ちょっと待ってください。その進め方は私にとってすごくストレスです。
私が住んでいる地域で誰でもが来れる居場所を作っているところがある。私は月に1回、そこで話し合いの場のお手伝いをしている。自分の子どもが小さい頃、よくここにきて他の大人に遊んでもらったり、私もほっと休ませてもらったりとたくさん助けられた大事な場所。ここは普段から話すことや聴くことを大事にしており、だけどなかなかゆっくり話ができないので、月1回お話しする場を作ってみないか?と2年前に提案してスタートしました。
事前にスタッフと打合せをして、スタッフが抱える悩みを話し合い、新しい進め方を提案した。実際に3人でやってみたりもして「よし、これを提案してみよう」となり、当日にスタッフが進め方について説明をしました。
説明した直後、一人の参加者が声を荒げて言いました。
「ちょっと待ってください。その進め方は私にとってすごくストレスです。そういう練習をしにきたわけではありません。貴重な時間を使ってきているので、そのような進め方になるならば私は帰ります」
そのエネルギーはとても強いもので、私はその方自身の何か辛い経験を思い出させてしまったのか、ここに来るまでに別な大きなストレスを抱えてきていたのか、そんな背景まで考えてしまうような言葉だった。
でも、そこから変わった。
「あ。こうやって、自分の本当の気持ちを言っていいんだ。私はどうしたいんだろう?」と思った人もいたと思う。発言した本人も「自分が思ったことを正直に言いたい」と思って言ってくれた。それはこの場や参加者を信頼しているからこそ言える勇気ある意見でもあった。
「では、他の人たちは今日の進め方についてどう思いますか?」と、まずは今日のこの場の進め方について参加者と一緒に決めていく流れに変わった。
参加者は改めて今日の2時間の進め方について自分ごととして考え、意見を言い、他の人の意見を聞いた。一通り意見を言った後、この場の進め方についてはこのままお話ししたい人が話す、聴きたい人は聴く、というスタイルに戻った。
結果的に「その日に来た人たちでその日を過ごす」というここが大事にしている想いと同じ「その日に来た人たちで話し合い方を決める」となったのだ。これはすごいことだった。
それができる場であったことに私は立ち会えた。
そのことについて、後日振り返る時間を持てた。何が起こっていたのか、何が見えていたのか、これからどう活かせるか、何を変えて何を変えなくてよいのか。この時間が私たちを成長させている。