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講義note:スコッチウイスキーの表象文化論 第1回 (神奈川大学国際日本学部 教授 中村隆文)

つい最近、拙著『スコッチウイスキーの薫香をたどって――琥珀色の向こう側にあるスコットランド――』(晃洋書房、2021年9月30日刊行)を上梓したので、その内容に少し触れつつ、食文化としてのスコッチウイスキーの研究の意義について、第1回から第3回の各講義で紹介してゆく。お酒にはあまり興味がない人も(あるいは飲めない人も)、スコットランドという国を知るための一つのきっかけとして、また食文化研究というものにどういう意義があるのかその理解のためにも、お目通しいただければ嬉しい。

講義第1回 スコットランドの文化的アイデンティティ

・スコッチウイスキーとは?

スコッチウイスキーといえば、「強いお酒」「オジサンが飲んでいるもの」「臭いニオイがする」といったネガティヴなイメージを持つ人もいれば、他方、「なんかカッコいい」「違いが分かる人が飲みそう」「いつか飲んでみたい」という憧れめいたものを感じる人もいるだろう。「ウイスキー」が強い茶色の(あるいは琥珀色の)蒸留酒であることは分かるとして、では、「スコッチ」というのは何なのか?それは他のお酒とどう違うのだろうか?
「スコッチScotch」とはスコットランドのことであり、ゆえに、スコッチウイスキーとは「スコットランドのウイスキー」のことである。ウイスキーには主に世界五大ウイスキーとして「スコッチ」「アイリッシュ」「アメリカン」「カナディアン」「ジャパニーズ」があるが、前二者、すなわち、スコットランドとアイルランドのウイスキーが、大西洋を越えて北米大陸に伝わってアメリカンウイスキーとカナディアンウイスキーが生まれ、そしてそれが太平洋を越えて日本に伝わった、というわけである(実際の作り方は竹鶴政孝氏がスコットランドに行って学んできたが、ウイスキーが伝わったことを示す最初の文献としては、鎖国時代、アメリカのペリー提督が浦賀に来航したときである)。
つまり、ウイスキーの発祥を辿ると、その源泉ともいうべきエリアはスコットランドとアイルランドということになる。この地域はケルト系住民の土地であるが、そもそもは、そのケルト系住民の使用言語であるゲール語のウシュケバー(usque baugh:「生命の水」の意)が、次第に“whiskybae” や “whisqui-beath”と変化し、最終的にはウイスキー(whisky, whiskey)となったのである(スコッチ、カナディアン、日本はwhisky、アイリッシュとアメリカンはwhiskeyのスペルである)。今回はスコットランドにその地域を限定しつつ、ウイスキーの成り立ちと文化的意義、そして、その魅力を論じてみようと思う。

ジュラ蒸留所のポットスティル

ジュラ蒸留所のポットスティル

・「麦」の文化とアイデンティティ

スコットランドはブリテン島北部にあり、イングランド王国よりもその歴史は古い。しかし、そこはあまり農耕に向いている土地とはいえず、とりわけハイランドとよばれる地域に至っては冷涼であり、内陸部ではせいぜい牧羊をしつつ、麦を食べる生活をするしかなかった(沿岸部や島嶼部では漁業も可能であったが)。麦といっても、現代の我々がよく食するような、ふっくらとしたパンや、もっちりとしたパスタなどに使用されるグルテンたっぷりの小麦ではなく、冷涼な気候に強い大麦(Barley)やオーツ麦(Oats)であった。とりわけ後者についてはイングランド人から「オーツ麦はイングランドでは牛や馬のエサだが、スコットランドでは人が食べる」と揶揄されたものである。しかし、物流も限られた時代には、スコットランド人はそれを食するしかなかったわけであるが、その歴史の積み重ねが、スコットランド人たちの勇猛さや屈強さを象徴するところの「大麦の酒」と「オーツ麦(と羊の臓物)の料理」というものを作り出した。
18世紀、イングランドとの連合王国に吸収されてしまったスコットランドであったが、そこでもなお、歴史的にイングランドに屈することなく抵抗してきたスコットランド人の気風を詩にしたロバート・バーンズという詩人がいた。彼は、スコットランド人の勇猛さや屈強さ、力強い意志は、その過酷な風土がつくりあげた大麦の酒「ウイスキー」と、オーツ麦と羊の臓物料理である「ハギスHaggis」に拠るところが大きいと主張し、その想いをScotch DrinkやAddress to Haggisという詩で歌い上げている。
バーンズの作風自体は懐古主義的なロマン主義であり、スコットランド文化の復興運動の一環でもあるので、それらの詩はいくぶん誇張気味ではあるものの、スコットランド人たちは自分たちの食文化というものが――たとえイングランドやその他の国から多少は揶揄されようとも――自分たちの精神(スピリッツ)を醸成してきたことを意識するようになり、そこに誇りをもつようになっていった。
 今回はここまでとし、次回はウイスキーの語源と、その語がどのように変化したのかをたどりながら、スコッチウイスキーがどのようにブランド力をもっていったのかをみてゆこう。(つづく)


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