舞奏☜元片耳難聴

21/女/元々片耳、現在両耳難聴。/ 左耳スケールアウト/右耳63dBほど/#遅発性内…

舞奏☜元片耳難聴

21/女/元々片耳、現在両耳難聴。/ 左耳スケールアウト/右耳63dBほど/#遅発性内リンパ水腫/右耳のみ補聴器/右耳から #耳鳴り24h(10年近く)/ #聴覚過敏/ 私の今までを振り返りながらまとめてます。

最近の記事

アカウント移行について、

お久しぶりです。 最近note全然かけていなくてすいません。 先日、社員にアカウントバレがバレてしまい現在鍵アカウントにさせて頂いてます。 私の詰めの甘さが原因です、、、。 バレてしまったことには仕方なく感じております😫 こんなに沢山の方が見てくださってるアカウントなのですが、鍵も外せずにいるのもなと感じている自分がいるので。 Twitterはアカウント移行をしようかなと思います。 今月中に移行をし、現在使っているこの「奏」のアカウントは完全に削除させてもらいます。

    • #20 補聴器のスタート 《3》

      案内された部屋に行き、入るともう1組おばあちゃんと調整医師さんが奥に座ってて。 手前の席に案内された。 早速補聴器の話をされて、まず試聴しなければならないから「これをレンタルしますね」と、どのメーカーだったかは忘れたんですけど。 補聴器の音になれるために補聴器をその日から貸してくれることになった。 穴の空いていたイヤーチップが出てきて。 「これなら補聴器音だけではなくて、普段から慣れている生活音も聞こえますから」と 教えてくださって、その日はざっくりとした感じで終

      • #19 補聴器とのスタート《2》

        1階に住むAさん宅へ補聴器の話を母と聞きに行った。 よく挨拶する人だったから、はじめましてじゃなかったけどめちゃソワソワした。 家の中に招いて貰い、お茶まで出してくれてそこから始まった。 「私が使ってる補聴器これなんだけどさっ」って 耳かけ式のベージュの補聴器と見せながら 「奏さんも耳鳴り消えなくて苦痛だってお母さんから聞いたんだけどね、私も耳鳴りずっと消えないの」 って教えてくれた。 「この補聴器、雑音流れるから耳鳴り紛らわしてくれるんだよ」って そこで、私

        • #18 補聴器とのスタート

          高校2年夏前(当時17)だったかな。 当時、バイト先はざっくりいえばドン・キホーテみたいに色んな商品を売ってるお店だった。 業務内容は基本的にレジ打ち。たまに品出し。 だから、品出ししながらお客さんが来たらレジに入るって感じのことが多くて 当時は左耳は全く聞こえない、右耳は軽度難聴?だったかな? だから人が来たってことに気づかないことが度々あって「奏さん、レジっ!」 みたいに言われることが全然あった。 店内も音楽流れてるし入店音はないから尚更気づけない。 その

        アカウント移行について、

          #17 居場所

          前回のストーカーの件がひと通り終わり。 とりあえず、これからの学校生活頑張ろうって 踏ん切りをつけようとした時、1つ前の記事に書いた 仲の良い男友達が突然音信不通になった。 クラスみんな、担任含め連絡取れなくて。 連絡が結局取れたのは半年ぐらい先だった。 その連絡が取れた時には「学校やめる」という 話だけ。 中学と違って友達がやめてくことが、あるのが高校なのかって改めて感じた。 卓球部も一緒で、いつも試合してもらったり。 一緒にいて、すごくたのしかった友達

          #16 ストーカーの恐怖

          少し学校にも慣れたあたりで、クラスメートの1人の男子から不快なメールや接し方をされるようになった。 ふざけて、首から服の中に手を突っ込んできたり 何でもかんでも着いてきて。 そして、メールの内容も 「お風呂上がりのリストカットって気持ちがいいね」 「なぜ返信をくれないの?」 「俺が何かした」 「ポテト買ってあげるから許して欲しい」 などなど(メールのスクショは全部残してます) ここまで来るとつまりストーカー。 なんでこうなってしまったか、全然わからなかった。 こう

          #16 ストーカーの恐怖

          #15 高校スタート。

          中学の卒業式も終えて、ついに高校生。 定時制なのでもちろん入学式も夕方から。 中学式、何か着る服を買おうか?と母から 言われたけど1度しか着ないものだしと 中学の制服で入学式に出た。 私以外にも中学の制服の人は何人かいた。 なんなら私服で出てる子もいたな短パンに革ジャン、すげぇ印象残ってる笑 クラスメイトは15人ほどで、男女比率も半々ぐらい。 席はもう最初から窓際だった。 前から三番目、人も少ないから3番目のこの場所が1番後ろの席。 初めての後ろの席だった

          #15 高校スタート。

          #14 意外と楽しかった受験生。

          イソバイドを少しの期間飲んで、それがストレスになって耳鳴りが増したから止めた。 一緒にアデボス、メチコバール。そして漢方。 沢山出されたけど薬飲む習慣が自分に無さすぎて、薬を飲まなくなった。 大掃除した時に一気に捨てたと思う。 もう飲まないだろうって思ったから。 そこから聴力変化とかも特になく、耳鳴りだけ。 24時間鳴ってたけど、今ほど気になるわけじゃないほど小さかったから我慢できてたんだと思う。 耳についてはひと段落して、 中学三年生と言えば義務教育最後。

          #14 意外と楽しかった受験生。

          #13 初のステロイドとイソバイド。

          前回は人間不信になりかけたお話。 その人間不信になりそうだった中学二年の半ば、   その事が多分ストレスだったんだと思う。 少し聴力が落ちて耳鳴りが増した。 (聞こえてる方が) この頃から完全に耳鳴りは24時間鳴り響くように、 大学病院へ行き、聴力落ちてるのと耳鳴りのこと そのため初めての「ステロイド治療」をすることに 錠剤のものだけど、ステロイドはたくさんの副作用が含まれてる なんなら体に負担が大きい薬。 医者から「まだ13歳なので、何かあった時は責任を持

          #13 初のステロイドとイソバイド。

          #12 ソフトと野球とそして友達だったあの子。

          中学時代の部活動について書いていこうかなと思う。 私は中学1年の時はソフトボール部に入ってた。 2年になった時にソフトボール部廃部。 そのまま先輩と同級生に誘われて野球部へ。 ソフト部の時は基礎練だけだったけど、 男女の混合チームになってから、試合とかも出るようになった。 私はセカンド。 ゲッツーとか色々結構頭使う。 なぜセカンド?ってなるけどみんながやりたがらないから 自動的にセカンドになってた。 野球というのは声掛けやサインで合図出したりと 進めてく

          #12 ソフトと野球とそして友達だったあの子。

          #11 前列の一番左の席か左から二番目の席。

          中学は通学時間は30-40分ほど。 入学式の日、みんなが静かに座っていることに驚いた。 席場所も右側。私が聞こえないのは左。 小学校入学式と同じく、式が終わった後に 残り担任と話をして伝えて。 次の日の自己紹介の時にみんなの前で 「左耳が聞こえません。右耳から話しかけてください。お願いします。」 と伝えた。 久々に知ってる人がいない教室だったから。 ものすごく緊張した。 そして少し涙目になった。 1番前の左側の席に移動させてもらうことになり。 1番前の

          #11 前列の一番左の席か左から二番目の席。

          #10 学級崩壊といじめ《続き》

          前回書いたように保護者が授業見なければ成り立たないほどの学級崩壊な感じだったってのを書いたけど。 今回はいじめについて。 前にツイートでもいじめられていたことをツイートしたら「耳が聞こえないことでいじめられてたのか。」と数件質問来てたけど。 耳関連のいじめではない。 クラスのたった1人がいじめられてるとかではなく 男子が女子にいじめてた。 男から男にいじめられてるのもいた。 そういう環境が無理だったのか、元々学校に 来ない子達もいた。 弱けりゃ虐められるそん

          #10 学級崩壊といじめ《続き》

          #9 学級崩壊といじめ。

          耳のことは少し置いといて、小学生6年生の 私の学校環境を書いていこうと思う。 タイトルにある通り、学級崩壊していた。 そしていじめも受けてたし、不登校も数名。 「学級崩壊って大袈裟な」とか思った方 いると思う。私も学級崩壊では無いと思ってた。 その環境が普通だったから。 一部のことをピックアップして書いていくと、 クラス全員で授業受けてることなんてなかったし。 みんな漫画やお菓子は常備してる。 自由席替えとなったら仲の良いグループで 固まるだけ6人グルー

          #9 学級崩壊といじめ。

          #8 ずっとこのままになってしまうんじゃないかという不安に襲われた。❮続き❯

          「鼓膜を切りましょう」って先生から言われて 口ポカーン。ってしてたら準備始まって、 すぐに治療体制に。 「耳向けてね」って言われるがまま先生の方に耳を向けたら めちゃくちゃ痛かった。 痛くて叫んだのは覚えてる(マジ。) その後の記憶正直曖昧なんだけど、 とりあえず、その日は終了して。 数週間後、また病院へ。 鼓膜は無事回復して。 そんとき聞こえてる右耳がどれほど落ちて、 どれほど戻ったかは覚えてないんだけど。 ほぼ前と変わらないほどの聴力まで回復したん

          #8 ずっとこのままになってしまうんじゃないかという不安に襲われた。❮続き❯

          #7 ずっとこのままになってしまうんじゃないかという不安な気持ちに襲われた。

          少し進んで、小学4年か小学5年生初めだったかな。 朝起きていつもと違かった。 聞こえている右耳から音が全然聞こえない。 水の中にいるような感じ。 まだその時はテレビはアナログテレビだった。 本体、ぶっとくて左右にスピーカーがついてるテレビ。 真ん中の下の方には、カセットビテオ?ってやつだっけ? あのテレビのスピーカーに耳を立てても音が聞こえない。 聞こえるんだけど聞こえづらい。 母に泣きながら「え、どうしよう」って ずっとこのままになってしまうんじゃないか

          #7 ずっとこのままになってしまうんじゃないかという不安な気持ちに襲われた。

          #6 いま何が起きた!?

          何事も特になく、 月日は流れて、小学4年生。 その日もいつも通り学校終わりに児童館へ 学童クラブに入ってたから、それが日課。 学童では図工室でお菓子の空箱から何か作ってるか。 体育館にいるのが基本だった。 その日は、体育館でタスケゲームをしてた。 タスケゲームとは散歩ドッヂボールってもので、 みんなが敵、ボール持ったら3歩しか歩けない。 当たったらアウトゾーンへ。 当てられた人が誰かに当たらないと復活することはできないっていうルールのゲーム。 私は当てら

          #6 いま何が起きた!?