子どもの嘘への適切な対処
クローゼットの扉に、ボールペンで歪なハートが描かれていた。
いつの間に。
最近、部屋の壁のいたる所がキャンバスと化している。わたし自身、ある程度分別のつく年齢になっても平気で落書きをするような子どもだったので気持ちは分かるが。
長女を呼びつける。
「ねぇ、これ長女ちゃんが描いた?」
5歳の画伯はむっつりした表情でしばしの沈黙、そして
「違う…おとうさん」
なるほどそう来たか。
「子どもは嘘をつく生き物だ」と、あらゆる育児本に書いてある。そして、どの本も口を揃えて「それを責めてはならぬ、ますます嘘をつくようになる」と言う。親がやりがちな、良くない対応だ、と。「嘘はダメだ」と正論をぶつけるべきではない、と。
母に叱られると思って、彼女なりに見つけた逃げ道がコレだ。嘘をつくこと。
「ふーん、そっか…お父さんがこのハート描いたのか」
「うん」
んな訳あるか。目は泳いでいるが、本人はすました顔をしているつもりだろう。口先が少しとがっている。
とりあえず、嘘そのものを責めるのはよくないんだよな、確か。あぁ、つい先週読んだ本にも
「子どもの嘘」について書いてあった…それも確かに、責めるな、と書いてあった。自分の感情に任せて叱るなわたし、育児のプロの教えをヒントにしろ。
「本当に、お父さんなのかな」
「うん」
長女の返答のテンポが速くなっている。嘘を重ねることに抵抗がなくなっている。
子どもは嘘をつく、責めてはならん。分かる、分かるよ…でも、今、長女はここにいない無実の人間(彼女の実父)に罪を負わせ、自分は平然としている。
えっ何が正解なの?「嘘は責めるな」、うん。育児本に全て正解を求めるつもりはないけど、今はまじで教えてくれ先生方。分かってる、嘘は責めないよ。えっでも、人に罪をなすりつけているよね…これ…どう答えるのが最良なのさ…。
自分の中で押し問答の末、騙されることにした。というか、娘自身の罪の意識からの自白を期待している。彼女の中のジャン・バルジャンよ、目覚めたまえ。
「そっか、お父さんなのか、じゃあ帰ってきたら、お父さんにダメだよって言わなきゃね」
「うん!」
おいおい何強気になってんだよ!むしろいけしゃあしゃあと、「こちら側」として父を叱ろうとしているスタンス。
「そっか…本当にお父さんなんだね?」
「うん」
嘘で塗り固められていく。わたしもしつこい。
また心の中で問答が始まる。
罪を憎んで人を憎まず、うん、でもさ、この「無実の人に自分の罪をなすりつける」って道徳的にどうなのよ?ここでわたしがこのまま騙されたふりをして、彼女はどう思うの?5歳はそれを成功体験としない?自分の罪と過去、他人(ひと)に負わせても生きるの?葬り去るつもりなの?(出典「レ・ミゼラブル」よりジャン・バルジャン「裁き」)
あぁ分からない、最善の対応が!くそぅこないだ読んだばかりの本のアレ!降りてこいよ!子どもの嘘のやつ!!なるほどって思ったから印象に残ってんじゃん、何のために読んだんだよこの使えない脳みそめ!!!
出かける予定があったので、ぬけぬけと支度を始める長女。今この子の心情やいかに。一緒に準備をしながらわたしは思う。
いいのかこれで?むずい、ムズすぎるよ子育て!!嘘は責めない、しつこいよそうだよ責めないんだよ!でもさ、でもさ…!!
悩みに悩み、わたしの出した答えは
「長女ちゃん、一回クローゼットのとこ戻ろう」
結局これだ。
怒られるのが嫌だったのは分かるけど、お父さんのせいにするのは良くない、と伝えた。とりあえず、責めないことを第一に、優しいトーンで諭すよう努めた。気分は聖母である。
最初はシラを切ろうとしていた長女も、神妙な顔ではあった。しかしわたしが「聖母トーン」で
「はいじゃあこの話はお終い!お出かけしよ」
と切り替えると、信じられないスピードと笑顔で玄関に駆けていった。先程までの表情はどこへ。
あぁ難しいよ子育て。何が正解なのか、そもそも正解なんてないよな。最善を考えねば、でも最後はわたし自身の心に従おう。てか何のために育児本読んでんのよ肝心な時に教えをくれよ。ほんっと使えない脳みそだわ、あー、夫が帰ってきたらこの事を報告しよう、嘘についてどう思うか、彼の意見も求めよう。どうしたもんか。
たかが落書きで、ほんとに… 。悶々としながら靴を履く。ドアに手をかけた瞬間、あれほど絞り出そうとしても出てこなかった文面が、脳内にサッと降りてきた。
「子どもは、当たり前に嘘をつきます。自然なことです。大切なのは、そんな事で周囲の大人がいちいち騒がない事です。」