付き合うってなんだろうね、っていう終わらぬ問について
「付き合うってなんだろうね」
今までこのセリフを何回言ったことがあるだろうか?
わたしはまた今日も言った。
人間と、その関係性は時間を経るごとに変わっていくものなのに、ずっとそこに「付き合ってる」というお札を付けておくのは不自然な気がする。
実際、わたしの彼も、付き合った当初とはまったく違う人間と言っていいほどに変わった。
新卒ではじめた仕事を鬱みたいになって辞めた彼は、わたしに向けるエネルギーもしぼみ、表情も乏しくなり、モノゴトへの意欲がなくなった。
そんな彼に、わたしは「おなかが痛い」だの「うざいやつにでくわした」だの、そんなことはいちいち報告しなくなり、こういうことを言ってほしいしてほしいと期待はしなくなった。
不満かと言われればまあそうかもしれないけど、その欲しいものをわたしは他の人間関係から得ているから、大丈夫ではいる。
というかむしろ、"普通の"人間関係であれば、人と人って、くっついたり、離れたり、お互いになんとなく繰り返していくもので、「あなた」か「わたし」の状況が変われば、その関係性も意識的無意識的に変わっていくものだから、自然なことなんだと思う。
だから不自然なのは、「付き合ってる」っていうお札の方な気がして。
好きだから付き合いはじめたのだけど、今目の前にいるのはそのとき好きになった人間ではない。
でも、「付き合ってる」を続けている。
「なんで付き合ってるの?」
とそんな状況を知ってる友達に聞かれて、
…なんでだろう。
彼は今"わたしの欲しいもの"はくれない。
胸を踊らすようなどきどきも、しぼるようなどきどきも、今は感じることはない。
また彼にエネルギーが戻ってくることを信じてるからかな。
なんとかだからと割りきれる感情でもない気もする。
この先別れたとして、良い人に出会えるっていう自信がないっていう、なさけない感情もある気がする。
うーんと色々と考えてみて発したことば、
「付き合うってなんだろうね」