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死を考えるのは生きる事について考える為。
めちゃくちゃ不謹慎なのだがよくお悔やみ欄を見る。
ヘルパーをしていたので、人は同じ年齢でも本当に色々な生き方や価値観があるのを、知ることが出来た。
そして年齢を重ねるごとに、お悔やみ欄に様々な人生を感じるようになってきた。
お悔やみに、30年近くも会ってない父の名前が掲載されていたらと、少し緊張しながら見ることもある。
おかしな形での安否確認をしているなと思うが、私以外にもそんな人はいるような気がする。
お悔やみ欄は男性か女性か、あとは年齢と町名くらいの情報のみなのだがあそこから色々な想像ができる。
90代の方をみると祖父を思い出す。
あまりにも長い間生きてそこに存在していただけに、いざ亡くなった時の喪失感が大きかった。当然の事なのだが人はいつか死ぬのだと、祖父の99歳での死で実感させられた。
煙突から立ち昇る煙を見て、祖父がもうこの世にいないという事実が、いつまでも信じられない。
大往生を前にしても、形がなくなるそのことが、なにかぽっかり穴が空いたような気持ちだった。
自分の親も70代も後半になり、お悔やみ欄の70や80という年齢が身近になってきた。本当にいつのまにという気分だ。
お悔やみ欄に並ぶ年齢は、単なる数字だが一人一人に人生があって、亡くなる寸前の生活や老いていく日々に想うところもあっただろう。
子や孫に囲まれ賑やかな毎日を送った人もいれば、1人で踏ん張って最後の日々を送った人もいただろう。病気と闘った人。事故の方。それぞれの最期がある。
せつなかった、くるしいきもち。
ヘルパーをしていた時、せつない話を聞いた。
80歳もとっくに過ぎたおばあさんが話す、長年の彼女の苦悩。
自分の名前にだけ「子」という文字がない。
下の数人いる妹にはすべて○子とついている。
私はきっとあの親の本当の子供ではなかった。思えば自分に対してだけの厳しい両親の態度は、血の繋がりがないからではないか。じゃあ、いったい私の本当の親は誰だったのだろう。
なぜあんなに自分の気持ちを尊重されなかったのだろう。
その考えを悲しそうに語った。
いくら違うのでは、と言ってもそう思い込んでいた。
おばあさんの乾燥した背中に、クリームを塗りながら話を聞いた。
「私の母はこんな風に優しく塗ってくれた事がなかった。妹にはやってあげたていたのに」そうやってま、幼い子供のような悲しい顔になった。
周りはボケたおばあさんのたわごとと思っていた。皆が半ば呆れながら空返事を返していた。
「またあのばあさん、いい歳して同じ話ばかり。」
「くだらないこと言ってる。」
繰り返し話す同じ話は、毎回ほんとうに悲しそうだった。でも本当にくだらないことだろうか。
親が期待や気負いによって、一人だけに厳しい態度をとったがために、あんな年齢になってふつふつと沸き上がる辛さ。日がな一日考える事がこんな悲しいなんて。あのおばあさんはどうしているだろう。
鬼籍に入られる前までに、親に愛された記憶をひとつでいいから思い出して欲しいと心から願った。
自分はといえば。
自分の年齢に近い方や、若くして亡くなったを、お悔やみで見かける事もある。そのたびに、どんなに無念だったかと思う。
そして自分について考える。あと何年は最低でも生きなければならないか、自分がいなくても、家族が問題なく暮らせるかである。
末っ子が二十歳になるまでの年数を数えると、残りが少なくなってきた。
自分がいなくても、きちんと生活は回るであろう時期までの期間を数えると、少し気が楽になる。
親としての責任とはなんだろう。
親についての憂いを、決して子供に残すまい。
子供は自分の人生の時間を、自分の為に悩めばいい。
昔、心が病んだ事があって、その時に自分の結婚までの写真を捨てたことがある。最近になり、再び日記や若い頃の服も捨てた。
最近のは単なる断捨離だが、あまり思い出も残したくない。
なにかあっても、なにも分からないであろう夫のために困らないように細かな事をノートに書いた。その時、間違ってもそれを見て感傷に浸ったり辛くならないように箇条書きにした。単なる事務連絡である。
こんな事をしても、たぶん私は長生きしてしまうだろう。
私のしている死の準備は、生きる為にしているのだ。
思うにこういう事を考えるのは、私の育った環境もあるかもしれない。
火葬場の管理人室で育った私は、生まれた時から生活の近くに死があった。
毎日のように私の部屋から、亡くなった人を悲しんで泣く人や、取り乱す姿が見えた。そして二時間すれば、諦め少し落ち着いて帰って行った。
死ねば苦しみはきっと終わる。
そう考えると、時々死は希望にもなった。
そんなことを考えながら成長したが、すでに私の人生は後半戦だ。
きちんと準備をして老後はまわりにあたたかな言葉を与える人でいたい。
お金や財産は無理だが、やわらかな余韻だけを残したい。
平等に誰にでもいつか来る死。
自分に与えられた寿命まで
どういう生き方をするべきか
お悔やみ欄を見ながら考える。
ココ