強烈な嫌悪感の裏側
強烈に「嫌だ!!!」と思う時、
落ち着いたらその裏側を見てみよう。
その強烈な嫌悪感の裏側に
自分の本当の望みが隠れている。
たとえば、両親の心配症・過干渉。
「危ない!やめなさい!痛いよ、、、」
孫が可愛いがゆえに、ケガさせない痛い思いをさせない。と守ってくれているのだと思う。
でも私は、
可愛い子だからこそ
死なない程度に、痛い、辛い、しんどい
思いを経験してほしいと思う。
身をもって経験するチャンスを大人が
つぶしてはいけないのだ。
過干渉に育てられた私だからこそ、
子どもを見守る勇気と根性を持ちたいと思う。
そりゃ、過干渉に口出しできたら楽なのだ。
危ない、やめろと止めたほうが安心だ。
見守るのも、しんどいし根性がいる。
これは親の修行だ。
止めるのをぐっと我慢して見守る。
広い安全は確保した上で、やらせてみる。
コケるから走るな!
落ちるから登るな!
手を切るから包丁は持つな!
そんな親に育てられ、
そんな親と一緒に子育てしていたら
胃がキリキリしてきた。
猛烈な嫌悪感で逃げ出してきた。
わたしはもっと楽しく子育てをしたい。
子どもは大人の操り人形ではない。
あと、過剰に人の目を気にする両親。
自分と似ているから、写し鏡のようで
見るのがツライ。
人目を気にしすぎると、子育ては苦しくて仕方がない。
好奇心旺盛な3歳、
そりゃ人の物を欲しがる。
今日だって、虫取り少年のお兄さんの
タモを勝手に持っていた。
多分この場にうちの両親がいたら
返しなさい!とすぐに止めていただろう。
でも、少し見守っていたら
息子は「かして」と言い
虫取り少年は「いやだ!」と言った。
結局貸して貰えなかったのだけど、
それでいいのだ。
本人たちがやりとりするのを
少し待つ、見守る。
親の目を気にして、先走ってしまいがち。
これは痛いほどにわかる。
これを止めない親って?
自分がどう見られるか心配でならない。
子どものためというより、
周りにいる親のために言っていたりすることもある。
遊具で遊んでいる時もそう。
友だちが並んでいるよ、
順番守ろうね、
小さい子いるから押さないよ、
もう周りの親からの目を気にして
子どもに“させない“ように次々に口出しし
予防線を張る。
あー、楽しくないなぁ。
子どもは案外、分かってるし
どこまでが危ないとか、どうしたらいけない、とか学んでいくのだ。
見守る勇気、
ひと呼吸置いて、、
子どもを信じて見守ってみる。
強烈な、嫌悪感から
わたしの大切にしたい子育ての軸が見えてきた。
子どものありのまま、そのままを受け入れたい。
そのためには、まず私の
ありのまま、そのままを受け入れてあげよう。