私はいつから神様と話してたのか?
こんにちは。
神和ぎ(かなぎ)由佳です。
実は今日5月31日は私の誕生日です。
今日はちょっとだけ私が神様とお話をし始めたころの概要を振り返ってみようと思います。
長い話になるけど、少しだけお付き合いくださいね。
私が「なにか」と話したり「なにか」を見たりしていたのは自分ではっきり自覚しているのが
4歳くらいだと思います。夜中にふすまのところに何人かの影があって、その影と話したのが始まりだと思います。
その影は私をあちらの世界に連れて帰ろうとした影でした。
生まれつき体が弱かった私なので、両親は「なにかのちから」も身に着けた方がいいと考えていたのでしょう。
3歳の時にキリスト教の幼稚園に通わせるようにしたのです。
家の家系的にも神仏とのかかわりはとても深くあったので、当然のようにいろんな守護の力を
3歳くらいから体感と体験そして学びとして染み込ませていただきました。
家系的にも代々振り返ってみるとある大きな目標を(本会を遂げるってやつです)達成する
そのために辻裏で身分を隠すために卜占をしていた先祖もいたり。
守護の力を必要とすることをはっきりわかって3歳のころにキリスト教を学ばせるようにした
両親も、今で言うところのチャネラーとヒーラー(^_^;)
祖父母もヴィジョンを観るタイプのチャネラー(というより霊媒ではなかろうか?と思う私)
もっともっと古い先祖をたどるといろいろ面白こともわかるのですが。
そんなちょっとおもしろい家庭で育ってる私は日常の中で霊的な存在と、普通に交流してました。
私が自分でこの存在との交流を嫌だと思ったのは思春期のころ。
私のしている交流は「怖い」ものだったのではという想いから、霊的なものに話しかけられても
リアルにその場所から逃げて帰るくらい怖がりになりました。
っていいながらもやっぱり霊的な存在は私の命を何度も何度も救ってくれてるのですが。
あまりにも話が長くなるのですまたまたバッサリ割愛してしまいますが
改めて会話を再開しようと思ったのは20年前。
あることをきっかけに霊的な存在と会話を再開しました。
神様とか仏様とかご先祖様という存在との会話です。
それでもやっぱり全幅の信頼というのは置いていなかったかもしれません
だって思春期に「怖いものだ」という刷り込みがきっちり入ってるから(笑)
その「怖いもの」という刷り込みをしっかりと取っ払って
今はしっかりと神様とお話してみなさまにお伝えするべくことを
お話させていただいています。
今、自分の誕生日を想って簡単すぎるくらい簡単にですが
私のことをお話してみました。
昨日、また魂の根源、奥底にある意識のところに戻ってきた私。
そのことが私の神様と話していることをやっとみなさんにぼつぼつだけど
話をしてもいいのではないかな?と思っています。
折りをみて、神様の御言葉を伝える身としてのことを綴る機会を増やします。
そして神様の御言葉をいただいたみなさんの大きな変化などもつづっていきますね。
FBやメッセージ、メールやLINEでお誕生メッセージをいただいています
本当にありがとうございます。
この1年ももっと神様と皆さんのご縁を拡げていきます。
日本全国へ。羽ばたいてまいりますm(__)