とあるお芝居の上映会の感想 -「対話」の視点から-
核のゴミについて扱ったとあるお芝居のDVD上映会が札幌で開催され、最後に「対話」の視点で感想を話して欲しいと頼まれてお話ししました。そのときの言葉を記録に残しておきます。
(上映会終了後)
セリフの言葉がたくさんで、登場人物の感情がたくさん入ってきて、ずっしりと重たい状態にいますが、私が普段仕事としている「対話」という視点で感じたことを少しお話しします。
お芝居に何度もでてきた「分断」は、説得や主張では変わらない。その人個人の気持ち、怒り、悲しみ、願いや祈りを話すこと、聞くことで何かが動きはじめたと感じました。対話ができることは、異なる意見や価値観を持った人と出会って、話し合いを重ねて、自分も相手も考えが変わっていくことです。自分の考えはどんどん変わっていい、そこを楽しむこと。
相手がどうしてそう主張するのか、自分とは違う意見を持つ人がなぜそう思うのかを想像する、イメージを思いはせることが演劇を通じてできました。自分とは違う人の気持ち、その人が守りたいもの、あの人が信じているものがありました。
演劇を通して、対話がうまくいかない、話がうまくできない相手の頑なな心身を持つに至った背景を想像することができました。
また、自分の考えを伝えることで対立が起こり、これまでの関係性が変わり、悲しみや苦しみがありました。
「分断はいつも外からやってくる。俺たちができることは繋がり続けることだ」というセリフがありました。
この対話のような歩み方は、外からの大きな力で潰されてしまうかもしれない、変わっていくスピードは遅いかもしれない。けれど、ひとりひとりが意思を持って変わっていく確かな歩みだと思っています。
最後に、寿都で町民の会主催の対話の場「くっちゃべる会」がこれまで行われてきました。
寿都で今起こっていることを多くの方に知っていただきたいです。