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【俳優であり人間であり】はじめまして♪

思い立ったが吉日。
はじめまして、鈴木かなえと申します。
女優を始めて15年目、なにか今までと違うことがしたい、今までやりたかったけどなんとなく始めていなかったこと、それらを考えていたらこのnoteに出会いました。

このnoteでは、俳優をやってきて気付いたことや、おすすめの身体づくり、また最近気が付いた我が身のHSP騒動とか・・・
SNSが超発達しているこの時分に、あえて活字でいくのは少し勇気が必要な気がしたけどやらずに後悔はしたくない!その気持ちだけでここにいます。

今後ここで公開していく予定のカテゴリをご紹介します⭐

  1. 「役作りと人間造り」

  2. 「体育の成績”2”だった私が黒帯をとるまで」

  3. 「HSPの『自分』と仲良くする方法」

  4. 「オプションダイエット」

冒頭からずっと藪から棒ではありますが💦
俳優をしていくうえで…というよりも、ごく普通に生活をしているうえでなんだか窮屈だったことや、勉強をして「なるほど!」だったこと、同じように困っている方にいつかお伝えしたいとずっとその機会を探しておりました。
誰かを助けるなんておこがましいけど、半分は自分のためでもあります。普段から色んな感情が湧きすぎてよくショートしかけてるので(;'∀')
今後、このnoteで少しずつでもそんなお話をしていけたらいいなと思っています。


それでは簡単ですが、鈴木の自己紹介をさせていただきます⭐

  • 鈴木かなえ(34歳)

  • 1987年11月21日生まれ

  • 宮城県多賀城市出身(山形県米沢市と福島県南会津に住んでいたこともあります^^)



■映画に魅せられて

まず5歳のころにバレエをはじめた私は、その後エアロビクスやHIPHOP、ジャズ等を習うため週の大半スタジオに通うようなキッズ時代でした。
物心ついた時からステージの楽しさを感じていたんですね。私の「やりたい!」にいつも応えてくれた両親には本当に感謝です。
当時は妹たちや母も一緒にダンスを踊りまくる、そんな一家でした。
そして鈴木家のエンタメ精神はその後、『毎週末は映画館へGO!』とも変化していったのでした。

毎週映画館へ行くうちに次々と見せられる壮大な世界観への憧れ、スクリーンへの期待や夢がどんどん大きくなるのに時間はかかりませんでした。
オープニングで感じる高揚感、エンドロールで襲い掛かる虚脱感。中学生になりたての私はその時、今でも忘れられないほどに多感でわくわくに震えていたんです。

■映画業界へ行ってきます

そんな生活を繰り返し、数々のオーディションをうけ(書類で終わったものがほとんどですが💦)ふと気が付くと私は短大生になっていました。
もっと早く何とかできたのかな…??と毎日思うばかりで、あとほんの少しの勇気が足りなかった。
今の人生のすべてを捨てて東京へいざ!!!なんてかっこいい映画みたいなことは全然できなくて、始めてもいないのに後悔ばかり。

「俳優になります!」とか、たぶん誰にも言ってなかったんです。

だからそんな私はその当時「幼稚園教諭」を目指すため短大に入りました。
毎日児童心理学や保育学を学んで、それ以外の時間はピアノと声楽。忙しくて映画を観ることも少しずつ減っていきました。

短大卒業認定のために行った実習先でのこと。
園児たちと他愛もないお話をしていたんですが、その時
「●●ちゃんは大きくなったら☆☆になりたいんだぁ~~。かなえ先生は、大きくなったら何になりたいの??」
あんなにギクッとしたことはありません。でも実習中のお約束事として幼稚園の先生になると伝えざるを得なかったのでした。

私はまだ5歳になったばかりのあの子どもたちに、心を寄せるどころか大きな噓をついている。そんな自分が耐えられませんでした。
そしてある日私はようやく言います。

「東京へ行って、お芝居の勉強がしたいです。映画に出たいです。本当は女優になりたいんです」

その時の母の返答は「何言ってるの?」でもなく「じゃあ何のために短大まで行かせたと思ってるの!」でもなく「許しません!」でも「大バカ者!」でもなくて

「ようやく言ったねえ~♪」

でした。
もっと早く言われると思って待ってたのに~~♪とものすごくルンルン。
大学が一緒だった友達や地元の親友にも
「そうだろうと思ってたよ、気付いてないと思ってた?」と言われる始末。

私は何に心配をしていたのか、不安に思っていたのか。みんなが求める「心配のない大人のなり方(妄想)」みたいな枠に自分を抑えつけて、それが結果周りを一番心配させていたんだと気が付きました。


■「頑張る」と「耐える」

そんなこんなで2008年4月、20歳になった私は単身上京しました。
今だから言えますが、たぶん最初の1か月は毎日泣いていました(笑)
ホームシックって時間が経って慣れるしかもう方法がないのです。知人が一人もいない状況になったことがない私は、電気がついていない自分の部屋に帰るのが恐怖とさえ思いました。

その当時無意識に「頑張る」とブログに書き続けていて、私の状態を察知した母から
「今はまだ”頑張る術”も見つかってないのに何を頑張るのよ~今はとにかく慣れるまで耐えなさい。そのあとに必ず本当に『頑張らなきゃいけないとき』が来るからね」とメールが来ました。

今思い出しても笑えるくらいにいっぱいいっぱいになってました。まだ何も始まってないのに💦笑

重症だったホームシックも、1か月を過ぎたころから少しずつ慣れていき、東京の友達もできてきてますますやる気に満ち溢れるようになりました。


■逆ホームシック

灰色の街並みも(髭ダン的)、砂ぼこりみたいな匂いも、空気の薄い電車も、夜眠らない街的なうるささもこれがまた不思議なことに住めば都。
東京に慣れだしたらみるみる順応していった。そこまでは私えらい!って思っていました。

帰省を決めて数か月ぶりの地元へ。
そこで私はこれまたとんでもない病気にかかっている!!!と気付くのでした。
それが『逆ホームシック』

世界で一番心が落ち着くはずの育った家で、こんなことをしている間にも「東京」では今もいろんなことが進んでいる…、少しでも早く戻らないと置いて行かれるのではないか…、休んでいる暇など私にあるのだろうか…。。。などなど、今度は東京に思いを馳せて目がぎんぎらぎんぎん。

いったいいつ、私は気持ちが落ち着くのか本当に分からなくなりました。


■カメラの前

そんなホームシックと逆ホームシックを何度か繰り返していくうちに、肩の力を抜いてもいいポイントを学び始めました。

上京して3~4年が経ったころ、人生で初めての無敵ポイントに入りました。
月の半分オーディションに参加をして、ある月は通過率100パーセント。
つまり受ける度に合格をいただく、自分でも怖くなるくらいにすごい無敵月間がありました。

それでも実は内心、あまり満足いっていなくてそれが何故なのか説明できない時期が続きました。
たぶんこの時が、上京したての頃母に言われた「頑張らなきゃいけないとき」だったのかなって今では思います。

頑張る。つまり「今の自分に驕らないで、上を目指して努力をする。最大限のパフォーマンスができるよう準備する」
無敵月間に入っていた私は、こなすのに精一杯でそれで終了。次に生かして、さらにその先を予測して動く…なんてハードに思って出来なかった。
それ故満足なんてもちろん出来なかったし、この先もずっと続くかどうかの不安が先に来すぎてとても楽しめる状態じゃなかったのです。

そんな時ふと言われた「オーディションでは審査員に、撮影ではカメラの前で、あなたが楽しんでいることを伝えなくてはダメよ♪」という言葉。

その時はざっくり言葉通りにしか受け取ることができなかったけど、そこからは『経験』が私にとって自信となり少しずつ「楽しむ」に変わってきました。
そうするとある日あら?と気付くのです。
私は「カメラの前」にいる時が一番楽しいな✨と。

いつもそう、私は一気にいろんなことを知ったかぶる。いろんなことを出来てると見せかける。そんな無理は自分のためにはならない。もちろん周りのためにもならない。
そんな無理をしたところでいっぱいいっぱいの人間のパフォーマンスを見て誰が得をするの?

この頃から等身大の私らしさを見つけるための「頑張る」に変わりました。


■主演女優賞

思いがけない連絡って、思いがけないタイミングで来るんだな…と思ったのが、上京してもうすぐ10年になろうとした時でした。

私が初めて主演を務めさせていただいた映画『堂堂めぐり』がフランスニース国際映画祭にノミネートされたと監督から連絡をいただきました。

『堂堂めぐり』ポスター


最初は「へ~~~~!!!すごい~~~!!」と、嬉しさはもちろんありましたがどこか他人事(^▽^;)
しかし監督からの連絡では続きがあり、

「ノミネートは作品賞と、音楽賞、それとね、

主演女優賞!

かなえちゃんがノミネートってことだから、サイト見ておいてね~~」

人ってこういう時、本当にフリーズするんだなって思いました。
サイト見ても英語表記だし写真が出てきてようやくびっくりするという。
それと同時にいつものわたしの悪い癖「どうしようどうしようどうしよう」が始まります。

あれよあれよという間にフランス渡航が決まり、準備は残り1か月弱。
国際映画祭って?授賞式って?それって英語?
嬉しさとびっくりが半々だったのに、あっという間に不安しかなくなっていました。

恥ずかしながら海外自体が初めての私は、もう文字通りのてんやわんやでした。肝心の「主演女優賞」について考える暇もなく時間が過ぎていきました。

あまりにテンパっている私は、周りからの声でハッとします。
「出品は数百、そのうちノミネートは5作品」
「自分のお仕事が評価されるなんて嬉しいね」
「そもそも仕事でフランスなんて生意気よ♪」

「楽しんできなさい」

初渡航の不安は拭えなかったけど、せっかくの機会を楽しまないなんてもったいない!ようやくそんな気持ちになれたのは渡航直前のことでした。


そして結果は…

授賞式にて

最優秀作品賞受賞✨
主演女優賞は最優秀賞をとることができませんでしたが、海外で自分の名前を呼ばれたときにはやはり武者震いが止まりませんでした。
私は誰よりも不安が先に立つし、いつも「どうしよう」と言って周りに心配をかけてしまうけど、この時の経験は私にとってのかけがえのない『自信』となりました。
根拠のない自信が必要な時って少なからずあるんですよね。私はそれに気付くのが遅い。人よりゆっくり時間をかけてしまうんです。
でも、それはそれで私だし、その分大事なことは必ず周りの誰かが教えてくれる。それをひっくるめての私なんだと気付けたきっかけでした。

一人で賞はとれない。
誰かに寄り掛かることが悪ではない。


■これからの「頑張る」

映画祭の話をいただく少し前から、俳優としてさらに高みを目指そう!と始めたのがアクションでした。
私の「どうしよう」は予測ができないから不安になることであって、それならばいつ”その時”が来ても良いように準備をするのみ。

これが後にお話をします、「体育の成績が”2”だった私が黒帯をとるまで」のストーリーに繋がっていきます。

極真空手初段

これからの「頑張る」は自分なりに筋道を立てて、無駄な「どうしよう」を少しでも減らすことができるように努力をすることかなと思います。
昨年末、ある映画に参加をさせていただいて、初めて最初から最後まで冷静で尚且つ心の底から楽しんで演じることができました。
そうそう!これこれ!な感じはいつも、あの頃家族で行っていた映画館に少しずつ近付いている兆しです。

そしていっぱいいろんな気持ちを経験したからこそ出来る今のお芝居でこれからも戦いたいと思います。


こちらでは明日からの気持ちが少しでもほぐれるように、私の経験等を含めて書いていきたいと思います。
俳優としてはまだまだですが、必ず皆さんにいい作品をお届けする!それが私の夢です。

自己紹介のはずでしたが意思表明になってしまいましたね💦
不器用ですが今後ともよろしくお願いいたします!

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