《自由》を売りにするまちと惹かれる若者たち ーーライプツィヒ市と益田市
今回は、大谷悠さんの『都市の〈隙間〉からまちをつくろう: ドイツ・ライプツィヒに学ぶ空き家と空き地のつかいかた』(2020年、学芸出版社)を読んだ際に浮かんだことをまとめてみました。
《何もない自由さ》を売りにするまち
この本を読んでいて、個人的にかなり刺さった箇所がいくつもありました。それは、この本に書いてあるドイツのライプツィヒ市の話が、私の好きなまちの1つである島根県益田市にとてもよく重なったからです。何度も「これって益田市の話だ」と思うと同時に、社会教育に通じる話がそこかしこにあり、ページをめくるごとに、これまでお世話になった社会教育士や社会教育主事の方々の顔が浮かんできました。
例えば、1990年代に急激な人口減少に見舞われたライプツィヒ市が2010年代にはブームタウンとなり人口が急増した理由について、本の著者である大谷さんはライプツィヒ市の「自由な空間」にあると考え、ライプツィヒ市の都市再生・住宅整備局の局長カールステン・ゲルケンスさんのインタビュー発言にも「《ライプツィヒの自由》こそが、ライプツィヒの発展戦略」であると語っているところがあります。
一方の島根県益田市は「過疎」という言葉が生まれたまちです。ライプツィヒ市と異なり、現在進行形で人口減少に直面しているのですが、益田市に行ってみると不思議なことに日本各地から益田市に移住した若者に出会います。
益田市に移住した方たちにお話を聞くと、「益田市には何もないからこそ、自分たちでつくり出す楽しさやワクワクがある。」という声を聞きます。それは、空き家だらけになったライプツィヒの「自由な空間」に惹かれた大谷さんたちの姿と重なりました。
そして、ライプツィヒの都市再生・住宅整備局長が「どんな人でも、自分の夢を実現できる都市」である《自由さ》をライプツィヒの強みとして挙げているのと同様に、益田市の行政サイドも「益田を全国の若者のチャレンジの場に」と語っています。以下は、益田市の若者移住のキーパーソンである、益田市教育委員会ひとづくり推進監の大畑さんのインタビュー記事です。
ハウスハルテンと益田市の社会教育主事たち
ここまで、ライプツィヒの自由な空間に惹かれた大谷さんや、何もないからこそワクワクすると語る益田市に移住された檜垣さんの言葉を紹介してきましたが、もちろん、ただ「何もないまち」というだけでは、若者が移住する理由にはなりません。「勝手にやっていいよ〜」という放任=自由ではないのです。移住者にとっては、自由に使える空間があったとしても、知らないまちでやりたいことをやるというのは、とてもハードルの高いことです。
それでは、《何もない自由さ》をまちの売りにする上で必要となるものは何なのでしょうか?ライプツィヒや益田市の共通点から考えると、それは、移住者の「やりたいこと」の実現に向けて支援する体制や環境があることです。
例えば、大谷さんがライプツィヒを選んだ理由として「ハウスハルテン」の存在を挙げているところがあります。
本の中で紹介されている「ハウスハルテン」とは、2014年に住民、建築家、学生、行政職員などによって立ち上げられた、空き家の管理に困っている所有者と空き家を利用したい利用者の仲介をするNPO法人です。ハウスハルテンの活動は空き家の仲介だけにとどまらず、古くなった空き家のリノベーションに必要となる工具の貸しだしやDIYのノウハウの伝授、経済的なアドバイスや空間づくりやネットワークづくりに関するアドバイスをしたりと、利用者を多面的にサポートしており、さまざまな活動を行う人びとの空間的プラットフォームを整備していると紹介されています。
一方で、益田市には社会教育主事たち(協働のひとづくり推進課)がいます。社会教育主事の仕事は、下記の大畑さんのインタビュー記事にもあるように、《人と人をつなぐこと》です。
そして、益田の社会教育主事たちの「人と人を丁寧につないでいく」ことが、東京で暮らす若者さえも惹きつける魅力につながっていることが益田の移住者の言葉からも伝わってきます。
そんな益田の状況を大畑さんは下記のように概括しています。
公民館や社会教育主事といった社会教育の制度は日本独自のものですが、上記のようにライプツィヒと益田市の事例を並べてみると、ライプツィヒにも社会教育主事的な役割を担っている人たちがいる点など、国は違えど地域が面白くなるきっかけには共通するところがあると思いました。
メモ
とりとめもないですが、他にも社会教育の観点から2点、備忘録的に書いておきます。
行政と住民をつなぐ存在
大谷さんの本の中では「タカの視点」と「アリの視点」という表現が出てきます。
本の中では、俯瞰的で計画的な「タカの視点」と俯瞰し未来を予測しようとする「タカの視点」からは見えない、地表で起きているさまざまなリアリティに直面する「アリの視点」について、前者が行政の視点、後者が現場のアクターの視点として表現されているのですが、この表現は社会教育主事という存在のユニークさを表すのにぴったりだと思いました。
これまで、活躍されている社会教育主事の方々にお会いした際に、その地域の住民の方にその人について尋ねると、決まって出てきた言葉がありました。それは、「行政の人だけど、行政の人っぽくない。」という言葉です。素晴らしい社会教育主事は多くいらっしゃいますが、みなさん共通するのは、地域住民の声に寄り添い、地域に溶け込んでいる方ということでした。
つまり、社会教育主事は「タカの視点」を持つ行政職員でありながらも、地域の住民とともにある日々の業務の中で「アリの視点」も同時に形成されているのだと思います。そして、そんな「タカの視点」も「アリの視点」も両方持つ社会教育主事だからこそ、行政と住民をつなぐ存在となり得るのだと思います。
そのことがよく分かるのが杉並区の社会教育主事である中曽根さんについて、地域の住民の方が語っている言葉です。
日本の家 in Japan?
本の中で紹介されているライプツィヒの「日本の家」は、自由に使える空間があり、多様な人が自らのやりたいことをしながら他者とつながるという点で、日本の公民館に近い存在なのではないかと思いました。
公民館に対してそのような《自由》なイメージがない方もいるかもしれませんが、公民館は本来、住民が自分たちの暮らす地域の自治をしていくために集い、集う中で学びが生まれる施設です。公民館に対してなんとなく古くてお堅い施設というイメージを持っている方は、『公民館のしあさって』(公民館のしあさって出版委員会 2021年)という本をぜひ読んでみてください。
また、公立の公民館以外にも、「私設公民館」を称する地域の人が集える施設がいくつもあります。日本各地の「まちの縁側」という取り組みも、昔の日本の家にあったご近所さんと団欒できるスペースである縁側のような場所を地域に作ろうというもので、公民館的な機能を果たしうるものだと思っています。
社会教育士である栗栖さんも、島根県浜田市で「まちの縁側」を運営する一人です。
参考文献
ボーダーインク(2021年)日本にはコンビニと同じくらいの数の公民館がある !? エジプトにまで「進出」したそのユニークさと、那覇市繁多川公民館の活動 https://note.com/borderink/n/n4027d9900a85(参照日2022年5月15日)
一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー(2020年)ユタラボInterview⑥ 宇都 星奈さん https://note.com/yutalab_masuda/n/na8aa1d9102cd(参照日2022年5月15日)
一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー(2020年)ユタラボInterview ⑨ 檜垣 賢一さん https://note.com/yutalab_masuda/n/n6f4b2acb0258(参照日2022年5月15日)
公民館のしあさって出版委員会(2021年)『公民館のしあさって』(ボーダーインク)
文部科学省(2021年)社会教育士の活躍事例(教育行政/社会教育主事)https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/active/active-04.html(参照日2022年5月15日)
文部科学省(2021年)社会教育士の活躍事例(福祉)https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/active/active-01.html(参照日2022年5月15日)
文部科学省|社会教育士note(2021年)「過疎発祥の地」島根県益田市の社会教育課長が仕掛ける「選ばれる」まちづくり【移住支援×社会教育士】 前編 https://mext-shakaikyoiku-gov.note.jp/n/nff8732102615 (参照日2022年5月15日)
NPO法人まちの縁側育くみ隊(2005年)入会案内http://www.engawa.ne.jp/hagukumi_admission.html(参照日2022年5月15日)
大谷悠(2020年)『都市の〈隙間〉からまちをつくろう: ドイツ・ライプツィヒに学ぶ空き家と空き地のつかいかた』(学芸出版社)