ある2人の男に想いを馳せて
私の実家は、三十世帯くらいが住むいたって普通のマンションにある。
郊外らしく、ご近所付き合いと呼べるほどには結びつきはなく、会ったら挨拶と一言世間話を交わすくらいの関係性だ。
そのマンションの一階に、ある2人の男が住んでいる。
今日はその2人の話をしたいと思う。
引っ越してきたとき、彼らは4人家族だった。
お父さん、お母さん、当時私と同じ小学校に通っていた男の子の兄弟。
彼らは十数年前のちょうど今くらいの季節、あまりにも突然に、父と息子の2人家族になった。
夏休み、地元の海での事故だった。
お母さんと兄弟で遊びに行った先で、溺れかけた弟と助けようとしたお母さんを、海がさらった。
当時中学生だった私は、どこかの街で起きた「ニュース」のひとつとして数秒だけ報じられる画面を見つめながら、海の様子も3人の顔と背格好もよく見知っていたから、頭の中にはリアルな事故の映像を想像してしまっていた。
それ以来、どういう顔をしていいか、どんな振る舞いをしても不正解な気がして、2人を見かけても何も話せなかった。
十数年の時を経て、私はもう実家を出ているが、お父さんと大学生になったお兄ちゃんは今もマンションの一階に住んでいる。私の母によると、最近犬を飼い始めたらしい。
「妻と、息子が2人」から「息子と2人家族」のあいだ
帰ってきたのは小学生の息子1人で、何度複雑な感情を呑み込んで彼にかける言葉に悩んだろう。
日焼けした3人が帰ってきて、お風呂や夕飯は大変で、息子が寝付いてから暑かったわと一息つく妻との時間。そんな想像に難くない未来を何度取り戻したいと嘆いたろう。
妻と息子をさらった海のある街で、4人の生活の気配が生きる部屋で、2人で暮らしていくことをどうやって決断したのだろう。
「パパとママと弟」から「お父さんと僕だけ」のあいだ
自分だけが見ていた、目の前で2人が海にさらわれる記憶に、何度苦しめられただろう。
そのあと訪れた様々な出来事の記憶が、若いままのお母さんと幼いままの弟の記憶を塗り替えないよう、何度引き寄せようとしただろう。
友達に他人に、いつどのように伝えるか、伝えないか、何度悩んだだろう。
・・・・・眠りにつく直前、そんな風に2人に想いを馳せていたことにベッドに落ちた自分の涙で気づいた。
この季節がそうさせただろうか。
私は、他人の死に対して無力ではないと今は思う。
忘れずにこうして覚えていることができる。
亡き人と遺された人に想いを馳せることができる。
自分を含め生きる人の命や生活を大事にできる。
だから私は明日も、夏休みの子どもの遊びに出かける声が外から聞こえたら、心の中で「いってらっしゃい。気をつけてね。」と祈るんだ。