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【偏愛】秒でノックアウトされた演奏5選【自己紹介代わりに】
あけましておめでとうございます。
2025年、今年も一年どうぞよろしくお願いいたします。
新年の明ける数分前に勢いとノリだけで始めたnoteですが、いわゆる自己紹介がまだ書けていません。
自分の事をあれこれ書くよりも、私が偏愛する、魅力的に感じる演奏について語る方が、私のことをより知っていただけるのではなかろうか・・
ということで
突然ではありますが
私が
”秒でノックアウトされた” 演奏(録音)5選
ご紹介しようと思います。
ひとつひとつ語ると長くなりそうなので、一言付きでご紹介するに留めます。笑
↑脱稿後:一言で収まりませんでした
1. ベンノ・モイセイヴィチによる リスト=ワーグナー ”タンホイザー序曲” (1954年版)
全曲聴いてほしいのですが、たとえば4'32"~ とか、12'47''~ など、もうピアノの音じゃなくてオーケストラにしか聞こえないんですよね。この辺り技術的にも超難しいはずなんですが、どう克服しているのか、ちょっとよくわからないレベルで凄いです。
このタンホイザー序曲はピアノの名演として、オタクの間ではよく名前の挙がるもののひとつではないでしょうか。
鍵盤のグランド・マナー、モイセイヴィチの圧倒的な演奏。
たった一人の、一台のピアノでワーグナーの楽劇の世界を作ってしまうその様には驚愕しかありません。彼はこのタンホイザー序曲を若いころにも録音していますが、こちらの映像のほうが音楽的に遥かに充実しています。
その壮大なスケールに、もはやオーケストラの原曲が物足りなく感じるほど…!
※個人の意見です
で、演奏後なんですが。何を弾いても微動だにしない・表情変わらない、で有名なモイセイヴィチ(有名な風刺画がありますね)も、さすがに演奏後はお疲れ顔・・。
しかし、ハンカチで汗をさっと拭ってから一言、
「Good night, and Bonsoir」(おやすみなさい、良い夜を)
超難・大曲の後に見せる優美な姿、痺れちゃいます。
2. ジュリアス・カッチェンによる ブラームス ハンガリー舞曲集
手の残像しかみえない、、(1'00"あたり~)
その音楽にはち切れんばかりのエネルギッシュさと人間らしさ、そしてエレガンスが共存し、その点において他の追随を許さないピアニスト、カッチェン。
大好きです。
ブラームスのハンガリー舞曲って、実はピアノソロ版があるのです。現代でもほとんど実演されていないのではないかな…。ほとんど連弾かオーケストラか、或いはヴァイオリン+ピアノ?か‥
ソロ版、鬼のように難しいですからね。(死)
カッチェン、彼は何がどうなってこのテンペラメントを保ったまま弾ききることができるのでしょう。意味不明、半端ない。
彼の演奏は前向きなエネルギーと品性の最大公約数を、求めている感じ、とでも言いましょうか。パワー任せにせず、手綱=コントロールを握ったままいけるギリギリを、常に攻めている感じがします。
唯一無二のピアニスト。ただのヴィルトゥオーゾとは格が違います。
ほかのハンガリー舞曲集もすべて録音が残っているので、ぜひ聴いてみて下さい。
3. ヒルダ・ボルによる メンデルスゾーン 無言歌集より”紡ぎ歌” (3'03~)
小品とはいえ、2分弱あるこの曲。ヒルダ・ボーの手にかかるとまるで初めから最後までワンフレーズで歌いきるような、一筆書きでさら~っと書いてしまったような、そんな演奏で仰天しました。
名演奏家たちの録音が数多く残るこの曲ですが、優美さ・滑らかさ・糸のように途切れないフレーズ・快速テンポと何拍子も揃ったこの演奏が個人的には圧倒的優勝。今ではほとんど名前が挙がることはありませんが、憧れのピアニストです。
4. クララ・ハスキルによる シューマン アベッグ変奏曲
アベッグ変奏曲って、地味に長ったらしいし、この曲の何が良いのかなあ・・と思っていた自分の認識を180度変えてくれた演奏。
冒頭の右手のフレーズ&左手の連打音って、普通はちょっと鈍臭い感じに聴こえがちだと思うんですが、凄腕ピアニストの手にかかるとこんなにちゃんとフレーズに聴こえるんだなあ、と。
クララ・ハスキルの真髄と言えばバッハの半音階的幻想曲とフーガなど、”孤独”を感じさせる演奏だとも思うんですが、このアベッグ変奏曲のような作品も素晴らしい。
後に続く変奏も本当に鮮やか、あっという間に駆け抜けます。
5. ブルース・ハンガーフォードによる バッハ=ブゾーニ トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調
これこそ、秒でノックアウトされた演奏の筆頭。
ピアノを弾く方ならわかると思うのですが、冒頭のスケール・オクターブでの上がり下り、普通はこんなに完璧なリズム・息遣いでは弾けません。。
この人の場合、もの凄いテクニックを持ちながらも、全くテクニック先行の気が見えないのが素晴らしいポイント。聴き続けるとわかってくるのですが、非常に硬派・真摯に音楽へ向き合っており、目の覚めるようなテクニックは彼の理想とする音楽を達成するためのツールに過ぎないのです。
ブゾーニ編のこの曲が全くヴィルトゥオーゾ的に聞こえず、ただただ神々しいオルガンの音を大聖堂で浴びているような、そんな気持ちになる演奏です。ぜひ最初から最後まで聴いてみて下さい。
この人はバッハの編曲ものが他にもいくつか残っていますが、ひたすらに音楽へ身を捧げるその姿勢とバッハの音楽との親和性が非常に高く、どれも名演です。
いかがでしたでしょうか。
今回は”秒でノックアウト”がテーマだったので音楽的にも技巧的にも華やかな曲が並びましたが、たとえば抒情的な演奏についても、またの機会にご紹介したいと思います。
私と演奏の趣味が合いそうな方、ぜひご連絡ください。繋がりましょう!
とある演奏を素晴らしい感じるかどうか、には個人差があります。
ある人にとっての最高の演奏が、誰かにとっては取るに足らない演奏に感じられるものです。
大切なのは、自分の心が動いたかどうか。そして自分が惹かれる演奏を探していく過程を通じて聴き手である自分自身を知っていくこと、だと思います。
ちなみに私には、好きな音楽作品もたくさんありますが、それ以上に、「演奏」、つまり演奏家たちが作品にどう向き合っているのか、を聴くことに重きを置いています。
いまのクラシック音楽は基本的には他人の作品を演奏する訳なので、本来演奏家に求められる姿勢は「自分がどう表現して、人にどう見られるか」ではなく「この作品がどう演奏されるべきか?」というリスペクトを持った姿勢である筈です。
この答えのない問いに演奏家は向き合い続けるわけですが、そうするとその人の演奏には段々と、演奏家自身も気づいていない本人のキャラクター・生き様のようなものが無意識に染み出てきます。
「音楽は往々にして言葉よりも雄弁」と言いますが、この言葉の差すところは上記の様に、無意識のうちにその人の品性が出てくる・ありのままの姿が見える(見えてしまう)、そういうところだとも思うのです。
そして、その奢り無く音楽へ向かう姿勢が洗練されたテクニックと融合したとき、何か人間の未知数なパワーとでも言えるようなものが放たれ、人の心を打つ演奏になる…そんな気がしています。
今日ご紹介した演奏家は漏れずに皆、持っているものです。
”クラシック音楽” を面白くて奥深いものにする理由は、こんなところにあるのではないでしょうか。
ついつい長くなりましたが、語り尽くしたい大好きな演奏はまだまだたくさんあるので、ぼちぼち書いていければなあと思います。
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カナダ留学より完全帰国して初のリサイタルが1月23日(木)めぐろパーシモンホール(小ホール)にて開催されます。
ヘンデルからはじまるロマン派への流れ、と題し、なかなか見ない面白いプログラムになっています。ご興味ありましたら、ぜひ。
鶴澤奏 ピアノ・リサイタル
ーヘンデルから始まるロマン派への流れー
□2025年1月23日(木)19:00開演(18:30開場)
めぐろパーシモンホール 小ホール
□出演
鶴澤奏(ピアノ)
ゲスト:鈴木皓矢(チェロ)https://www.koyasuzuki-vc.com/
□プログラム
ヘンデル:シャコンヌ ト長調 HMV435
C.P.E.バッハ:自由ファンタジー 嬰ヘ短調 H.300
フォルクマン:歌の本 Op.17 より
ベートーヴェン:「マカベウスのユダ」の主題による12の変奏曲 WoO.45
ブラームス:ヘンデルの主題による25の変奏曲とフーガ
□チケット
一般 4,000円
学生 2,000円
*全席指定
□チケットのご購入・お問い合わせ
・TEKET (操作が簡単でおススメです)
https://teket.jp/6610/42881
・イープラス
主催:みのりの眼
https://minorinome.com/
鶴澤奏