エゴを断ち切る
毎週日曜日の早朝、読書会に参加をしている。
ジョアンナ・メイシー「カミングバックトウライフー生命への回帰 つながりを取り戻すワークの手引き」を読み合う時間。次へ次へという本を読むときのスピード感とは違い、しっかりと味わい、体験し、振り返ることを大事にした1時間なので、本当に味わい深く贅沢な時間をいただいている。同じ時間にそれぞれの場所からいっしょに学ばせていただいているみなさんとの出会いに感謝。
今年は、淡路の研修から始まり、出会いから毎週のコーチングの時間をもち、できるときに数分のヨガで身体を確認して、日曜の読書会で瞑想するような「自分は何のために生きているのか」自分の中の中心軸を問う時間をもてる流れが40歳になっておとずれていることに、自分でも正直驚いている。
それでも、まだまだ全然、自分の内側のことはわからない。
今日は「エゴを断ち切るダンス」でエゴ人形をつくる。
自分の感情に向き合いながら紙粘土を手のひらのなかでこねる。
たくさんの気持ちや人の顔が湧き上がってくるものを、紙粘土の中に混ぜ込む。
真っ白で軽い紙粘土がエゴなんだと最初は思い込むことが難しかった。
すると、両手のなかから大きな鼻が盛り上がってきた。そこから、深く大きな目のくぼみをつくり、避けるくらいの大きな口をなぞった。
そして、大きな耳を深く掘った。
大きな鼻、目、口、耳、頭。
なぜか、高齢の男性のような顔つきが浮かび上がってくる。
シワを指でなぜながらシワを伸ばして取っていく作業が愛おしさにかわった。これも自分なんだなあとか、よく頑張ってきたなあとか、
両手の中で転がしながら、温めながら、いろんな思いを馳せた。
作り終えたあと、自慢げに大げさにエゴ人形を発表する。
じぶんのエゴ、嫌なところ、超えたいものを高らかに自慢することが難しかった。そして、相手の人形を大げさにほめる。大げさに褒めることも難しかった。褒められることも、ほんとかなあと照れ臭さが大きかった。
自分をまどわすもの、振り回すものを断ち切りたい、それがエゴだとしたら、形として現れてくれた人形に感謝と愛おしささえ感じてしまうものなのだとわかった。
でも、別々に生きていける。
以前、夫がこれまでの日記を焚き火で燃やしていた。
燃やすとは、こういう感謝とお別れなのだなとわかった。
たくさんの感謝の感情とでも別々に生きていこうねというお別れとが必要なのかも。
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