「学校に行きたくない」からのギフト
8時20分のチャイムがなって朝の会が始まる時刻。
この時刻を過ぎると、子供達のわいわいと賑やかな時間とは、
まったく別の時間が小学校の校門や玄関で流れ始める。
背中を丸くして重たいランドセルを背負ってトボトボと歩く子。
その後ろにはお母さんが真剣な顔をしてそっと歩いている。
止まっている車にはお父さんが乗って見つめている。
しばらく玄関のあたりでお母さんと話し合っている子供の姿。
玄関のドアを開けるてはみるけど、出たり入ったりしている。
靴箱のところでうずくまって動かない子。
先生が隣にやってきて話をする。数分後には玄関を開けて
帰っていった。
どの子もランドセルが錘のようにやたらと重たく見える。
「学校に行きたくない」
今日、学校の玄関まで行ったのだけれど、
息子は学校を休み、家で過ごした。
「自分でも休みたい理由はわからない」と。
そのあと担任の先生から心配して電話がかかってきて、
「学校に来たら、生き物を飼いたいという話の続きをしようと
伝えてください」と言われたので、それを息子に伝えた。
すると、
「僕、クラスで生き物を飼いたいと提案したのさ、」と話し出した。
息子「僕はカメを飼いたかったのだけれど、多数決でカメは無くなった。カブトムシか魚になりそう。多数決で決めるって嫌な気持ちになる。多数決じゃない話し方ってあるのかな。」
私「そうね、まずみんながどう思っているかを話したり聞いたりできるといいよね。カメのいいところ、カブトムシの好きなところ、魚がいい理由を聞いたりすると、自分の考えが変わったり、より確信したりする。みんな違うんだねということを知ってから、決め方として多数決すると自分たちの気持ちは違うかもしれないね」
息子「自分の意見をみんなの前で言えない人もいる。僕も恥ずかしくて言えない。でも、理由を話したり聞いたりしたい」
私「恥ずかしくてうまく言えないことあるね。紙に書いてからそれを読むとかできるかもね。あと、お隣の人とまず話してみると大勢の前でいきなり話すより話やすいかもね」
息子「今、コロナで隣の人と席が離れていておしゃべりできない。密になるから」
私「そうか、それなら紙に書いてもらう方がいいのかな」
息子「あと、「わからない」とか「どっちでもいい」という意見もあるから、
カメかカブトムシか、じゃなくて「わからない」という意見も言えるといい。
今日の僕の気持ちみたいにわからないこともあるから。」
私「うん。」
珍しく1時間くらい彼は話し続けた。普段、ふたりで1時間、話をすることなんて滅多にない。なんて素晴らしいのだろう。彼の関心、視点、感覚、全てを大事に丁寧に育みたい。一緒に歩きたい。