2020年2月〜5月まで

忘れないように記しておこう。
2020年2月末から5月1日の今日までで私に起きていること。

2月28日北海道で緊急事態宣言が出る。テレビで鈴木知事をみていた。道内の小中学校に一斉休校を要請。札幌市は当初、3月6日までの休校を予定していたが、ほかの自治体にあわせ3月13日まで休校となる。我が家は夫の1年間お疲れ様をしていなかったこともあり、こっそり半額になった温泉旅館で家族の慰労会をした。この時期はまだ「宿泊キャンセルが多くなったので来てください」ムードだったけれど、4月になり「札幌からは来ないでください」ムードに一変した。

私の仕事は少人数の委員会以外は全てキャンセル。ただ、3月は報告書を仕上げる、チラシを作成する、今年度の計画、全道交流会、総会など内部でやることが細々とあり、とにかくその作業を進めた。気持ちは、子供達の過ごし方に翻弄されつつも、ずっと底辺で答えの出ないことを考え続けていた。「私たちの活動が必要とされていない」「私が信じてきたものが大きく変わってしまった」「私は何がしたかったのだろう」「どうやって生きていきたいんだろう」。経済的な心配も大きかった。
 
3月16日の1時間半、18日の1時間半、分散登校で最後の3年生のクラスがこれでお別れとなる。3年生の最後の方の授業がなくなり、教科書も中途半端に終了。先生も子供たちもちゃんとお別れしたかったはず。PTAの取り組みで納得できないことがひとつ起こったけれど、直接先生とお話もできないままPTAも終わる。3月25日1時間程度の修了式。この時期、これまで通りの卒業式ができない子供達の報道を耳にして悲しくなる。また長い春休みが始まった。

まだこのころは、やることはたくさんあったので、保育園に行っていたし、ミニ児童会館にも行っていた。私も仕事ができる時間はこれまでより短いけれど、集中してただやるべき作業は進めていた。おかげで中間報告とダイジェスト版チラシが完成した。嬉しかった。1日にマーキーの対談をZOOMで参加した。この時に、マーキーの言葉を聞いて思わず号泣したことを覚えている。私の気持ちがどっと外に溢れ出た必要な時間だった。「ああ、私は思いっきり泣きたかったんだ」と心から思った。

1日からの1週間は、自分の舵を大きく切り替えた。私ができること、私たちがやるべきことは何か?を探したし、オンラインの可能性も見出そうとして練習した。オンライン飲み会、対談、対話の場づくり、たった1週間で毎日数本のオンライン会議を続けて、週末疲れて動けなくなった。オンラインとオフラインの仕事と生活のバランスがわからなくなっておかしくなった。

4月6日は滞在時間2時間弱の始業式の日。新学期が始まるも4月12日、札幌市長と北海道知事が共同で会見、札幌市内の小中高校および近隣の高校の休校を要請する。期間は4月14日から5月6日まで。新しくなったクラスにはわずか4日間しか行けないまま休みとなった。家庭での学習が本格的に始まった。学習指導要領のようなものがネット上で公開されそれを印刷して子供と勉強する毎日が始まった。復習の宿題じゃなくて新しくならう勉強をしていくのだから、子供一人では到底できない。こんなにも息子に向き合って勉強をするのは小学校に入ってから初めて。もうこの際、午前中は子供の勉強に集中して一緒にやろうじゃないか、とようやく自分の中で腹を据えて子供と教科書を読み始める。がしかし、子供にとっては居心地が悪かろう。私の言葉もつい乱暴になる。しかも娘もいるのだ。絶対に邪魔をしたくなるに決まっているし、娘だってかまってほしい。が、「音を出して遊ぶなら向こうの部屋で遊んでて」と言い放ってしまう私。24時間一緒にいるお母さんの顔が怖かったり、イライラしていたり、話を聞いてくれなかったら、子供達の気持ちの行き場がない。申し訳ない気持ちで潰れそう。

日々、私の中で「初めてだけどやってみよう」「辛いけど大事なことだからやろう」「子供にとって大事なことだから毎日やろう」とポジティブに捉えようとしてた事柄が、音を立ててストレスに変わっていく。ネガティブを吐き出すと、子供達のストレスや不安も高まる気がして出したくない。ポジティブなことも、ネガティブなことも言葉に出して発すること自体が億劫になる。これは黄色信号。

組織のこれからも大きく揺さぶられていた。組織基盤を整えたいと力んでいた2月からたった2ヶ月しか経っていないのに、仕事がゼロになり、これまでやってきたことができなくなり、先が見えない、これまでと同じ歩み方はできない、、わからなくなってしまった。

感染リスクを考えると、保育園に行けるけど行かない。ミニ児に行けるけど行かない。おばあちゃんいるけど会わない。買い物も必要なければ行かない。っと、どんどん外とのつながりが失われていく。私はまだオンラインでつながりがあるが、子供達のつながりは全くなくなった。
 
すでに特別措置法に基づく緊急事態宣言が7都府県を対象に出されていたが、4月16日に全国に拡大。全国の小中高校が5月6日まで休みとなる。そして今日、さらに10日まで休みとなった。 

本日5月1日、子供達の笑い声や騒ぐ声のなかで一緒にいられなくなる自分になってしまった。何もしていない、何も考えられない、ご飯作りたくない、何も食べたくない、掃除したくない、子供達と話したくない、誰かの何かの発信も聞きたくない、夫に八つ当たり、どーでもいい。どーでもいい。

一人になりたい。

この状態、産後の自分を思い出した。3.11直後の自分の状況とも似ている。


今の自分に言えることは、これだろうか。

「とにかく、やりながら迷いなさい。具体的に進めながら悩みなさい。何もしないで迷うのとは質が違うから。」

いや、こちらだろうか。

「まだ、何かをやり始めることに焦らないで、自分の中の普遍的な価値に出会う旅を続けなさい。次に世界が変わった時に変わらずに立っていられるように。」

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