*「誰か」になろうとしない。
好きな人が好きなあの子みたいになりたい、とか
あの綺麗な女優さんみたいになりたい、とか
考えてしまうことですよね。
私も今まで何回も考えました。
好きな人が「あの子可愛いよね」と言えば、「あの子」みたいになりたいと思ったり、
あんな綺麗な女優さん男性にももてるだろうし、羨ましいなと思えば「あんな女優さん」みたいになりたかったり・・・。
誰かを見ては「あんな風になりたい」って考える。
もちろんそれが原動力になってダイエットをしたり、メイクを勉強したり、そのおかげで綺麗になるのはあると思います。
でも、なんか違うなあ、と思い始めたんですよね。
「誰か」になろうとしてどうするんだ、と。
この世に生を受けた、たった一人の自分をないものにしてしまうのか、と。
しかも、結局他の誰かにはなれない。
究極、整形をして同じ顔同じスタイルに慣れても中身が違うからそれはきっと外見に出てしまうと思うし、まさかそこまでする人もなかなかいないと思うのです。
「誰か」になろうとするんじゃなくて、「自分の好きな自分」になろうとするべきじゃないのかな、って思い始めたんです。
「誰か」じゃなく「自分」を見ると言うか。
自分の嫌いなところはたくさんあるし、直したいこともたくさんある。
だったら、それを直していけばいい。
太い足が嫌だったらダイエットするなり、引き締める運動をしたり、マッサージを調べたり。
小顔になるためのマッサージを調べたり、ガサガサの手が嫌だったらハンドクリームを買うとか・・・。
少し意識をして行動してみるとか。
嫌なところを改善するための行動をしている自分はきっとキラキラしていると思うんです。
「誰かになる」じゃなく「自分を磨く」
この世でたった一人の自分という原石を磨けるのは自分だけだと思うし、それはきっと憧れていた「あの人」よりもきっと綺麗になる。
そして、そんな自分を男女限らず愛してくれる人がいてくれると思うんです。
そう言う自信が絶対につくと思うんです。
そうすることで「嫉妬心」もなくなっていくんじゃないかな、と。
好きな人が自分ではない女性を見ていても「自分とは縁のなかった人なんだな」っていい気持ちで思えるというか。
嫉妬心でぐちゃぐちゃになって、醜くなることはないような気がするんです。
「仕方がない」と思えるというか。
「誰かになろうとする」んじゃなく「自分の好きな自分」になる。
少し意識をして行動するようになってから、前よりもっと自分を好きになれたし、嫉妬心も薄れた気がします。
(なかなか嫉妬心を消すって難しいんですけど・・・。)
ぐちゃぐちゃ汚い自分は嫌いだから。
そう言う自分をなくせるように動いていこうと思います。