「イヤホン」:ゴールデンボンバーの曲感想
ゴールデンボンバーのファン歴一年未満が、順番とか文章構成とか知識とか、そういったことを脇において、脳味噌の中身を外部出力した文字の羅列です。
こんな風に思う人もいるんだな、程度に見て頂けると幸いです。
「イヤホン」について
好きな曲はたくさんありますが今回は「イヤホン」について。
「ミュージックアーティストとしての立ち位置で描かれていることが明確なのが凄い!」と感動しました。
今、我々聞き手が音楽に触れる時、どうやって耳に届いているのだろう。
それはスピーカーを介しているのではないでしょうか。
ライブで歌い手から聞くこと、カラオケで誰かが歌っているものを聞くこと。
もちろんそういう機会もあるけれど、今の世の中では圧倒的にスマホやコンポ、イヤホンからの音です。
歌はおそらく人類が生まれて最初に生まれてきた表現で、そこから永遠と続けられてきたもの。
だからなのか、「歌」は人から人へ伝わるものである。
歌い手の口から発せられたものが、空気と振動させ、聞き手の耳へ伝えられるものだという前提が当然にされているように思います。
でも「イヤホン」の歌詞は
そうではない、と伝えています。
時も場所も「遠く」。
「遠く」の「想い」が「小さなイヤホン」から溢れるのは何時の何処でなのだろう。
もはや歌はダイレクトに人から人へ伝わるものではない。
今歌った「ボクの声」が、何時「君」に届くだろうか。
CDやサーバーに保管された0と1の信号が、銅線を通して、再び「この歌」が「形として」再生されるのは何時だろう。
その時に「この歌」から「想い」が届くだろうか。と、
物理としてそばにいることは出来ないけれど。
形になりますように
届けばいいのに
その時は笑顔に出来ますように
「作り手」と「聞き手」はどうあっても一方通行で、聞き手が無意識でも聴く姿勢にならないと気持ちが伝わらない。
そのことを痛烈に知っているからこそ、こんな歌詞なのでしょうか。
「どうか」と、ひたすらに何かに祈るような気持ちが込められていると感じます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?