夏祭りに行きたい
今日と明日の二日間、駅前で夏祭りがあるらしい。普段は小ぢんまりしたベッドタウン的な町が、こんなに人おったんかいレベルで大盛況だとか。ここ最近はどこそこでお目にかかる夏祭りのポスターを眺めながら、いいなぁ、夏祭り…と、その言葉の響きにうっとりしていた。
夏休みもまだまだ前半、五歳二歳の娘たちとの思い出作り、というかわたしの気分転換になるかもしれない。非日常を味わいたい。そんな都合の良いことを想像してみる。
いや待て、よく考えろ。
もう一人の自分が冷静に言う。娘たちを連れて夏祭り?連れて行く大人はわたし一人。楽しめると思うか?凄まじい人出、加えてこの狂気じみた暑さ。法外な値段の(言い方よ)縁日、屋台。子どもらにたかられ、長蛇の列に並び、買ったは良いも翌日には飽きられる。みんな汗だく、疲労困憊。機嫌最悪。お家に帰るまでが夏祭りですよどころか、帰ってからの後始末が本番ですよ。…楽しめると思うか?
まぁ、夏祭りに行く以上ある程度の出費は致し方ない。値段に文句垂れるのは野暮ってもんだ。そう割り切ったとて、おそらく、行かなかった後悔より「行かなくても良かったな」の気持ちが勝る。徒労に終わるのは、火を見るより明らか。そんな未来の自分が浮かぶ。
それでも諦めきれないもう一方の自分が、インスタで昨年の夏祭りの様子を検索する。
あぁ、ここに飛び込むのは、自殺行為だ…。潔く諦めがついた。
夏祭りじゃなくて、その辺のファミレスで涼みながら夕食済ますだけでも気分転換と思い出になるわ、うんうん…。
冷静な自分が判断を下し、ここ数日を過ごした。
夏祭り一日目の今日は、祭りの存在を知りもしない娘たちと、近所の児童館で遊んだ。帰り道、小学校高学年くらいの浴衣姿の女の子を三人見た。駅の方から祭囃子が聞こえてきて、町全体がお祭りの空気をまとい始めていた。
わたしは、あの空気を感じたいのだ。夏の夜、昼間の暑さを残した風が首元を抜けていくあの感じ、浴衣姿の人々、浮き足だった雰囲気、提灯のきらめき…。
でもね、今わたしが思い描いている夏祭りって、多分フィクションなのよ。温かい家族団欒の食卓とか、ホワイトクリスマスとか、彼とのロマンティックな初めての夜とか、その辺と同じラインなのよ。子ども連れの酷暑の夏祭りって、多分おもてたんのとちがーう、のよ。
我が人生の、夏祭りの思い出を振り返ってみる。胸がキュンとなる、気がする。
浴衣を亡き祖母に着付けてもらったり、浴衣姿のわたし可愛いでしょドヤの気分だったり、祭りの会場で友人に遭遇してはしゃいだり、美味しいのか美味しくないのか分からん焼きそば食べたり、あぁ若かりし日の思い出補正ばかりだ。夏の思い出は、どれも切なくて愛しい。
「子どもの頃、なぜか親父ひとりで、夏祭り連れて行かれたことがあったな」
以前、何かの話の流れで夫が言い出した。地元で有名な、大きな祭りらしい。
「人多すぎて何が何だか、まじでつまらんかったわ」
若かりし日の義父が、張り切って息子を夏祭りに連れて行ったものの想像を超える人出になす術もなく、子からすりゃただウンザリの思い出となったらしい。父の面目丸潰れ、想像したら笑える。けっこうじゃないか、それも素敵な父と息子の記憶だ。良い話を聞いた、と感じた。
うーん、それにしてもやっぱり、町の盛り上がりに対して蚊帳の外な感じが寂しい。夏祭りへの憧れは捨てきれない。来年は子ども達も少し成長してるから、行けるかなぁ。娘たちに浴衣とか甚平とか着せたいなぁ、わたしと行ってくれる夏祭りなんて小さいうちだけだよな〜と思いながら、プリキュアごっこをしている彼女らの笑い声とか泣き声とか聞いている。風呂入ろう。今夜はハンバーグ(チーズ入り)です。