【忌憚幻想譚5話】まつらるるは【ホラー短編集】
さて、自分がいつからここにいるのか。
それすらわからなかった。
そう。なんだかよくわからないが、どうやら自分は動けないようだ。
――視界は良好。
動けないままで見えるのは曇り空と葉っぱの落ちた木々たちと乾いた石畳の道。
いったいここはなんなのだ。
気温は感じない。
寒くもなければ暑くもない。
視界が高いことから、おそらく何かの台に乗せられているのではないかと思う。
音は風がさわさわ通り抜ける音だけ。
特にこれといった音はない。
――さて、どうしたものだろう。
ではまず、自分が目覚めたときのことを思い出そう。
目が覚めるのは、なんだか一瞬のことだったように思う。
いきなり何かがぱつんとはじけたように目が覚めた。そのはずだ。
自分は長い間眠っていたのか?
うむ、そんな気もしてくるものだ。
では、眠る前はどんなだったろうか。
…………。
思い出せない。
記憶喪失というやつか?
………………。
わからない。
では、自分は何だろうか?
視界から自分の体を見ることはできない。
どこを動かそうにもぴくりともしないようだ。
脚、手、それに尻尾があるような気がする。
自分は獣か。
ふむ、獣というのも悪くはない。
では、これからどうしたらいいのか。
人間が通ったら声をかけるべきか。
いや、待て。
獣の自分の声ははたして届くのか?
否。
無理だろう。
考えをめぐらせるうちに風がやんだ。
木々は寒そうだなと考えたが、自分が微塵も寒くないのだ。
木も大丈夫かもしれないではないかと思った。
雲は重く厚くなっていくように見え、どうやら雨が降るだろうと考えた。
できれば雨宿りでもしたいものだが、なにぶん動けない。
困ったものだ。
段々と暗く、灰色が重くのしかかってくる。
それでも自分は身じろぎヒトツせずにそこにいた。
――ぽつり。
風ではない音がした。
ぽつりぽつり。
鼻先にしずくが落ちた。
やはり雨が降ってきたのだ。
しかし自分は冷たくもなければ、やはり寒くもなかった。
すぐに雨は本降りになり、人も獣も通らぬまま、自分はぬれていった。
うむ、見えないがすでに体中がぬれただろう。
やがてそのまま夜がくる。
自分はいつまでこうしてればいいのだろう?
ぱつん、と何かがよぎる。
目覚めたときのような感覚であった。
うむ、どうやら前もここにいたようだ。
ここと同じ景色がよぎったからだ。
ふむ、もう少ししたら記憶というやつがよみがえるかもしれない。
ぱつん。
時折記憶が頭をよぎった。
自分は長い間ここにいるようだった。
だが、ここで何をしていたのか。
そこが大事なのだが、どうも肝心なところが思い出せない。
歯がゆい。
そうして夜が訪れる。
自分は何をすべきか、それが来るまでわからなかった。
そう。それはやってきた。
自分の右手、それはゆらりとゆらめいていた。
ぱつん。
その記憶。
自分はやっと自分の使命を思い出した。
その瞬間体が「自分」をとりもどしたのを感じた。
私はひらりと台から踊り、それに向かった。
さぁ来るがいい。
お前はここで私の餌食となるのだ!
それは白い。
ゆらゆらしているが人間に近い形を持っている。
私も白い。
尾が九本ある私は、視界の端に自分の尾がゆらめくのをとらえることができた。
私は神社に奉られた神であった。
魔が訪れるこの時期にだけ、目覚めるのだった。
ゆらりと震えたそれの喉元に牙をくいこませる。
人間や獣のそれではないぐにゃりとした感触が私は嫌いだ。
うせるがいい。
そのまま噛み切るように首を振ると、それはあっけなく消滅した。
――まったく。あいも変わらず不味いな。
そいつの味がするわけではなかったが、私はそいつが不味いと知っている。
さぁ、また眠ろうではないか。
私は再びヒラリと台に乗った。
すぐに眠気は訪れた。
――ふむ、次に起きた時には忘れていることがないといいが。
体はゆっくりと石に変わる。かわっていく。
おやすみ、と木々がささやくのを感じた。