緑玉で君を想い眠る⑱
Sleeping in the forest
1
父も母も兄も、皆背が高かった。兄なんて、体格もよくて、精悍な顔つきで、とても同じ両親から生まれてきたとは思えなかった。
僕は、父方の祖母に似ているらしい。
父方の祖父母はもう他界していると聞いたから、代わりに写真を見せてもらった。写真を見てようやく、そう言われるのも納得した。小柄で、細くて、繊細な印象を受ける人だった。
女の子に生まれていたら、華奢で綺麗で、皆から羨望の眼差しで見られていただろう。
しかし男の子となれば、真逆の反応をされる。
母方――霧島の祖父からは残念そうな目で見られて、祖母からは可愛らしいと笑われたけれど、何を言われても表情を変えない僕は、やがて無愛想だと言われるようになった。
彼等の言葉に、子供ながらに愛想笑いをすればよかったのか、それとも感情のままに泣けばよかったのか、それがわからなかっただけだった。
けれど、どちらを選んでも、不正解だったと思う。
ならば、感情を悟られないように、隠すのが一番だと考えた結果だ。
僕をこんな風に生んだ両親を怨んではいないし、兄にお門違いの妬みを向けることも無かった。歳の離れた兄はむしろ、両親よりも居心地のいい距離感で接していたし、頼れる彼は憧れでもあった。僕と違って世辞や冗句を言える兄は嘘くさいところもあるけれど、それが彼なりの処世術で、傷付いた経験故の対処法なのだろうと感じて、親しみも湧いた。
勉強だけはできるそんな僕でも両親は褒めてくれたし、兄より成績がよくても彼は嫉妬せずに、同じように褒めてくれた。
家庭に不満なんてなかった。
周囲から見たら全然そんな表情に見えなかっただろうけど。
背が低いことも細いことも、遺伝子情報上の仕方がないことだと、僕自身は受け入れていた。
バランスよく食事を摂ってよく寝ても、もともとの細胞情報に仕組まれていることは、簡単には変わらない。
全員が全員同じ見た目ではないのと同じだ。
そうやって割りきっていた。
でも、小さくて、細くて、頼りない体は、女の子なら許されても、男の子だと、世間は許してくれなかった。
同学年の中で一番背が低くて、力が無くて、体力も無い僕を、同級生の男の子は「弱っちぃ」と笑う。それを見て、女の子達は笑う。
絵を描くのが得意な人が描いた絵に「スゲェ」と言ったり、足が速い人が毎回一等賞でゴールして「カッケェ」と言うのと同じ感覚で、それらの言葉は遣われた。
要は、クラスの中の、他愛のない、日常会話なのだ。
皆は事実に対する感想を述べているだけなんだ。だって、大人は誰も注意しない。駄目だと唱える同級生も勿論いない。ならばこれは、きっと悪いことではない。
僕だって、自分自身のことはそれなりに割りきって、受け入れているじゃないか。
周りも、同じように事実を受け入れているだけだ。
そうやって納得して、他は何も考えないようにした。
友達と外に出て歩いている時、ほどけた靴紐を結び直している僕に気付いているのかいないのか、皆は先に行ってしまう。他の誰かが靴紐を結び直していても、皆は先に行ってしまう。僕は立ち止まってその人を待っていても、靴紐を直した人は僕など目もくれず、皆のもとに走っていく。
それはきっと、その人が待っていてほしかったのが、僕じゃなかっただけ。
その人が待っていてほしかったのはきっと、クラスの人気者のあの人かもしれないし、サッカーが上手いというあの人かもしれないし、ムードメーカーのあの人かもしれない。
僕じゃなかった。ただ、それだけだ。
叶羽と出逢った時、彼女はまだ舌足らずな少女だった。
図工で使う、落ち葉やどんぐり広いをしていた時だ。
同じ班になっていた彼女はさっきまで集めていたススキを握り締めたまま座り込んで、地面を見つめてじっとしていた。他の皆は、集めた物を置いておくレジャーシートを囲って、あとどのくらい物を集めるかを相談していた。
さっきまで元気だったのに。体調でも悪くなったのだろうか。そう思って、彼女に近付いて、同じようにしてしゃがんだ。
彼女は苦悶の表情を浮かべてはいなかった。何かをじぃっと見ている。
「何してるんだい?」
聞いても、彼女は答えない。
同じ方向を見てみると、大きめの石があった。石を持って行きたかったのだろうか。彼女の体はまだ小さかった。石を持ち運べなくて、どうしようか悩んでいたのだろうか。どっちみち、こんな大きな石は図工では使えない。それを伝えて、手に持っているススキをシートに置きに行こう、と声を掛けようとした。
石から少し視線をずらすと、湿った土があった。そこに、何匹かのダンゴムシがうじゃうじゃと細い手足を動かして、土の上を這っている。
その光景に、一瞬ぎょっとした。
隣にいる彼女は、悲鳴を上げることなく、じっとしている。
……もしかして、観察していたのは石じゃなくて、ダンゴムシだったのだろうか。
「……虫、好きなの?」
反応が無い。夢中になると、周りが見えなくなるタイプなのかもしれない。
そう思って、彼女が見つめる先で、手をヒラヒラとしてみた。
ようやく僕に気付いたようで、ピクリと動いてこちらを見た。
「好きなの?」
指で示して訊ねた。僕の指の先に視線を戻した彼女は、
「んー」
「うん」と肯定するのではなく、考えるように唸った。それでも、視線はダンゴムシに向けたままだ。
「触ってみたいの?」
「それはダメ」
今度ははっきりと答えた。やっぱり、彼女も虫は嫌いなのだろうか。
「まえさわったら、まるまっちゃったから」
どうやら、嫌いというわけではないらしい。
「それは死んだりしたわけじゃなくて、身を守ろうとしただけだと思うよ」
「だからダメなの」
彼女の言いたいことがわからず、僕は黙ってしまった。それに何を思ったのか、彼女は説明を足していく。
「きゅうにさわられたら、こわいから。だから、さわっちゃだめなの」
そうか。彼女は人間に触られるダンゴムシの気持ちを考えて、眺めるだけに止まっていたのか。
「優しいんだね」
今度は、首を横に振られた。
「みんな、そんなことされたら、びっくりするよ」
それはもしかしたら、彼女がこれまで誰かからされて、「やめて」と言ってもやめてもらえなかったことなのではないだろうか。
そんなことを、深読みしてしまった。
「そうだね。びっくりしちゃうね」
土の上で何本もの足をうじゃうじゃと動かすダンゴムシに再び視線を向けた。黒い背中に、わずかに浮かぶ白い線が、動きに合わせて移動していく。触覚が微かに揺れている。……触りたいと言われても、きっと僕はその願いを叶えてあげられなかったなと思った。
「……石は君が動かしたの? そろそろ皆のところに戻る時間だから、石を戻して、皆のところに行くよ」
少し悲しそうな顔をして、ダンゴムシを見つめた。
「多分石の下が好きだから、きっとまだここにいるよ。昼休みにでも見に来たらいい」
彼女は動こうとしない。
「……僕も一緒に確認してあげるから」
正直、こんな光景、できるなら見たくない。だがこの言葉で、ようやく彼女は僕に視線を向けた。石をそっと元の場所に戻して立ち上がった。そして、僕を見て言った。
「だぁれ?」
……あらかじめクラスで割り振られた班番号をもとに集まって、最初に自己紹介はしていたはずなのに。まるで初めて見た人だというような顔をしていた。同じ班であることすら覚えていないのかもしれない。……そういえば、彼女は皆で自己紹介している間、ずっと足元を見つめていた。あの時は恥ずかしがり屋なのかと思っていたけれど、足元にあった何か別のものに気を取られていたのかもしれない。
「同じ班の、霧島守だよ」
「きぃしままもる」
「き・り・し・ま」
「き・い・し・ま!」
「……母音が同じ言葉が三つ並んでたら、言いにくいのかな……」
僕の呟きに、彼女は首を傾げた。
「……ちがうの?」
やがて、悲しそうな顔で、そう言った。
「違うというか……、うーん……。ラ行が言いにくいのかな? でも、『まもる』は発音できてたしな」
「まもる!」
「そうそう」
それを聞いて、彼女は嬉しそうに跳び跳ねた。
頭の上部にある、後ろ髪を残す形で作られた小さなツインテールが、ウサギの耳のように揺れた。
「髪、可愛いね」
それを聞いて、彼女はツインテールを……、否、ツインテールを結んでいたゴムを隠すように、手で覆った。ススキを落とさないように、それでもゴムを隠すように。
「大丈夫。触ったりしないよ」
どこかの国だったか宗教だったか、頭には神様が宿っていると考えられているから、安易に相手の頭に触れたりしてはいけないのだと聞いたことがある。
そういう信仰心は僕にはないけれど、どうなっているのかわからない髪型を勝手に触って崩したりしたくなかった。祖母も母も、髪は短いから、ほとんど結ばない。姉か妹がいたら、少しは仕組みがわかったのだろうか。
僕の言葉を聞いて安心したのか、彼女はゆっくりと手を離した。
「行くよ、森城さん」
彼女に手を差し出した。手を握っていないと、また途中で興味を示した何かに夢中になって、居場所がわからなくなる気がしたから。
「かなう」
「うん、森城叶羽さんだよね」
「かなう」
「知ってるよ、森城さん」
「かなう」
「……僕、何か間違ってるかい?」
「おとうさんもおかあさんも、かなうってよんでるから」
……僕は、彼女の親として認識されたのだろうか?
「僕は、君のお父さん?」
「んーん」
「お母さん?」
「んーん」
首を大きく横に振られた。そして、真顔で「なにいってるの?」とも言われた。
「他の人からは、何て呼ばれてるの?」
「かなうちゃんとか、もりしろとか」
「……僕、何か間違ってたかい?」
何について問われているのかわからなかったのか、彼女は首を傾げた。
「……叶羽?」
「ん!」
ようやく彼女は僕の手を握った。
この時に、僕は彼女に気に入られたらしく、それ以来顔を合わせる度に嬉しそうに僕のもとへやって来るようになった。頭の上部の小さなツインテールを揺らしながら。
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