【備忘録】ポーの作品から人間には誰しも「天邪鬼」な要素を持っていると教わった話。
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ポーの小説「黒猫」を解説した番組を視聴した後の感想を綴っています。
私個人の思ったことを、メモとして残しているものになります。
本作品には若干触れている程度で、読書記録ではないので、あらかじめご了承下さい。
番組を視聴した後で思ったことを忘れないように書いているため、まとまりのない文章になっている所もあるかと思いますが、ご了承ください。
興味ある人に読んでもらえれば幸いです。
NHKのEテレ「100分 de 名著」より。
2022年3月は、作家エドガー・アラン・ポーの作品を紹介している。
今回は第三週目「”狩るもの”と”狩られるもの”」で、「黒猫」を取り上げられている。
第一週目の感想は下記の通り。
第二週目の感想は下記の通り。
「黒猫」は大学生の時に初めて読んだ。
ゼミの先生からの課題で「黒猫」に触れる機会があった。
この作品を読んだ後、猫(特に黒猫)を見かけると本作品を思い出してしまうため怖いと感じるように(苦笑)
ホラー小説を自分から選んで読むことがないので、ゼミの先生のおかげで知ることが出来た。
字面だけで人を恐怖に陥れることの凄さを感じた作品だった。
強烈な印象を残していた作品だったが、時間が経つと読んでいたのに内容も曖昧に。
今回、番組の中で「黒猫」を朗読と映像で紹介されているのを目にし、だんだんと思い出せた。
番組の中で、特に印象的だったコメントを一部残しておく。
一つ目は、講師の巽孝之先生が「黒猫」の作品を通じて人間が持つ「天邪鬼」な部分を説明されている部分。
この「黒猫」の中ですごい興味深いのは、
いい人が表層で奥――何かその残虐性を持ってた人が多分闇に飲み込まれちゃうという。
闇の方が表層になってくと今度はその奥の方に押し込められてた、ある意味 正義感という。
ある意味まともな心が白状したくなっちゃうって。
この天邪鬼の… 天邪鬼の何ていうのかな。
逆転現象っていうか。
一筋縄じゃいかない天邪鬼。
※ネタバレになるため、上記のコメントの中で作品の場面に触れた箇所を一部削っています。
「やってはだめ」と禁止されたことをやってしまう。
「これは悪いことだ」と分かっていても、つい手を出してしまう。
大なり小なり、誰しもが経験したことがあるのではないだろうか。
ダイエット中にも関わらずドカ食いしてしまうとか。
自分のことをよく思われたくて、つい小さなウソを吐いてしまうとか。
また、自分が思っている「自分」と、周囲が思っている「自分」にズレが生じることもよくあることだと思う。
人前で弱音を見せることなく「いい人」ばかり振る舞っていると、本音を押し殺して我慢してしまう人は、誰しも経験があるはず。
自分の中で生じた「ズレ」を無視したり押し込めたりするほど、歪みが生じてしまう。
人に話を聞いてもらったり、ストレス発散できる趣味を持っていたり、適度に息抜きが出来る人なら、「自分の中で生じるズレ」ともうまく付き合っていけるのかもしれない。
けれど、自分の中で生じた「ズレ」や「歪み」を抑え込み続けていると、ある日、突然爆発してしまうことがある。
爆発したときの矛先が相手に向かう場合もあれば、自分に向かう場合もある。
人間が持ち合わせる「二面性」をこの作品を通してまざまざと見せつけられた。
私が恐怖したのは、そんな人間が隠し持つ邪悪な心だ。
「いい人」だといわれている人が、内に秘めている「残虐性」を恐ろしいと思った。
二つ目は、お笑いタレントの伊集院光さんが総括の場面でお話しされた部分。
今世の中が、SNSによって正しいことを求められすぎてるって思うんですね。
要するにあの人はこういういい面もあるけど、こういう悪い面もあるよね、みたいなことを全く許さないっていう。
タレントなんか分かりやすいんですけども、すごく演技がうまいんだけれども、人間的にこういうとこちょっと外れてるよね、みたいなの。
もちろん度合いはありますよ。
全部演技がうまいから何やってもいいなんて思いませんよ。
思いませんけれども、例えば発言一つにしても絶対外れちゃ駄目。
一回その勢いで外れた発言をしただけで抹殺されかねないっていう。
鬼の首を取ったようにというやつですね。
伊集院さんのコメントを聞いていた時、「黒猫」って100年以上も昔の作品だけど現代の闇みたいなものを描いているんだなと感じた。
悪いことをしたなら罰するべきだと思うし、間違っているなら正すことは必要だと思う。
その上で、SNSでツイートされた言葉やブログで書かれた記事を、お互いが監視し合って息苦しい雰囲気が流れている気がする。
「清廉潔白な人間像」を求め過ぎなのかもしれない。
だから一度も失敗は許されないと考えてしまうし、ちょっとでも道を外れてしまうと真っ逆さまに転落してしまうことが怖い。
失敗を許さない社会は、新しいことに挑戦する機会を潰しかねない。
「自分の中のモラル」「自分と同じ考え」から逸れた人は罰しなければならない、と思う人が増えてきている気がする。
時には「見ない」「スルーする」ことも必要なのではないだろうか、と個人的には思った。
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