だから「目に見えない世界」ほど現実に活かす必要がある
8月8日
突き動かされてるように行った聖地からの流れである聖地へ昨日
行ってきました。
スピリチュアルというものが浸透して、それぞれが好き勝手な儀式的なことをやっている。
しかもヒーラーと思しき方々
霊能がお有りになるだろう方々
遠目からみてると「そこは禁足、そこは結界」あきらかにわかる
場所に裸足で立っていたり
神様に完全にお尻向けてたり。
私が声をかけたほうが良いのかとも思いましたが、スピリチュアルの方々ほど妖のものとつながっていることが多々ある。
(通常、霊能力のある人やスピリチュアルな人はその程度の基本は見て当然と思う)
神様には申し訳無いが、あとからその場を祓い清めるとし、その人たちには声をかけなかった。
スピリチュアルな方々がお帰りになられたあと、少しだけお掃除をして、神様に手を合わせた。
神様とお約束した祓い清める御神事と、天下泰平と安寧。
神様の彌榮を意宣る。
もう、何年も何年も言っているが
スピリチュアルといわれるものの実践は、聖地を「忌地」にすることではない。
粛々と日常生活をこなし
神様の前に立つ。
聖地を聖地として訪れ祈り意宣ること。
とく「スピリチュアル」な行いも大きく変化していることを
実践しているスピリチュアリストこそわかってほしいものだ。
日常生活をきちんとこなせなければ、神様に対しても人に対しても
礼儀礼節が大きく欠如していることを見極めていただきたいものだ。