あなたのコミュニティにおいて、以前は不可能で今は可能なことは何でしょうか?
2020年5月6日
2年ほど前に「災害支援」という分野で活動が始まった時、これまで北海道という地域の枠組みやファシリテーションという分野の枠組みが大きく想像以上に軽やかに外れたことを感じた。たった2年ほどで全国の人達とやりとりが始まり、たった1年足らずで東京の全国フォーラムに参加している自分がいた。北海道を外から見ることができたし、ファシリテーションという分野での全国の人達とも距離がぐんと近くなった。この感覚に近いものが、この状況下で起きている。
オンラインでの機会が増えたことにより、国や地域という枠組みが軽やかに解けていく感覚がある。海外のイベントにボタン一つで参加することができ、全国で活躍する人と一緒に参加する場が突然得られたりする。飛行機を予約して、宿泊を予約して、家族の調整をしてという準備が全くない状態で突然そのような機会に立ち会えるのだから、びっくりする。すでに国を超えて活動していた方にとってはオンラインのボタン一つでつながるという感覚はすでに日常的だったのかもしれない。これまでの自分の心の中で備わっていたハードルが粉々に崩れていく。
以前できなかったこと、というより、私の中にあった無意識の壁やハードルができないように思わせていたことなんだと思う。世界中がこの状況下でいま、全員が等しく困っている。何の正解も、正しさも、間違いも、前例も ない。だから、いま必要なことはいつでも私たちは始めることができる。私たちが持っているものを惜しみなく使うことができる。以前よりも仲間との対話とプロトタイプが必要であり、できる状況にある。
そして、私たちのコミュニティの価値を今の私たちの言葉で言語化する時に来ている。この状況で私たちのコミュニティが存在する意味は何だろう。北海道でともに話し合い、活動していく意味は何だろう。こういった話し合いがより研ぎ澄まされていく。対面で会えなくなったけれど、オンラインんでの対話の時間は以前よりも増えているじゃないか。
私たちにはこの10年間、地域で活動する人との繋がり、そこから波及していった人や活動、一緒に話し合った仲間、コミュニティの活動を通して知り合った人達、そして講座や研修や話し合いの場の経験の積み重ねがある。これらは何のためにあるのだろうか?
私はまだまだ殻に閉じこもってしまっている。頭で考えて動かずに仲間内と話をしている。