夢の種
私にとって大きな転機だった西日本豪雨災害
その時避難所で仲間が開いたワークショップが
「夢の種をまこう」
ただただ、みんなが夢を語る会
小さなことから大きなことまで
あったかくて美味しいコーヒー飲みたい!!
ハワイに別荘とかあって、行き来したい!!
フリースクール作りたい
カフェを開きたい
子育てマップを作りたい
こうなったらいいなぁ
今これ欲しい!
それぞれがだした夢をグループ分けして
この中で一番すぐ叶えられそうなものを見つけていく
被災しているときこそ
希望を持つことや、未来のイメージを描くことはとっても大事で
ただ、なんでもいいから夢を語ることが大事な会でした。
あるとき、一人の参加者さんが
「で、これっていつ実現するんですか?これだけやりたいことを出させておいて、どうやって実現していくのかを話し合ったり、何か一つでもやらないと、出した意味がない!」
と。
主催の仲間が返した言葉は
「やりたい!と心から思える夢に出会えたなら、よかったですね。おめでとう。それに向けて一歩踏み出すのはあなたです。やってもやらなくてもいい。一歩踏み出せないならば、それは本当にやりたいことではないのかもしれない。だけど、それを知るためのヒントにはなりますね。」
この方は、この言葉の真意を3年後にようやく理解したとおっしゃっていました。
わたしも実は最初おんなじでした。
夢を出していってなんて言われても
何にも浮かびませんでした。
そして、いったからには実現させないとダメなんだって
思い込んでいて、軽々しく夢なんて言えなかったんですね。
だから、絶対叶いそうにない大きすぎる夢をいきなりいってしまったり
叶わなくても言い訳できるから
それを、その仲間は順に降ろしてくれて
それは今はできないね、じゃあ次は?って
それで出てきたのは、寝たい笑
じゃあ寝ようみたいな。。
まぁ、自分の心の声も身体の声も
全く聞けていなかったし、みているようでみてなかったころ
夢を語ることしかしてないと
頭おかしいんじゃないかって言われたりもしますが
それすらできなくなってるってことは
自分がなんのために生きているのかすら
わからなくて
ただただ時間が過ぎているみたいですよね。
挑戦することもなければ
怖いも、楽しいも、爽快感も味わえない
夢があるから、悩むこともあるし
もう嫌だって思うこともあるだろうけど
それが原動力だから、乗り越えられるんだろうなと
今だから、わかります。
願望ではなくて、欲望
自分の声に耳を傾けることをしているようでしていない
トイレに行きたいと身体が教えてくれていても
いやいや、今は行けないからって我慢したり
気がつかないふりをしたり
そんな積み重ねでも、自分の声が聞けなくなる原因になるんだと思います。
今の望みすら叶えられないのに
ちょっと先、未来の夢は叶えられますか?
これからの自分は、今の積み重ねだとしたら
今の自分がどうあれば、その時の自分がどうなっているのか
未来から考えると
今やるべきコツコツがわかるかもしれませんね
夢を語って、みんなを勇気づけるその仲間の
マヤ暦の紋章は「青い夜」
まさに、それですね。
夢は見るものですか?叶えるものですか?
わたしの夢の種の始まり