緑玉で君を想い眠る㉘
3
翌日も守さんのお見舞いに来てみると、面会謝絶の札が掛けられていた。
あの後ボクが帰ってから彼は、お見舞いに来てくれた玉井家の人達と、一悶着あったらしい。「何で今そんなことを明かすんだ!」「何のために他人の結婚式に行かせたと思っているんだ!」「お前が娘を殺したんだ!」という声で騒ぎに気付いた担当医の久我先生が駆けつけると、見舞い客が守さんに掴みかかっていたらしい。昔空手をしていたという彼が掴みかかっていた人を引き離し、
「ここは病院です。患者を傷付けるためにいらしたのであれば、お帰りください」
という言葉で、なんとかその場は収まったそうだ。玉井家の人が退室した後で、
「守さんも、どんな行為であっても相手を傷付つけるとわかっていることは、退院後にしてください」
と付け加えたのだとか。
その言葉に不満そうに耳を傾けていた守さんを見て、担当医の判断で面会謝絶にしたそうだ。
正直ボクは、久我先生が苦手だ。表情が変わらないという点はボクや守さんと一緒なのだが、人間離れした美しい顔立ちをしていて、表情の無さと相まって逆に怖い。面会謝絶の理由を説明してくれている間も、多分怒っていた。あの綺麗な顔で怒りながら物を言われると、怖さが増す。新月のような漆黒の彼の目を、ボクはまともに見られなかった。
看護師の久我さん――旧姓は望月らしい――が、「せっかくお越しいただいたのに、申し訳ございません」と頭を下げた。彼女も人間離れした美しさがあるが、表情豊かで、特に無垢な笑顔が素敵な方だ。悪意とは無縁で穢れを知らなさそうな彼女は、純粋で儚そうに見えるのに、確かな輪郭と芯の強い意志を持っている。純白のユリのような人で、瞳は黒い満月のように綺麗だ。何も悪くない彼女が申し訳無さそうにしていて、こちらまで申し訳なくなった。
守さんも守さんだ。
何を言ったら、五日も意識が戻らなかった重症の患者なのに、掴みかかられるような事態になるのだろう。
いろいろなことが起こりすぎて、彼の中でも消化しきれていないのかもしれない。
結局叶羽さんは、入院中の守さんとは会話できず終いだった。
いや、彼女が自ら会話を避けた節もあるかもしれない。
退院の日、ボク達は花を買って病院に向かった。
守さんのイメージから選ぶと深い青……藍色がいいと思った。けれど、叶羽さんは黄色がいいと言うので、黄色の花で花束を作ってもらった。
病室に行くと、彼はもう身支度を済ませていて、サイドテーブルから何か小さな物を拾い取るような仕草をしていた。手に持っていた物が、光った気がする。それが何かわかる前に、鞄の中にしまわれた。
叶羽さんが無言で彼の前に近付き、花束を差し出した。少し乱暴な手つきだった。突き出した、という表現が正しかったかもしれない。
「退院おめでとう」
彼女のことだから、泣きながら「ありがとう」や「ごめんね」といった言葉を述べるかと思っていた。
しかし、泣いているどころか、泣きそうな気配すらない。
怒りとも哀しみとも取れる曖昧な眼差しで、彼を見つめていた。
「わざわざ、すまないね」
守さんも、彼女の体調を気遣ったりせず、それだけ言って花束を両手で受け取っていた。鞄を持っていない左手に抱えるように持ち直している。
「花、他の人に分けてもいいかい?」
「好きにして」
「……守さん、これからお仕事ですか?」
彼はラフな服装ではなく、黒のスーツを着ていた。
「仕事じゃないよ。辰哉……担当医に退院してからやれって言われたから、ずっとやらなくちゃいけなかったことを、これからするだけだよ」
花束を持つ左手をよく見ると、左手の薬指にあった物が無くなっていた。
その理由も、これから行く場所も、花を分ける相手も、ボクに聞く権利は無い。
叶羽さんが、変わらず淡々と告げる。
「シロノ化粧品の顧問弁護士は、このまま亘さんに引き継いでもらうから」
「えっ、そんなこと、いつ決めたんですか?」
彼女は仕事に徐々に復帰しつつあるが、まだフルタイムでは稼働していない。
「名刺もらってたから、それで連絡だけ取ってたの」
「わかった。こっちでも、引き継ぎしておくよ」
守さんは、そんなにあっさり受け入れてしまっていいのだろうか。理由も説明されずに担当を外されるだなんて。不当解雇も同然なのではないだろうか。
しかし、口を挟める空気でもない。
もっと、温かみのある会話になるものだと想像していたのに、冷ややかとまではいかないが、ドライな空気が漂っている。
「これで、霧島守と森城叶羽は、正真正銘他人同士です。貴方が私の何かを気にする必要が無ければ、責任を負う必要も、一切ありません。過去も未来も、何もかも。これからは、全部、貴方だけのものです」
そんな、絶縁するみたいな言い方、しなくてもいいのではないだろうか。
守さんは、黙ったまま叶羽さんを見つめた。
「そうだね。君ももう、隠れたりしなくていいみたいだし」
見ると叶羽さんは、そのままの表情で、静かに涙を流していた。
「じゃあ、お見舞いと退院祝い、ありがとう」
それだけ言って、歩き始めた。
「あのっ!」
そんな彼を、思わず引き留めてしまった。
だって、結婚式でボクを庇ってくれた彼と、重症を負った彼を心配する彼女の間には、確かに何かがあった。
結婚式をやり直すかどうかは決まっていないけれど、結婚するかどうかも、考え直した方がいいのではないだろうか。
ボクはこのまま、叶羽さんの隣に存ても、いいのだろうか。
だって二人は、他の誰かに無理矢理に人生を捻じ曲げられて別れただけなのだから。
それさえ無ければ、今、叶羽さんの隣に居るのは、その相手は――。
「何だい?」
守さんは振り向いたまま、ボクの言葉を待っている。言わなくては。二人のことを、話し合った方がいいのではないか、と。でもこの空気の中、どう伝えたらいいのだろう。言葉に窮していると、守さんが小さく溜め息を吐いた。
「春のユキは君だよ」
彼は一言だけ言って、ボクの言葉を待たずに、踵を返して去ってしまった。
「由貴」はボクだ。なぜ当然のことを言っているのだろう。
いや、イントネーション的に、今のは「雪」?
悩み考えていると、叶羽さんが手を握ってきた。
「帰ろう」
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