アドラー心理学では、過去は存在しないのか? ~読書会リポート~
勇気のアクセラレーター金井津美です。
昨年開催した『嫌われる勇気読書会』の参加者さんから強い要望があった続編の読書会、『幸せになる勇気読書会』がいよいよ始まりました。
6月8日が初回、第一部について感想を共有したり、いただいた質問に答えたりの一時間でした。いやはや、初回から濃~い時間。皆さんの発言も積極的で楽しい時間でした!
過去って何よ??
今回は“過去”ということに関心が集まりました。
本の65ページにはこうあります。
われわれの世界には本当の意味での過去など存在しません。 <中略>
過去とは、取り戻すことのできないものではなく、純粋に「存在していない」のです。
前後の文脈もなく、ここだけ読むと「ハァ?何言ってんの?」ですよねぇ。
当然、みなさんの疑問もここに集中しました。
この本は、このように「そこまで言い切るか!」という刺激的な表現がちりばめられていて、飽きないところが面白いんだと個人的に思います。
で、過去など存在しないのか??
答えはYesでもありNoでもあります。
ここはアドラー心理学の実践家としては注意深く解説しなければなりませぬ。
まず「事実」としての過去は確かに存在しています。その人が生まれたこと、過去にあった出来事、かかわった人々など事実として存在していた「ひと・もの・こと」は当たり前ですが確かに存在がそこにあります。これはいわば人生の中の「点」の部分です。
では存在していない過去とは何なのか?それは、その「点」をつなげた「線」になっている過去、いわばストーリー(物語)のことです。人が過去のことをストーリーとして語った時点で、それはその人が独自に脚色したフィクションだと言えます。
そのことが65ページには書かれています。
十人十色の「いま」によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。
事実そのものは存在しているが、ストーリーが必ずしもありのままに語られていない。
そう「人は過去を捏造する」とアドラー心理学では考えています。そしてこの捏造は悪気は一切なく、自然に自分の中で起こることなのです。
異なる2人のストーリー
例を出しましょう。中学校の同級生だった2人が良くない行為をして、ある時先生に叱られて同時にコツンと頭を小突かれたことがあったとします。大人になってから、この2人はその出来事をどのようにストーリーとして語るでしょうか。
Aさんは「あの暴力教師にぶん殴られた。自分は虐待を受けたせいで人間不信に陥った」と腹立たしく語ります。
Bさんは「あの先生に叱られた。悔しかったけれど、今思えば先生は本気で自分と向き合ってくれた。その本気のおかげで今の自分がある」と感謝の気持ちで語ります。
同じ出来事でも全く違うストーリーに仕上がっていますね。
Aさんは大人になった現在の自分に満足していない。自助努力を放棄して他責傾向にあり、その目的は「依存」と読み解けるでしょう。
一方Bさんは現在の自分を受容し満足している。当事者として過去の出来事を捉えていて、すべての経験は自分の成長の種だったと受け止めていて、その目的は「自立」と読み解けるでしょう。
このように、今の自分の目的に沿った形で、かつ今の自分を正当化して説明するために、人は自分の過去を捏造(または改ざん)して語るものなのです。
アドラー・カウンセラーは、クライエントさんの過去の話を聞くときに、その方がどのようなストーリーで語るかを注意深く聴いています。その語りを通してクライエントさんを深く理解していくプロセスが始まります。
はい、今回はこんな解説を参加者の皆さまにいたしました。
また来週も読書会は開催されます。そこで上がった話題について「つれづれ」を書いていきたいと思います。
参考文献:『幸せになる勇気』 岸見一郎・古賀史健 ダイヤモンド社
お知らせ
『嫌われる勇気読書会』を7月から開催します。もしご興味のある方はホームページ、またはFacebookページをご覧ください!オンラインでどなたでも気軽にご参加いただけますよ。一人で読むのは難しくても、仲間となら楽しく読めます。そして質問には私がお答えしますので、初心者でも安心です。お申し込みは公式サイトで受け付けております。
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