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耳と目から入って、口と手から出るもの

手を繋げば触れ合っているのはお互いの手だし、
同じ音楽を聞けばそれぞれに耳を使い、
一緒に食べる料理は舌や鼻、それから目で味わって、
アイコンタクトなら、目と目で伝え合う。

多くの体験の共有が各々同じ器官を使って成立しているのに、対話や書かれた言葉はそうではない。
言葉は、一つの体験を共有しているのに、耳と目から入ってきて口と手から出て行くもの。

その循環のことを思うと、入った言葉はそれぞれの体の中を通り抜け、フィルターやふるいにかけられ、新たな息吹や装飾をのせてまた外へと出て行くのだなあと思う。
共有できる体験として、そんなふうに五感を出入り口として体を"通り抜けて行く"タイプのものは、今のところ他に思いつかない。(何かあるかな?)

まるで、口から入って体の中を通り抜け、別の場所から出て行く食物のように、私たちの体はまた、言葉によっても養われているのではないかと思う。

口や手から発した言葉は、目や耳を通じて発した本人の体の中にも、また入ってゆく。
だから、だれの耳にも目にも届かない言葉というのは、この世に存在しない。




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