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《自由》を売りにするまちと惹かれる若者たち ーーライプツィヒ市と益田市

 今回は、大谷悠さんの『都市の〈隙間〉からまちをつくろう: ドイツ・ライプツィヒに学ぶ空き家と空き地のつかいかた』(2020年、学芸出版社)を読んだ際に浮かんだことをまとめてみました。

《何もない自由さ》を売りにするまち

 この本を読んでいて、個人的にかなり刺さった箇所がいくつもありました。それは、この本に書いてあるドイツのライプツィヒ市の話が、私の好きなまちの1つである島根県益田市にとてもよく重なったからです。何度も「これって益田市の話だ」と思うと同時に、社会教育に通じる話がそこかしこにあり、ページをめくるごとに、これまでお世話になった社会教育士や社会教育主事の方々の顔が浮かんできました。

 例えば、1990年代に急激な人口減少に見舞われたライプツィヒ市が2010年代にはブームタウンとなり人口が急増した理由について、本の著者である大谷さんはライプツィヒ市の「自由な空間」にあると考え、ライプツィヒ市の都市再生・住宅整備局の局長カールステン・ゲルケンスさんのインタビュー発言にも「《ライプツィヒの自由》こそが、ライプツィヒの発展戦略」であると語っているところがあります。

“ライプツィヒの「群衆都市」化はなぜおきているのか。じつは、専門家たちは首を傾げています。これまで一般的には、給与水準など都市の雇用条件が向上した時に若者の人口が増えると思われてきました。<中略>
 ベルリンやミュンヘンといった大都市ではなく、雇用条件のさほど良くない地方都市に群がる人びと。都市の専門家にとっては、確かに不思議な現象かもしれません。しかし2011年にライプツィヒに引っ越してきた「若者」で「外国人」である典型的な「群衆」の1人であったわたしからすれば、その理由は明白です。わたしたちにとっての「魅力的な都市」の条件が変化したのです。つまり都市が若者や外国人を惹きつける要因が、一概に給与や雇用条件であるとはいえなくなったのです。
 これまで述べてきたとおり、同規模のほかの都市と比べて、ライプツィヒに豊富にあったものは、家賃や利用料を気にしないで使うことのできる「自由な空間」でした。<中略>都市人口の増減はさまざまな要因が絡みあっておこるので、それが唯一の要因だとはもちろんいえませんが、「自由な空間」はライプツィヒが「群衆都市」となったひとつの重要なファクターだったとわたしは考えています。“

大谷悠(2020)pp.67-69、太字は筆者

 “都市再生・住宅整備局の局長、カールステン・ゲルケンスさんは2013年のインタビューでこのように語っています。
「多様な空間があることで、より多様な人が都市に参加することができます。ある一部の不動産や投資家が市場をコントロールする一方、都市に参加できない人がいるということは、社会問題であるばかりではなく、都市のクリエイティビティにも支障をきたします。ライプツィヒ市の強みは《自由》です。どんな人でも、自分の夢を実現できる都市であるということです。この《ライプツィヒの自由》こそが、ライプツィヒの発展戦略なのです」“

大谷悠(2020)p.78、太字は筆者

 一方の島根県益田市は「過疎」という言葉が生まれたまちです。ライプツィヒ市と異なり、現在進行形で人口減少に直面しているのですが、益田市に行ってみると不思議なことに日本各地から益田市に移住した若者に出会います。
 益田市に移住した方たちにお話を聞くと、「益田市には何もないからこそ、自分たちでつくり出す楽しさやワクワクがある。」という声を聞きます。それは、空き家だらけになったライプツィヒの「自由な空間」に惹かれた大谷さんたちの姿と重なりました。

“東京にいた時は自分じゃなくても誰かがやってくれるだろうと思っていたことでも、ここでは自分がやらなければ誰もやらないぞということがたくさんあって。それ以外にも、都会に比べて娯楽スペースが少ないからこそ「週末はみんなでイベントをつくろう!」という風に「みんなでこのまちを盛り上げよう」という文化がとても素敵だと思いました。”

 そして、ライプツィヒの都市再生・住宅整備局長が「どんな人でも、自分の夢を実現できる都市」である《自由さ》をライプツィヒの強みとして挙げているのと同様に、益田市の行政サイドも「益田を全国の若者のチャレンジの場に」と語っています。以下は、益田市の若者移住のキーパーソンである、益田市教育委員会ひとづくり推進監の大畑さんのインタビュー記事です。

“移住者が「やりたいこと」を実現するうえで、誰が一番得をしているかというと益田市の市民なんですよ。移住者の「やりたいこと」に多くの市民が巻き込まれて、元気になります。そういう場面が益田市の中にはあふれています。そのため、実は移住者に定住してもらうということにこだわってもいないんです。益田市を全国の若者のチャレンジの場にしてもらいたいと思っています。
 何かやりたいことがあるから、益田に来るわけですよね。東京に行ったら誰も知らないような街にくるということは、「ここに行ったら私のやりたいことができる」と期待して来てくれていると思います。だとするならば、「やりたいことができる街」「チャレンジさせてくれる街」というのを売りにするべきだと思ったんです。若者はやりたいことをやりながら、スキルアップしていくのだと思いますが、スキルアップした先のゴールが益田でなくて良いと考えています。”

太字は筆者

ハウスハルテンと益田市の社会教育主事たち

 ここまで、ライプツィヒの自由な空間に惹かれた大谷さんや、何もないからこそワクワクすると語る益田市に移住された檜垣さんの言葉を紹介してきましたが、もちろん、ただ「何もないまち」というだけでは、若者が移住する理由にはなりません。「勝手にやっていいよ〜」という放任=自由ではないのです。移住者にとっては、自由に使える空間があったとしても、知らないまちでやりたいことをやるというのは、とてもハードルの高いことです。
 それでは、《何もない自由さ》をまちの売りにする上で必要となるものは何なのでしょうか?ライプツィヒや益田市の共通点から考えると、それは、移住者の「やりたいこと」の実現に向けて支援する体制や環境があることです。
 例えば、大谷さんがライプツィヒを選んだ理由として「ハウスハルテン」の存在を挙げているところがあります。

 “ライプツィヒを選んだ理由は、ほかでもなくハウスハルテンの存在です。<中略>
今にも崩れそうな廃工場や集合住宅が立ち並んでいて、これには正直びっくりしました。しかし同時に、「思い切り遊べそうなまちだ‼︎」とワクワクしました。これだけ空間が余っていれば、カネもコネもノウハウも無いわたしたちだってなにかできると直感したのです。
 ハウスハルテンの方々は、当時ドイツ語もままならないわたしの話を親身になって聞いてくれ、質問にも一つひとつ丁寧に答えてくれました。「こんな良い人たちがいるまちなら、なんとかなる」と、とても安心したのを覚えています。“

大谷悠(2020)pp.168-169、太字は筆者

 本の中で紹介されている「ハウスハルテン」とは、2014年に住民、建築家、学生、行政職員などによって立ち上げられた、空き家の管理に困っている所有者と空き家を利用したい利用者の仲介をするNPO法人です。ハウスハルテンの活動は空き家の仲介だけにとどまらず、古くなった空き家のリノベーションに必要となる工具の貸しだしやDIYのノウハウの伝授、経済的なアドバイスや空間づくりやネットワークづくりに関するアドバイスをしたりと、利用者を多面的にサポートしており、さまざまな活動を行う人びとの空間的プラットフォームを整備していると紹介されています。

 一方で、益田市には社会教育主事たち(協働のひとづくり推進課)がいます。社会教育主事の仕事は、下記の大畑さんのインタビュー記事にもあるように、《人と人をつなぐこと》です。

“移住者はやりたいことや思いを持って移住してきます。移住者のやりたいことを実現するうえで、そして、それを益田市の力に変えていくうえで1番大事なことは、その「やりたいこと」をどこに行ったらできるのか、ということです。移住者の方に、公民館だったり、中間支援組織であるユタラボだったり、社会教育課であったりに相談したら、「やりたいこと」を実現できるんだということを知っていただくのがまず第一だと思いますし、移住者の「やりたいこと」を必ず実現するようにサポートするというのが私たちのベースです。
 そしてプラスで、必ず「やりたいこと」をいろんな方たちとの協働になるようにつないであげる、マッチングやコーディネートをすることを意識しています。移住者個人の「やりたいこと」を、他のやりたい人や他の人の「やりたいこと」に上手につないで一緒になってやるという経験ができるようにします。そうしていくと、「やりたいこと」をやった結果、「もっとやりたい」とか「次はこんなことをしてみたい」といったやる気や、地域の人たちと仲良くなって別の活動にも参加するようになったとか、そういうことが生まれ、移住者個人の「やりたいこと」が次につながる活動になるんです。社会教育は人と人を丁寧につないでいくということにつきます。”

 そして、益田の社会教育主事たちの「人と人を丁寧につないでいく」ことが、東京で暮らす若者さえも惹きつける魅力につながっていることが益田の移住者の言葉からも伝わってきます。

“――なるほど。自分の人生を自分でつくるという言葉が身に沁みます。宇都さんが益田と出会うきっかけは何だったのでしょうか?
 昨年の11月に開催された、益田高校でのカタリ場に参加したことです。カタリバがもともと益田に入っていたので、ちょっと興味があってのぞいてみようという感じだったんですが、益田で強く感じたのは益田の人たちがすごくいきいきと暮らしているなということでした。
  仕事や家庭以外の居場所を持っている人が多かったり、地域に飛び出して何かをやっている子どもや大人がいたり。自分のやりたいことを形にして実行している人がいて、しかもそれをサポートする体制が整っている。頑張りたいという想いをもっている人をみんなが応援している環境があるということに感動しました。

太字は筆者

 そんな益田の状況を大畑さんは下記のように概括しています。

“社会教育の「丁寧に人と人をつなぐ」ことを通して、益田では子供とともに大人も活動的になってきました。さらに、そのように多世代が地域で活発に活動していることを魅力に感じる若者たちが、都会からどんどん入ってきて、「ひとづくりや地域づくりをやってみたい!」「こんなふうにいろんな世代が一緒になってやっている地域はないですから」と言ってくれるようになりました。
 そうすると、「人がつながっていろんな活動がどんどん生まれている」こと自体が、益田の魅力になる。特に、多世代がつながっていることについては、多くの人が「こんな事なかなか無いです」といいます。益田以外の多くの地域では、地域活動に参加する人ってほとんど同質なんですよ。益田は公民館が活動の拠点となり、異世代を結ぶから、活動は必ず異質です。異世代・異質が一緒になっている活動を公民館が作っているというのが、1つの価値として生まれたなと実感しています。”

太字は筆者

 公民館や社会教育主事といった社会教育の制度は日本独自のものですが、上記のようにライプツィヒと益田市の事例を並べてみると、ライプツィヒにも社会教育主事的な役割を担っている人たちがいる点など、国は違えど地域が面白くなるきっかけには共通するところがあると思いました。

メモ

 とりとめもないですが、他にも社会教育の観点から2点、備忘録的に書いておきます。

行政と住民をつなぐ存在

 大谷さんの本の中では「タカの視点」と「アリの視点」という表現が出てきます。

"このように、〈隙間〉への認識が「無くす」→「利用する」→「ウリにする」→「維持する」というように変化しました。行政の施策に住民が反発したり、住民の活動を行政が後追いしたりと両者の間で〈隙間〉の捉えられかたが何度もアップデートされます。
 目まぐるしく変わる状況のなかで、「タカの視点」をもつ行政はあくまで俯瞰的に情報を収集・発信し、政策を打つ。「アリの視点」をもつ住民たちは、現場であらたなアイデアを試行する。さらに行政がこれを汲み取って、スケールの大きい都市政策に反映させていく。両者は常に平和的な関係であるわけではなく、ときに鋭く対立します。しかし、都市の〈隙間〉を巡って、総合的な視点をもって政策を打つべき「タカの視点」の行政と、現場の課題に挑む「アリの視点」の住民の間に、対立と協調の両方を含むコミュニケーションが繰り返されたことこそが、ライプツィヒが30年間の予測不能な変化を乗り切れた要因なのです。"

大谷悠(2020)p.81

 本の中では、俯瞰的で計画的な「タカの視点」と俯瞰し未来を予測しようとする「タカの視点」からは見えない、地表で起きているさまざまなリアリティに直面する「アリの視点」について、前者が行政の視点、後者が現場のアクターの視点として表現されているのですが、この表現は社会教育主事という存在のユニークさを表すのにぴったりだと思いました。
 これまで、活躍されている社会教育主事の方々にお会いした際に、その地域の住民の方にその人について尋ねると、決まって出てきた言葉がありました。それは、「行政の人だけど、行政の人っぽくない。」という言葉です。素晴らしい社会教育主事は多くいらっしゃいますが、みなさん共通するのは、地域住民の声に寄り添い、地域に溶け込んでいる方ということでした。
 つまり、社会教育主事は「タカの視点」を持つ行政職員でありながらも、地域の住民とともにある日々の業務の中で「アリの視点」も同時に形成されているのだと思います。そして、そんな「タカの視点」も「アリの視点」も両方持つ社会教育主事だからこそ、行政と住民をつなぐ存在となり得るのだと思います。
 そのことがよく分かるのが杉並区の社会教育主事である中曽根さんについて、地域の住民の方が語っている言葉です。


https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/active/active-01.html
https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/active/active-01.html

日本の家 in Japan?

 本の中で紹介されているライプツィヒの「日本の家」は、自由に使える空間があり、多様な人が自らのやりたいことをしながら他者とつながるという点で、日本の公民館に近い存在なのではないかと思いました。
 公民館に対してそのような《自由》なイメージがない方もいるかもしれませんが、公民館は本来、住民が自分たちの暮らす地域の自治をしていくために集い、集う中で学びが生まれる施設です。公民館に対してなんとなく古くてお堅い施設というイメージを持っている方は、『公民館のしあさって』(公民館のしあさって出版委員会 2021年)という本をぜひ読んでみてください。

 また、公立の公民館以外にも、「私設公民館」を称する地域の人が集える施設がいくつもあります。日本各地の「まちの縁側」という取り組みも、昔の日本の家にあったご近所さんと団欒できるスペースである縁側のような場所を地域に作ろうというもので、公民館的な機能を果たしうるものだと思っています。

◾️〈まちの縁側〉とは何かが呼び起こされる場
縁側に、内と外がとける安らぎがあるように<まちの縁側>は、子どもと高齢者、生活者と専門家、市民と行政の出会いの場所
縁側が、休息にも応接にも仕事にも使われたように<まちの縁側>は、生活も福祉も教育も建築も景観も文化も混ざりあう場所
縁側で、お互いがうちとけて話しあえるように<まちの縁側>は、違う価値観や経験と持ち味をもった人々の対話の場所

http://www.engawa.ne.jp/hagukumi_admission.html

 社会教育士である栗栖さんも、島根県浜田市で「まちの縁側」を運営する一人です。

参考文献


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