私の転機 ~アドラー心理学との出会い~
勇気のアクセラレーター金井津美です。久しぶりの投稿です。
今日はちゃんと自己開示しようと思って書きます!
最愛の母のこと
なぜ、私がアドラー心理学実践者としての道に入ったのか?
そのきっかけは最愛の母との別れがきかっけでした。
母は更年期障害から心の病に苦しみました。
それまでは朗らかで毎日鼻歌を歌いながら家事をしていたのに、ある日から急に鼻歌を歌えなくなり人生を悲観し始めました。
私は何とか母に元気を取り戻してほしい。大好きな母の回復のためにできることは何でもしたい。その一心で心理学という学問の扉を開けました。
でも学びの初期に出会う心理学のほとんどは「人はなぜ病むのか」ばかり教えていて、「人はどうしたら幸せになるのか」はあまり教えてはくれず悶々としながら学ぶ日々。
そんな中で母の状態は一進一退を繰り返し、看病したり母の話し相手になりながら、私はいつも心配と不安でいっぱいでした。
ある寒い冬の日、母はとうとう自ら旅立ってしまいました。
私は無力でした。後悔しました。傷つきました。悲しみました。そして自分を責めました。
もうダメ、大好きな母を助けられなかった自分は能無し。勉強してたのに、何とかしようと思っていたのに、がんばったのに何もできなかった。私は心理学の教科書を全部燃やしてしまいました。
運命の出会い
母を亡くした悲しみが癒えぬまま、やさぐれた心境で半年がたったある日、私は偶然仕事先の研修でアドラー心理学に出会いました。「人は変われる。自分が変わろうと本気で思えば変われる。変わらないのはあなたが変わらないでおこうと決めているだけ」この言葉に衝撃を受けました。自分の内部に雷が落ちました。
自分のことを言われているように感じたからです。
そう、私は自分で決めていたのです。「こんな私はダメ人間」「こんな不幸を背負ったらもう幸せな気持ちになんてなれっこない」そう自分で決めていて、そこから一歩も出ようとしていなかったのです。いつも悲しい出来事を心の中で反芻し、自分を責めていじめていました。そしてその状態を保ち続けて何一つ建設的なことをしようとしていなかった。
もっと自分を大事にするとか、家族や友人を思いやったりとか、そういうことができずに、いつも自分が世界の中心で、悲しみの中にいることを言い訳にして、やるべきことややった方がいいことから逃げていたのです。
それに気がついた時から、私の人生は変わりはじめました。いいえ、人生が変わったのではなく、私自身が変わったのです。
もういちど心理学の道に入り、アドラー心理学を手にした私には、悲しみはもう心の中の「不動のセンター」ではなくなりました。決してその悲しみは消えてはいないけれど、心の中の納まりどころを見つけてくれて、そこに鎮座して私自身を見守る存在に変化したのです。そしてこの存在は今の私を動かす力の源泉です。
母の死、それは私の転機でした。そしてその後のアドラー心理学との出会いが転機を乗り越える力になりました。
人生には色々なことが起こります。良いことも悪いことも。
そして何かが起こったとき、人は「転機」という名の、階段の踊り場のようなところで足踏みをします。行くか、戻るか、または立ち止まるか・・・。足踏みをしている自分を責めたり、過去を悔んだり、何か・誰かを憎んだり、心の中にもやがかかって先が見えない状態になったりもしますよね。
私はアドラー心理学の専門家として、転機にいる方々を応援したい。
今、心から笑えないでいる、もがいて苦しんでいる、でも平気なふりをしている方々に寄り添いたい。
自分の人生を引き受けて、自分の人生を生きよう。
あなたが人生に笑いかければ、人生もあなたに笑いかけるから。
勇気をその手にたずさえて、自分らしくはじめの一歩をふみ出そう。
私がお供しますから。
勇気のアクセラレーター金井津美より
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