合わせなくていいのです。自立して、社会の中で自分の価値を発揮していけばいいのです。

自分を認める、勇気づけはそこから始まります。

参考文献:『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健 著 ダイヤモンド社



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