自分自身の生活でどんな変化に気づいていますか?以前よりもっと注意を払っているものは何でしょうか?あまり注意を払わなくなったことは何でしょうか?

2020年5月5日

今を記録しておきたいので自分への問いと今の考えを書き記しておく。

以前より注意を払っているものは、

子供達のこと。学校や保育園に行かなくなったいま、一緒にいる時間に何ができるか?どう過ごすか?何を作り、何を食べるか?テレビを見る時間はどのぐらいにすべきか?祖父祖母に会いに行くかどうか?これまで向き合ってこなかったことに向き合う時間を作り出している。

大事な居場所にきていた人たちのこと。「もし都会のマンションで一人暮らしだったら」「赤ん坊と二人っきりの暮らしだったら」「親の介護をしていたら」「居場所に助けられていた人たちがそこに来れなくなったら」思い馳せると、自分だったら耐えられなくなると強く思う。私にできることは何かをずっと考えている。

自分の団体のこと。いま、何を考え、何を話し、何を発信し、共に何を行動すべきなのか。以前より焦っている。ただ、そろそろ考え続けながらも、動き出そう。

私自身の生き方のこと。生きる力をつけたい。身体の感覚を大事にする。身体に意識を向けると、頭が非常に重たいことを感じる。下半身がいつも冷えていることも感じる。重く冷える部分を温めよう。味覚は毎日変わる。味覚の変化と身体の変化を合わせて感じとってみる。土をおこし、雑草を取り、鹿柵をつけ、この時期に合った種を植えて野菜を育てようとしている。


あまり注意を払わなくなったものは、

これまで掲げてきた私自身の目標やなりたい姿やビジョン。そこに関心が薄れた。組織を大きくしたい、あの人のような仕事をしたい、自分の次の挑戦はやったことがないことだという気持ちがいまはリセットされた。

引っ越したいという気持ちがなくなった。この状況下でここで暮らしていて本当によかったとさえ思えている。子供達の通学や通勤を考えると不便に感じていたが、いまはそれよりも「暮らしたい生活」はここの方がずっとストレスがない。食べるものを育てることができる、おしゃべりできるご近所さんがいる、子供が遊ぶ公園がある、毎年変わらない自然がここにある。

つながりや学びの場がオンラインになって、地域や国籍や分野をこれまで以上に軽々と越えられている。


以前も今も変わらないんじゃないか、と思うものは、

「いまこの状況で私たちができることは何か」と考え続けること。やってみること。この気持ちは以前も今もいつも変わらない。いま、必要だと思うことをしたいと思い続けている。必要とされる声にも全力で応えたいとも思う。それは私が心から信じていることであれば、どんな声にも全力で応えたいと思う。災害支援の活動も、居場所づくりの活動も、対話の場づくりも、人のエンパワーメントもどれも以前と変わらない大事なもの。

誰かと何かをするということ。以前も今も、「誰か」が私の場合は必要である。自分に自信がないという表れかもしれない。「誰か」と何かをすることでエネルギーやそこから広がる影響が倍以上になる力があると確信するからだとも思う。この確信がないとファシリテーターやNPOの組織運営はできないと思う。

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