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言葉を宙に投げるひと

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書く、わたしにとって

自分の書きたいものを、書きたいように書く。 ここ1年くらい、わたしにとって'書くこと'がすごく大事なことだとわかってきた。 きっと人それぞれ、自分の中の得体の知れない、時々抱えきれなくなる何かを「表現」するための術を持っている。誰かにとってはダンスだったり、音楽だったり、しゃべることだけど、わたしにとってのそれはことば、書くこと、なのかもと。 明らかに、年間100~200冊本を読んでいた小学生のときに、特にとりためていたことばなんだろう。書きたいものを、書きたいように書

    • 居続けるということ、一緒に居るということ

      れもんハウス、という場所がある。 そのお庭つきの一軒家は、新宿のビルが立ち並ぶ奥のほうにある、都心であることをたまに忘れてしまいそうになる陽だまりそのものみたいだと思う。 そこには、元気のない人もある人も、ひどく傷ついた人も、社会や家族という網目からこぼれ落ちそうになる子どもも、色んな人がやってくる。 私はここで、何もなかったところから何かが生まれ、そして壊れ、また生まれ、人々が出会い別れていく様を、この場所がはじまった3年前からずっとみていた。 変わったこともたくさんあ

      • 京島という町にたまたま出会って、引っ越して、写真展ひらいた

        変な町との出会い墨田区の、北のほう。 最寄り駅でいったら曳舟なんだけど、このへんの人たちがそう言い表してるのをあんまり聞いたことがない。 自分たちの住むエリアを「京島」とか「向島」「八広」そんな風に呼んでいるようだ。 私は元々不動産売買の営業をしていて、毎日東京じゅうを飛び回っていた時代もあるので、東京のまちには人より詳しい自負があったのだが、はじめて降り立った時の「なんじゃこりゃ」「こんな町が墨田区に…!?」というお口あんぐり感が忘れられない。 「なんじゃこりゃ」の正体

        • ほら、出会いは未来だ

          東京のとある場所で、様々な状況で家族と一緒にいられない子どもを一時的に預かる活動をしている。 たとえばシングル家庭で親が海外出張に行くだとか、親が突然入院することになったとか、兄弟に重い障がいがあって親がいっぱいいっぱいになってしまったとか。 いろいろ、いろいろある。 活動をはじめて1年半くらい経つけど、みえないところで孤立しそうになる家族は結構、たくさんいる。 なんで僕はここにいなきゃいけないの?お願いだから家に帰らせて と叫ぶ子もいる。 なんで私はここから出なきゃいけな

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        書く、わたしにとって

          健康診断でたまたま卵巣嚢腫が判明して人生初手術した20代女の体験記(後編)

          卵巣嚢腫の腹腔鏡下摘出術を受けてみての体験記。 前編(発覚〜入院前)を公開して、うれしいことがありました。 3週間後に同じ手術を控えているという方から、メッセージをいただいたのです。 勝手に雑多に書き残しているだけとはいえ、届いたらいいなと思ってた人にほんとに届いた!とちょっとぽかぽかした気持ちになりました。 私には、あの時のあんな感情、こんな痛み、をおすそわけすることくらいしかできないけど。 だから今回も、半分は自分のため、半分はだれかのために、というくらいの気持ちで。

          健康診断でたまたま卵巣嚢腫が判明して人生初手術した20代女の体験記(後編)

          健康診断でたまたま卵巣嚢腫が判明して人生初手術した20代女の体験記(前編)

          先日、卵巣嚢腫の腹腔鏡下摘出術を受けました。 あの時のあんな感情、こんな痛み、それらは、自分のものだったことが朧げになっていきそうな気がするくらい、今おだやかに回復を感じられてます。 もちろんそれ自体はいいことなんだけど、完全に手元から離れぬうちに、書かなければ…!残さなければ…!という気持ちに追い立てられて、言葉を必死にたぐり寄せて、書いてます。 半分は自分のため。半分は、だれかのために。 いくつか注釈👇 この体験記は、自分が体験した出来事を感情メインで、(だいたい)

          健康診断でたまたま卵巣嚢腫が判明して人生初手術した20代女の体験記(前編)

          明日も、あなたの話をわかるまできいていたい。

          しごとのひとつである、こども園での勤務の最終日。 健康上の理由で、予期せず短い期間になってしまったのだけど、こんなに短期間でも、歩くようになった子、お話がじょうずになった子、他者との関わりが豊かになった子がいて、1人の人間の世界の広がりの瞬間をみせていただけたこと、とても尊く、嬉しい。 うまれてからの1年間、人はゆらゆらとゆらぐけど、1歳の時点で一生の起点となる「その人らしさ」はすでに、ほとんど確固たるものになっている、のかも。 泣いている人がいたら、いい子いい子しにきた

          明日も、あなたの話をわかるまできいていたい。

          旅立つ日を選べるとしたら。

          20年を共にした愛犬が旅立った。 ある友人がこんなことを言ってくれた。 毎年訪れる命日が、幸せな日であるように。 悲しみが少しでも癒されるように。 彼の優しいはからいなのかもしれないね。 それはちょうど仕事を終えた頃で、母からの電話に応じることができた。 時折起きていた発作の最中ではなく、普通に1日を過ごし、最期に2度鳴いて、一番世話をしていた叔母がちょうど居て最後に抱き上げた、と。 春のきざしを少しずつ感じられる、2月のある木曜日。 夜が明けると、否応なく明るい気分

          旅立つ日を選べるとしたら。

          #note書き初め 2023

          今年も書き初めをした。 去年の最後のほうに、これまでに蒔いていた種がいつのまにか芽吹いていることに、気づかせてもらう機会が立て続けに起きたりした。 自分はこれから種を蒔くのだ、というくらいの気持ちでいたのに。 でもちゃんと、そのちいさな芽たちを、ひとつひとつ丁寧に育ててみる1年にしてみたいと思って、「育」。 筆を握っている時、次はこうしてみよう、こんなのもいいかなと、とっても楽しい気持ちだけが心に在った。 どれかひとつのお気に入りを決めるのもいいけど、ひとつひとつ違

          #note書き初め 2023

          推しとの約束があるので死ねない

          私には推しがいる。 その推しは近頃とても人気者で、今朝10月からのドラマ出演が発表されたほか、同じく10月から朝ドラ、12月と来春には映画公開も決まっていて大忙しだ。 推しががんばってるって事実だけで、今日をがんばれるエネルギーになる。 そして、推しのがんばりを見届けることが、次の季節まで生きる理由になったりする。 今突然死ななきゃいけなかったら、めちゃめちゃ悔しがると思う私。 他の人がみれる推しの姿をみれないなんて、一生の汚点だ。 でもこれって案外、人間の”推し活動

          推しとの約束があるので死ねない

          ある2人の男に想いを馳せて

          私の実家は、三十世帯くらいが住むいたって普通のマンションにある。 郊外らしく、ご近所付き合いと呼べるほどには結びつきはなく、会ったら挨拶と一言世間話を交わすくらいの関係性だ。 そのマンションの一階に、ある2人の男が住んでいる。 今日はその2人の話をしたいと思う。 引っ越してきたとき、彼らは4人家族だった。 お父さん、お母さん、当時私と同じ小学校に通っていた男の子の兄弟。 彼らは十数年前のちょうど今くらいの季節、あまりにも突然に、父と息子の2人家族になった。 夏休み、地

          ある2人の男に想いを馳せて

          わたしの感受性は

          わたしはたぶん、人より感受性が豊かだ。 今日は上司の40歳の誕生日で、「今までやってきたことを継続しつつ、新しい挑戦を諦めない」というコメントがなんだか刺さって朝から泣いてしまった。 笑いながら「どこがそんなに?」と話を聞いてくれる会社で、ほんと、よかった。 年齢を重ねると涙脆くなるというのは多分本当なんだろうなと思ってるけど、 このペースでいったら、40歳くらいで朝から晩まで泣くことになりそうで怖い。 感受性が豊かであることは、時に自分を苦しめる。 たとえば、人の苦し

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          誕生日ってだけでなんてことない今日に乾杯

          普通に仕事をして、 普通に気圧とバイオリズムのせいで体調がよくない、 なんてことない日。 26歳なったということは25年が終わったということで 例えば100歳まで生きれるとしたら、 もう1/4は終わったんだなあと、 昨日ふと思った。 しかも、もしかしたらあと1/2しかないかもしれないし 実は4/5終わっちゃってるのかもしれない。 いずれにせよ、時間は有限であるという事実に変わりない。 なんてことない日が終わりに近づき、 同期と会社を出たら、 まだ少し明るくて、空気がひ

          誕生日ってだけでなんてことない今日に乾杯

          I'm sad.

          とても悲しいことがあった。 でも、私より悲しい人がいるから。 わたしは本来悲しむべき立場の人間じゃないから。 悲しいなんて思ってはいけないと、立っていたけど、 ほんとうは、涙があふれて止まらないほど、 もう地面に立ってはいられないほど、 ほんとうにほんとうに、悲しい。 悲しいんだ、わたし。 だれかに言ってしまうと、 この悲しみがたいせつじゃなくなってしまいそうで、 だれにも言えないけど、 もう自分では抱え込めないくらい、悲しい。 どうしたらいいんだろうね。

          いつまでも続く保証はないから

          好きものは好きでいる。 伝えたいことを伝える。 やりたいと思ったことをやる。 みたいものをみる。 食べたいと思ったものを食べる。 行きたいところに行く。 会いたい人に会う。 書きたい言葉を書く。 聴きたい音楽を聴く。 奏でたい音を奏でる。 歌いたい歌を歌う。 猛烈に生を感じる。 そんなこと、わかってはいたつもりだけどね、 この生は、平和は、日常は、 いつまでも続く保証はないから。

          いつまでも続く保証はないから

          #prayforukraine

          私は銃を向けあう人々の絵を描いた、小1のあの子のことを思い返していた。 「せんそうのときって爆弾おとすでしょ?中にお花いれればいいとおもうんだよね。そしたらもらった方もうれしいよね。」 こんな感性が自然に育つこの時代に、戦争がすぐ身近に起きるなんて、想像もしていなかった。 世の中は変わりつつあると思っていたすべてが、自分のまわりの本当に限られた範囲でのことだったのだと、絶望にかられている。 楽しいことをしていても、いつもなら熱中できることをしていても、どこか上の空になって

          #prayforukraine