
「脳死=人の死」なのかを考えさせられた「人魚の眠る家」
10/30の土曜日に久々にアマゾンプライムで映画を見ました。
普段から見てみたい映画をマイリストに入れているようにしています。
今回はその中の一つの「人魚の眠る家」を見ました。
内容がとても考えさせられたのでこの映画について語ろうと思います。
映画の軽いあらすじ
この映画は、脳死というものをテーマにしているだけに内容はかなり重いです。
120分ある中で、90分くらいは空気が重いのが伝わりました。
内容は予告のものを貼り付けておきます。
あらすじに多くのことを書いてあるので、読み飛ばすことをお勧めします。
あらすじ
二人の子供を持つ播磨薫子(はりま・かおるこ:篠原涼子)と会社を経営する夫・和昌(かずまさ:西島秀俊)。すでに別居状態の夫婦は、娘の小学校受験が終わったら、離婚することになっていた。そんなある日、二人の元に悲報が届く。娘の瑞穂(みずほ)がプールで溺れ、意識不明になったというのだ。医師からは「脳死」という宣告が下され、回復の見込みはないという。脳死を受け入れ臓器提供を希望するか、心臓死をただ待つのか…究極の選択を迫られた二人は、話し合いの末に臓器提供を決断する。
ところが別れの瞬間、娘の手が一瞬動いたのを見た薫子は、娘が死んでいるという現実を受け入れられず、一転して臓器提供を拒否する。そんな娘と妻のためにと和昌は、自らが経営する会社の最先端技術を使い、前例のない延命治療を決意。その甲斐あってか、娘はただ眠っているかのように美しく、肌つやも良くなり、体も徐々に成長してゆく。しかしその決断は、やがて薫子の狂気を呼び覚ましてゆく。そんな妻の姿を目の当たりにした和昌は、果たして自分の選択が正しかったのか、本当に娘は生きているのか深く苦悩していく。それは果たして愛なのか、それともただの欲望なのか。過酷な運命を背負うことになった二人の先には、衝撃の結末が待ち受けていた――。
https://filmarks.com/movies/77612より引用
ここからは、私が映画を見て思ったこと・感想を書いていこうと思います。
「脳死の人間は、生きていると言えるのか」
この映画は「泣ける映画」として評価されていたが、私は泣くことはできませんでした。
しかし、泣くこと以上に「死」についてとても深く考えさせられました。
この映画は一般的な「死」とはまた違う「脳死」と向き合っています。
数多くの視点からも「脳死」の家族がいる場合を映し出していました。
具体的には、
篠原涼子、西島秀俊(親)の視点から脳死の家族がいる場合
その息子(弟)の視点から見た脳死の家族がいる場合
親戚・祖父母の視点から見た脳死の家族がいる場合
です。
この様々な立場から映し出されているというのは
どの立場の人からも感情移入がしやすい
ということが私は感じました。
私なりの感想
この映画は初めて「もしも周りの誰かが脳死になってしまったら」と考えるきっかけにもなりました。
人生で大切な人を亡くしたことは、私も経験しました。
しかし、私はまだ人生で周りの人に脳死状態になった人はいません。
そのとき私はその状況を受け入れることができるのか
もし映画みたいに自分の子供がなったら延命措置をするだろうか
このような普段考えることのなかったことに直面することができました。
生きている以上こういった問題にいつか向き合わないといけません。
それを与えてくれる映画であり、観れて良かったと思える作品でした。
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