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生活記5|外国人から見る日本のこと
ベルリンの語学学校に通い、間もなく期限の3か月を迎えようとしている。
学校にいる人の国籍はさまざまだ。
私が一度でも会話をした人は、韓国、ホンジュラス、メキシコ、サウジアラビア、中国、台湾、アフガニスタン、イタリア、セルビア、トルコ、インド、アゼルバイジャン、フランス、ロシア、アルジェリア、など。
学校外でも、住んでいる寮の近くでいろいろな出身の人と出会った。
ドイツ、イギリス、コロンビア、ポーランド、アルメニア、ウクライナ、ギニア、など。
中にはハーフの人や、生まれた国と育った国が違う人もいて、一概に「国籍」という言葉で表現できないことも知った。
自己紹介のお決まりの質問の中に、これがある。
Woher kommst du?
Where are you from?
どこから来たの?
昔(7年くらい前)、道を尋ねられた外国人に、出身を尋ねようとして国籍を聞いたことがある。
What is your nationality? どちらの国籍ですか?
回答をもらった記憶はあるが、国籍を訪ねるよりも出身を訪ねるほうが、相手の拠りどころとなっている場所をゆだねられてよいと思った。
出会った22か国以上の出身の人との会話を通じて、日本のこと(アニメ、言語、宗教、食事、そのほか)が話題になった。中にはそれが日本のものと彼らが認識していないものもあったので、書き留めたい。
※日本をはじめいくつかの国のことを書きますが、私および私の友人の私見であり、主観であり、偏見であり、特定の人を攻撃する意図はありません。不適切な記載がありましたら、コメント欄および私信にてご指摘いただけますと幸いです。
アニメ
(アニメの話をしたひと)
ドイツ出身、30代
インド出身、20代
アルメニア出身、20代
中国出身、20代
台湾出身、10代
ドイツ滞在において私が何度も感謝することになるのが、日本のアニメ、漫画である。大抵は „Anime“ „Manga“ とそのままの音で呼ばれる。
話題にのぼったのは以下
ドラゴンボール (1984)
バキ (1991)
名探偵コナン (1996)
ONE PIECE (1997)
HUNTER×HUNTER (1998)
NARUTO (1999)
鋼の錬金術師 (2001)
BLEACH (2001)
DEATH NOTE (2003)
バクマン。 (2008)
ONE PANCH-MAN (2009)
東京喰種 トーキョーグール (2011)
プラチナエンド (2015)
アニメの話題になるたびに、漫画でなくアニメが見られていることがとても不思議だった。が、漫画では翻訳文をコマ割りに合わせて再構成し再度印刷をかけるのに対し、アニメならば画面下に翻訳文を表示させるので、ある程度時間とコストが削減できるのだと想像される。
ちなみに、以前書いたFriedrichstraße(フリードリヒ・シュトラッセ)にあるDussmann(ダスマン)という書店では、アメコミ系を揃えた「COMIC」のコーナーとは別に「MANGA」のコーナーがあり、それが4棚を占めていた。先に挙げた原作しかり、浦沢直樹や浅野いにお、少女漫画の数々にBL、百合ものなどが並び、その全てが「ドイツ語に」翻訳されていることに鳥肌がたった。
紙で読みたいという需要が一定数あるようだ。
言語
私が日本人とわかると、知っている日本語を喜んで話してくれるひとが想像以上にいた。
正確にどのくらいと想像していたわけではないが、ケバブショップのおじさま、語学学校の友人たち(韓国、中国、インド)、時々セッションをしたドイツ出身の音楽家、寮の裏庭で卓球をしたアルメニア出身のバス運転手、筑波に留学していたというドイツ出身のスタバの店員さん、など。
「ありがとう」に始まり、その人の興味によって知っている日本語の方向性が異なった。
①
K-POPがすきな韓国出身の女の子は、
「かわいい」「めちゃかわいい」「めちゃくちゃかわいい」を使い分け、
「ちょっと待って」「すごい」など、私が連発する言葉も既に知っていた。
聞けば韓国の友人同士でも日本語の単語を使うことがあるのだそう。時々うっかり、彼女に日本語で話しかけてしまったりした。
②
青春をONE PIECEに捧げたというインド出身の青年は、母国の大学で半年間日本語を履修していたそうで、日本の4種類の文字の名前(ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字)を知っており、そのいくつかを書いてくれた。
そしてONE PIECEで培ったと思われる言葉で積極的に話しかけてくれた。
「その花はきれいです」→大学で勉強した日本語で唯一覚えている言葉だそう
「きっと勝つ」→卓球ダブルスでペアになったとき
「ぶっとばす」→卓球の対戦相手に向かって
「新幹線」→卓球のショットがまっすぐずば!っと決まったとき
「しまった」→卓球でミスしたときに(こういう一瞬のリアクションに母語以外が出てくるのすごい)
「おれはおまえさんさ好いとる」→これはジョーク
「さよなら」→別れ際に
「おやすみ」→彼が「知ってるけど思い出せない」と言うので一度だけ教えると、その後何度も言ってくれて感激した
彼に「おまえさん」と言われたときに、「日本語は話し手にキャラクターを与えられる」のだと気付いた。
身長が190cm近く、天然パーマではっきりとした顔立ちの彼が、江戸時代の砂利道を着物で歩いているような姿がくっきりと想像された。
アニメの中で、例えば
コナンが「僕」
新一が「俺」
博士が「ワシ」
小五郎が「俺」「ワタシャア〜(私)」
蘭が「私」
園子が「あたし」
世良が「僕」
というのが、英語なら「I(アイ)」、ドイツ語なら「ich(イッヒ)」になると思うと、日本語の一人称や二人称のバリエーションは特別だと思う。
③
趣味で日本語を勉強していたという、奇特な(褒めている)男性二人は、偶然どちらも中国出身で、違うタイミングで私に同じ質問をした。
「男が自分のことを『私(わたし)』と呼んでもいいのか?」
質問を受け、瞬時にいろいろなことが頭の中を駆け巡った末に、3つの要点に絞って答えた。
①「私」と呼んで問題ない、ややフォーマルな印象になる
②「僕」「俺」などとというひともいる
③「自分」と呼ぶこともある
答えながら、私の回答の危うさを恐れた。性別(や年齢や立場)によって一人称を決めるような自分でいたくないと改めて思った。
④
学校の授業で、自分のすきなものについて話す時間があった。
ロシア・モスクワ出身の10代の女の子から発せられた単語が「ハチ公」にしか聞こえず、その単語はなんだろうか・・・・・と悩んでいると、何やら映画の話をしており、ようやくそれが『HACHI (2009)』という映画に出てくる「ハチ公」本人(本人?)であると理解した。
「とても感動的な話なの」と優しい顔で話すその女の子と先生の会話がヒートアップし、私を含む他の10人ほどの生徒が置いてけぼりになっていると、「ハチ公の銅像が日本にはあるんでしょ? たしかスブ・・・」と先生が話題を振ってくれたので、「Shibuya, in Tokio! 日本人や外国人がよくハチ公の隣で写真を撮ってるよ」と伝えた。
後から調べたところ、『ハチ公物語 (1987)』の舞台設定を「大正〜昭和の東京」から「現代のアメリカ東海岸の架空の街」に変更して製作されたということがわかった。
「日本だからすき」なのではなく、「すきになったものが日本に関わるものだった」という順序で好まれているのがとても嬉しく感じた。
宗教
ドイツ、アルジェリア、インドの友人数人から以下の質問をされた。
「君の宗教は何?」
「特定の神を信じているの?」
答え方にいつも困っていたが、「無宗教」という言葉は使わずに説明をした。特定の信仰があるわけではないが、お墓参りをするし、神社で参拝をするし、結婚式で教会にいく。何も信じていないわけではなく、場所に合わせて適切な対象に祈りを捧げるのだと思う、という言い方をした。
ちなみに、ずっと違いが分からないでいた「イスラム (Isram)」と「ムスリム (Muslim)」という言葉の違いについて、よい機会と思い調べた。
イスラム (Isram):イスラム教(宗教)
ムスリム(Muslim):イスラム教徒(人)
こういうことだった。合わせて以下も書き留める。
クリスチアニティ (Christianity):キリスト教
クリスチャン (Christian):キリスト教徒
ブッディズム (Buddhism):仏教
ブッディスト (Buddhist):仏教徒
食事
ルームメイトのインド出身の青年に切望されて、日本食と称し「うどん」と「かき揚げ」を振る舞った。
せっかくなのでほかのひとも巻き込もうと、彼のほかにインド・アフガニスタン出身の青年3人と私の計5人で食卓を囲んだ。
当初は蕎麦か焼きそばにするつもりだったが、未知の蕎麦アレルギーが心配だったのと、4人中2人がベジタリアンだったので肉なし・揚げ玉なしの焼きそばでは本領が発揮できないと思い至り、「Udon」と「Kakiage (Fried vegetable)」にした。ちなみに「めんつゆ」のことを「Japanese Secret Sause(ジャパニーズ・シークレット・ソース)」と呼んだら、ウケた。笑
調理中に気づいたが、使用したうどんの乾麺はこちらでは「Wheat noodle」と呼ばれており、つまりは「小麦の麺」である。かき揚げのつなぎも小麦なので、ヴィーガンなど、小麦(グルテン)を摂取しない人には振る舞えない。幸い彼らは小麦は摂取可だった。個人で作れてヴィーガンの人に出せる日本食って、なにがあるだろう。
そんなことを考えていたら、うどんが煮上がった。
私は箸を持参し、彼らにはフォークを渡し、
いざ実食。
う、うまい・・・(私の心の声)(写真はうまくない)
実はこれが、人生初めてかき揚げを作った日になったのだが、人参・インゲン・玉ねぎを使ってオリーブオイルで揚げたそれらは自分的には合格点だった。ネットで見つけたメニューの「片栗粉を使えばサクッと上がる⭐︎」を無視してしまったので、そこは反省した。
とはいえ、スパイシーな調味料を好む彼らの口にこの薄口な味が受け入れられるのか心配で、心配で、心配だった。ひとりふたりと食べはじめると、「あ、うまい」的な感じで素直に喜ばれたので安心した。
ただ、やはり物足りなかったのか、「ソース足していい?」と上目遣いで聞かれ笑、最初はシークレット・ソース(めんつゆ)を足していたものの、普段使っていると思われる赤いソース(チリ的なもの)を足していた。そのときに、一味や七味を用意し忘れたことに気づいた。
食事開始が夜22時をまわっていたこともあり、薄味で軽めな(一人分の量を80gくらいにした)うどんは全体的に好印象だった。
ちなみに、これはまた別な機会にきちんとまとめたいと思っているが、彼らは親しい友人の間で「ありがとう」と「ごめんね」を言わない。アフガニスタンの彼が教えてくれた。
お互いがお互いを思いやって行動し(感謝を言葉ではなく行為で返す)、そのままの相手を受け入れる(責めるでも許すでもない)、ということだと思った。
そんな彼らからもらった言葉は「ありがとう」ではなく、「すごくおいしい」「日本ではフォークも使うの?」「この黄色いのはなに?(小麦)」などの感想や興味だった。英語、ドイツ語、ヒンディー語が食卓を行き交う。
特に嬉しかった言葉があるので、英語のまま書き留めたい。
I will not say “Thank you,” but I really appreciate it that you cooked it for us.
お礼は言わないけど、僕たちに料理を振舞ってくれたことを本当に嬉しく思う。
おわりに
ここに書いたのはベルリンでの体験のほんの一部だが、コロンビア出身で「日本の包丁はすごい!」と言う人や、イギリス出身で「日本の〇〇ってバンドが好きなの」と逆に紹介してくれる人もいた。
改めて、私自身の興味は人と言語に向かっていることもわかった。
彼らと私をつなげてくれた日本のものと、5,000字近い今回の文章を読んでくださったあなたに感謝をしながら、今回の投稿を終える。
寮のそばのウォールペイント。壁に落ちる夕方の木洩れ日。
トラム(路面電車)の後部座席から捉えた線路の連結部。萌えた