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わたしのたいせつな鞄たち。
夫と私はクリスマスや誕生日といった記念日に、お互いプレゼントを買わない。何が欲しい?と聞かれても特に欲しい物が思いつかない。
こう言うと、さも欲がない謙虚な人みたいだが、本当はその全く逆で
もらえるなら一回の権利を失敗なく確実に行使したい。
あまりにも欲深すぎて、決められずに「今は別に欲しい物がないな」という返事になる。
大人になると夢がなくて、なんともつまらない。
かわいげゼロの女。
30代頃、私は夫に「結婚記念日や誕生日にサプライズの花束とかいらない。
だから、考えていたとしても絶対に買わないでね。お金も勿体ないから。」
くれると言ってもいないのに、こんな可愛げのない事を言った。
転勤族で、夫は職場から花束をもらい持ち帰る事がたびたびあった。
普通の妻なら、お花を持って帰ったらわぁ綺麗と喜ぶはずだろう。
夫が転勤で花束を大量に持ち帰る時期、連日の送別会で忙しく引っ越しには戦力外。間に合うのかしらと不安になる、一人の荷造りが夜中まで続いた。
周りが段ボールだらけで、花を飾って楽しむ余裕のない時の花束。
それ以来私は、花束はマジでいらないという思考になった。
こんな事を言った私は、永遠に夫からサプライズの花束を貰うことはないのだろう。
散歩中に、よそのおうちの素敵な花壇を眺めるくらいが、自分には合っているような気もする。
覚えていたのか。
それでも夫が京都に出張があるときだけ、プレゼントをもらう。
数年に一度なのだが、京都の時だけの、恒例行事になった。
一澤信三郎帆布。
前に、夫に何度も話していた京都の老舗鞄屋さんだった。
若い時に、一澤帆布が欲しかった話を覚えていて、一つお土産に買ってきてくれた。いつも私の話を遠い目でBGMのように聞き流しているが、この鞄の事は覚えていたのだろう。
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気まずいほど何もできなかった当時の自分。
私は高卒で上京し、横浜の百貨店で日本の伝統的な物を雑多に集めた売り場で働いた。
週に何度か来る、コーディネーターの女性kさんは40代の書家で、デザイナー。他にもいろんな肩書を持っていた。福岡出身だった。
豪快でサバサバした性格で、アニエスを着ていつもカッコいい。
都会は凄い人がいるもんだなぁと心の底から思っていた。
都会のスピードについていけずに、口が開きっぱなしと言う感じの田舎もんの私をいつも気にかけ、可愛がってくれた。
ある定休日前日。「ここのディスプレイをやってみて。亅と、雑貨の一畳ほどの大きな台を一か所任せられた。
悩みに悩んで自分なりに物を並べて、当時寮の門限があったので先に帰宅した。定休日明け、出勤すると私のやったディスプレイは何から何まで跡形もなく変わっていた。
いつもながらkさんのディスプレイは発想力が桁違いで大胆。
見ごたえがあって素晴らしく、なにも悔しくなかった。
そこで、私が帰った後の一悶着をある職人さんから聞く。
ディスプレイをイチからやり直していたkさんに、違う職人さんが
「さっきまで、あの子は頭を悩ませて、センスがないなりに頑張っていたじゃないか。」
「跡形もなく治すなんて酷いんじゃない?ちょっとくらいやったものを残してやれよ。」
人情味溢れる職人さんが、私の事を庇ってkさんに文句を言い大喧嘩になったらしい。
バブル期の百貨店。
センスのないディスプレイを採用するほど甘くはなかった
たぶん仕事が出来なすぎて、まともにできることがないので、周りの大人たちも大変だったと思う。
今この年齢になると、すごく分かる。
それでも職人さん達は、いつも味方をしてくれて優しかったし、
Kさんも本当に色々なことを教えてくれた。
同じ、地方出身者だからねと言って、可愛がってくれた。
そのkさんが肩からいつも下げていたのが、一澤帆布の黒いカバンだった。
書家としての筆。ディスプレイに花を活ける花鋏。道端で積んだ草。煙草。そして、分厚い手帳。
使い込んだ鞄から、いつも様々な物が飛び出した。
「かっこよくてさ、真似したかったけど、あの頃はどこに行けば買えるかも知らなかった」
こんな風に夫に話したことがあった。
鞄はその時の生活に合わせて用途を変えた。
お弁当を入れて仕事に行ったり、、時には子供の入院の荷物を入れて持って行ったり。旅行に行ったり、今では御朱印帳を入れて神社に出かけたり、エコバックにもなっている。
荒っぽいわたしにぴったりの丈夫な鞄たち。
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去年、買ってきてくれた黒いカバンは、30年以上前に見た憧れの黒い鞄に似ていた。
私はこの先も、鞄を自分から買うことはないだろう。
一澤帆布の変わらないものづくり。
「時代に遅れ続ける」
私にぴったりな贈り物。
ずっと使っていきたいと思う。
ココ