久しぶりにnoteを更新したら面白そうなハッシュタグ #はたらくってなんだろう それはそれは今のあたしにうってつけ。少し話をします。 私は今大きな決断をしたところです。 それは退職。年度末で退職します。 12月に入って上司に伝え、すったもんだありましたがようやく承認されたところです。 10年働いた精神科の病院。今は病棟主任にまでなりました。 このまま勤めていれば昇進していくのはなんとなく想像ができて。それが理想だという人もいます。 ただ、私は違いました。 こ
心地いいことを一旦知ってしまうと それに依存し それを求めてしまう それが人間で 脳は快楽をよく覚えてしまうから なかなか抜け出せなくなる。 自分の弱いところを補うために いやなことを忘れるために 心地いいことを求め 自分の生活が汚染されていくのは避けたい 目を覚まし もっと違った方法で 自分を補えれば 自分の納得する自分に出会えるのだろうか
今が一番若い瞬間で、刻一刻と年老いていく。 それは皆平等で、同じ時を刻んでいく。 年老いていくことを悲観するのか、 はたまた一番若い今という瞬間を楽しむのか、 それは自分次第。 アンチエイジングという言葉がはやっているけれども 年老いることに抵抗するよりも 年老いることを楽しんだ方が良いのではないかと思っている。 シワは笑って生きてきた証拠 シミは太陽の下で歩いてきた証拠 荒れた手は誰かを守ってきた証拠 そんな風にとらえればシワだってシミだって愛着がわい
かなでのnoteへようこそ! 主にTwitterやnoteで発信をしておりますので そちらで交流させていただいている人も はじめましての人も まずこちらのnoteにお越しいただきありがとうございます(^^) 来ていただいたからには有意義な時間を過ごせるように頑張ります(^^) ところで・・・ 誰でもすぐできて、 しかもラクできる 認知症のケア方法があったら魔法のようだと思いませんか? そんなのあるわけありませんよね? いや・・・ あるんです(^^)!!
出会いがあれば必ず別れもあり その繰り返しで人生は成り立っていく。 今関わっている人とずっと一緒にいることは難しく むしろ新しい関りを求めていった方が刺激となり自分を変えることができる。 良い方向に変えるか、悪い方向に変えるか、それは自分次第で。 もし今の自分に満足していなかったら、まず関わる人を変えたほうが良い。 人は一人では生きていけない。だから他者から影響を受ける。 なりたい自分に近い自分物を探して自分からアプローチしていく。 それがなりたい自分に近づく
常識って誰が決める? 常識って何? お作法のような一般常識とは違い、個々人の判断基準となっている常識っていうのは個々人によって違うもの。 自分の常識と相手の常識は違うんだと知っていた方がいい。 「常識的に考えてさ・・・」って それはあなたの常識で測ったから、他の人の常識とは外れている可能性もあるのだよと。 常識を「ものさし」と考えてみる。 ものさしの目盛りが違っていれば、当然同じものを測っていても結果は違う。 本来、ものさしの目盛りはみんな同じ。 でも、個々
夢や目標の限界は決めたくないけど 落ちた時、凹んだ時の限界は必ずあって 絶対底につくから大丈夫 底なし沼なんてなくて 絶対底はあって地に足がつく時がくる 地に足がつけば踏ん張れて上にあがれる だから大丈夫 思いきり凹んでいい それが糧となり 未来へ繋がる一歩となる
気分の浮き沈みは誰にでもあって それはしょうがないこと。 浮いたり沈んだりするのはあまり気にしなくてよくて 大事なのは 自分が今浮いているのか、沈んでいるのか知っていること 今の自分の状態を把握する。 これって簡単なようで難しいものです。 今の状態を把握して、それを決して否定しないことが大切。 自分を否定してはダメ。 嫌な自分も受け入れると楽になる 受け入れてどうするのか。 今の自分にあった選択をしていけばいい。 沈んでいるなら休む、ゆっくりやる、無理
臨機応変な対応って、便利な言葉で どうにでも当てはまるし、結局全部それでしょ!って感じがするので難しいですよね。 臨機応変に対応できてれば誰も悩まないし。誰も聞かないし。 すべてうまくいきますよそりゃ。だってその場に合わせた対応ができているのですから。 臨機応変って「個別的に対応しましょう」って、「その個性を把握して対応しましょう」ってことだと思うんですけど、 知りたいのはそこじゃない。 臨機応変の中にも方向性の芯となる部分って必ずあって。 ここは曲げちゃいけま
「あー、最近忘れっぽくて嫌になっちゃう」 ってよく言ってませんか? 周りからも聞こえてきませんか? 年齢と共に必ず来る忘れっぽさ、覚えられなさ。 それは必然だけど、数分前の記憶がなくなるとショックだったりしますよね。 あれ、今何しようとしてたんだっけ? あー、あれ買おうと思って出かけたのに結局違うの買って満足しちゃった。 えっと、誰でしたっけ? なんて、日常茶飯事になっていませんか? 私は精神科の看護師をしていますので、なんだか変な相談を身内や知人から受ける
裏切られるのもまた人生 今は辛くても 自分の人生に必要なことだったと 気づく時が必ずくる
仕事復帰して5カ月 仕事に家事に子育てに 突っ走ってきました。 それはもう、我をわすれて日々を過ごしていた感じです。 かろうじてTwitterは続けていましたが noteはなかなか更新できず もっとできるかなと思っていましたが、 三兄弟の相手は思った以上に大変で 身も心も疲れ果て noteまでこれませんでした。 でもやっぱり いろんな人の考えを知り 自分の考えを表現することって大事ですよね。 これまで日々を過ごすことに必死でしたが これからは自分の
目の前の小さな当たり前が 実はすごく幸せだったり それは日常になってしまったから特別感がなく 普通の感覚になる なくなって気付くのは遅い 人はないものねだりだから できないこと、制限されること、自分の不幸を棚に上げ 今の状況を悲観してしまう。 でも実は恵まれたことはたくさんあって まず日本に生まれたこと、文字が読めること、ネットができること そのすべてが幸せなこと 足るを知る これが今の私に欠けていること もっと足りていること、今の現状と向き合い
嫌な感情を抱いていると そんな自分が嫌になる。 自己嫌悪 でも嫌な感情を抱くのは 人間である限りしかたがないこと。 嫌な感情を抱いたときに どう処理するか どう表出するか どう向き合うか そのあたりが自分に求められるスキルであり ここがうまくいけば 人生生きやすくなると思う。 まず感情は自分の一部であるので 感情を否定すると 自分の一部 人格の一部を否定しているような感覚になる。 それは辛い。 どんな感情もひとまず受け入れて認める。 抱いて
誰かひとりができることは 可能性が限られていて 人に教えること、伝えること、見てもらうことは 多方面で利点がある ただ 一人でやった方が簡単で 自分のペースで黙々とできるから 心地よいしストレスも小さい 誰かがそこに関わってくるだけで ストレスは増幅する その時の優先順位を意識する 先の未来を想像する そうすれば、今は一人でやるべきか、教えるべきか 自ずと答えは出てくる 時間は有限であり 人生は必ず終わる 「自分だけができる」という利点は 今
始める時 決断する時 そういう時は自己中でいいと思う あれこれ考えていたら何も決断できない。 それは時間がもったいない。 時間は有限であり 限りある自分の人生は、ほかの誰でもなく自分が生きている。 他人は自分が思っているほど助けてくれない 自分が思っているほどこちらに関心がない だったら他人の顔色うかがって 組織のバランス考えてなんてやってないで 自分に素直に 自分のやりたいことを やったほうがいい そのほうが どんな結果になったとしても納得でき