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母との家出という名の汽車の旅。


母は私を連れて何度か家出をした。
遠いセピア色の思い出。



毎晩家に帰らず酒を飲み歩くような父だったので当然けんかも多かった。
でも「父が帰らない夜」というのは我が家にとって普通の日常だった。
普段は父不在のほうが、何の問題もなく時間が流れたが、母にも我慢の限界が来るのだろう。
幼い私を連れて、何回か家出をした。


家出はいつも夜明けとともに決行された。

車の免許を持たない母の家出。
暗いうちに家を出て、始発に乗り込むことからスタートした。
その日ばかりは父が突然帰ってこないことを願いながら、
予定決行の為、まんじりともせず朝を迎えたのだろう。
何も知らない私は、よそ行きの服を着て麦わら帽子をかぶりリュックを背負った。
まだ薄暗い早朝に歩く親子。
はたから見ると、楽しそうにも見えたはずだ。
事実、私は信じられないくらい心躍り、楽しかった。


始発の汽車。

当時担ぎ屋と呼ばれる、大きな箱を背負った行商人の女たちでにぎわっていた。
場違いなよそいきを着た母と子は、そこでは少し浮いていた。
女達におにぎりなどをもらい、私はとてもおどけていた。
そして皆こっちを見て笑っていた。短い旅路を、笑いながら共に過ごしす時間が、とても優しく温かだったのは今でも覚えている。


記憶の中の汽車の窓からの景色。


思えば、ただひたすらに汽車に乗り移動するだけの旅だった。
窓の外が田んぼから住宅になり、山になり、海になった。
知らない土地にも、同じように日常があるという当たり前。
それを眺めながら過ごす母との時間。穏やかな汽車での移動。
母にとっては、穏やかならぬ日常からの逃避行だった。
一日中汽車の窓からの景色を眺め、薄暗くなるとそこで降りた。
そして、行き当たりばったりに民宿や温泉宿に泊まった。
ある時は、泊まるところがなく映画のナイトショーに入った。
当時、3本立てを朝までひたすら繰り返し流す映画館があった。
貸し切り状態の映画館。お弁当やお菓子を買って座る。
映画が始まりすぐ私は眠ってしまったのだろう。
何度も目を覚ますたびに、スクリーンは同じような場面だった。
体には母の上着がかけられ、何度目を覚ましても、母はこっちを見ていた。

いつの家出なのか分からないが、もやもやと薄い記憶は、強い海のにおいがしていた。母と手をつなぎ歩く。
足を踏み外せば黒い波に落ちそうな、ギリギリを歩いている。
いったいどこに行こうとしているのかしら。
ちょっぴり怖くてひたすら母の手を握りながら歩く。

大人になって気まぐれに、確かめたくなって地図を見た。
あれがそもそも本当にあった事なのか、どこだったのか結局はわからない。
きっと母にあの記憶についてたずねても、そんなことあったっけと言うだろう。


何を考えていたのだろう。


家出はたいていの場合3日だった。
家の中は荒れていて憔悴した父。
ただその後も父は結局なにひとつ変わらなかった。
当時の母なりの意思表示。
子供の頃はなにも分からなかったが、今になるとあの時の母の悲しみがすこしだけ理解できる。あの時列車の窓から景色を眺めながら、
映画館で夜通しスクリーンと我が子を眺めながら、そして夜の波を眺めながら、何を考えていたのだろう。

同じ人間のやった同じ出来事。
遠い記憶。
幼い私と歳を重ねた私では感想が全く違うものになった。
それは、とてもあぶなっかしい旅。
それでも、あの頃の私は、ただただ楽しかった。
ただの移動は非現実的で特別な時間だった。
私がいまだに新幹線より飛行機よりも、鈍行列車に乗ってただただ景色を見るのが好きなのは、あの頃の楽しかった思い出のせいだろう。


                    ココ