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呼吸と同じぐらいの「当たり前さ」

『写真好きなんですね』

そんな風によく言われるのだけど
「写真が好き」という感覚は自分の中にはないな…。

と、思う。

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好きか嫌いか

で言われれば好きなのだとは思う。

友人たちが撮ってくれるカメラを持った私はいつだって楽しそうで、真剣で、時に写真を撮ることに必死で。あんな顔ができるということは、好きか嫌いでいえば好きなのだろう。

でも、私の中では「好き」という感覚とは違うのだ。

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好きなものはたくさんある。

茶道が好き
着物が好き
夜の散歩が好き
三味線を弾くのが好き
いい音楽に触れることが好き
美味しいものを食べることが好き
気の合う仲間たちと過ごすことが好き

どれも明確に「好き」という気持ちが私の中にあって、それに取り組む時は、ワクワクだったり、楽しみ!という気持ちだったり、何かしらのポジティブな気持ちが自分の中に生まれる。

でも、写真は違うのだ。

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私にとって写真を撮ることは

息を吸うのと同じくらい、「当たり前」なこと

そこに「好き」とか「嫌い」とかそういう気持ちは一切存在しない

ただ、「当たり前」に撮る
それだけ。

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もちろん、撮影をしていていい写真が撮れた時は「きた!」と思って気持ちが高揚する。

撮影をしながらモデルさんと盛り上がった瞬間は楽しいし
モデルさんのいい表情を引き出せた時は嬉しい。

でも、“写真を撮る”という行為そのものに対する「好き」「嫌い」「楽しい」「つまらない」という気持ちは、自分でも驚くほど、ない。

本当にただ、撮る。

少しでも心が動いた瞬間
自分の中で記録しておきたいと欠片でも感じた瞬間があれば
何も意識することなく
何かを考えることもなく
ただ、シャッターを押している。

それはもう

息をするのと同じ「当たり前」さで。

これからも、私は、ただ写真を撮るのだろう。

私はが写真を撮るのを止める時は
多分、死ぬ時。

息をするのと同じ感覚で行っている行為は
息をするのを止める時にようやく終わるのだと

そう思う。

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