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JBBコンサート2024in名古屋の感想及び人間観察の記録

遡ること4ヶ月以上前。

ミュージカルを中心に活躍する俳優、中川晃教さんのコンサートに行った。正確には、彼の所属するコーラスグループ「JBB」のコンサートだ。

ミュージカルをこよなく愛するわたしが、中でも最も敬愛する俳優が、中川晃教。(以下アッキー)

彼の瑞々しくも艶やかな歌声を聴くと、瞬時に恍惚とする。本能的な反応だ。ベルベットのような歌声、という表現がいつも浮かぶ。色なら真紅、花なら薔薇。わたしの目はハート(昭和的表現)。恥ずかしげもなく言ってしまうならば、とろける、という感覚。

個人的、長年不動の第一位の俳優だ。(誰にも聞かれないけど紹介すると、二位は岡幸二郎、三位は海宝直人。ジャンル問わず歌は圧倒的に男声がすき。)

そんなアッキーのコンサートがなんと、まさかの夫の休日に、名古屋で公演!!月曜日の夜!こんなことってある?普通、月曜って劇場休みだよ?これぞ天の思し召し、天啓ってやつ。

子ども達を夫に託し、ひとり最高の時間を過ごせるのだ。これ以上のご褒美があろうか。(いや、ない)

こちとらお願いする立場、その為、事前準備は抜かりない。まずは大前提として、快諾してくれる夫に感謝。快く送り出してくれるのを当たり前に思ってはならない。
家事は万全、【夕食後の特別デザート〜お母さんには内緒だよ〜】として「フルーチェ」まで準備。普段なかなか無い、「お父さんとの夜」が子どもたちとって特別なものとなるよう、わたしも考えてるんですよ。この辺は演出が大切。
さぁ家族よ、あたし抜きでパーっとやっちゃって!!今日は、自由だよ!

そうすりゃ今後たまに母がいなくても、夫も娘たちも上手くやれるようになるでしょフハハ、策士のわたしである。

浮き足立ちつつ、金山駅へ繰り出す。平日の夕方とあって駅はビジネスマンと学生で溢れている。ベビーカーや小さな子ども連れなんて全くおらず、みんなそれぞれ相応しい場所で生活してんだな、なんて当たり前のことをしみじみ思う。

会場である特殊陶業市民会館に到着。割と時間に余裕がある。

チラと物販に目をやると、ペンライトもパンフレットもそれぞれ値段がおよそ「3000円」、即却下、買える訳ねぇ。ひとつとしてグッズを買えないファンを許してくれ。ここに来るだけでも色んな意味で精一杯なのよ。

このペンラがなけりゃファンを語る資格無しだなんてんな訳。後ろ髪引かれつつお手洗いへ。鏡に向かい、口紅を塗り直す。これからアッキーと会えるのだ。こちらも最高の状況に仕立てねば。
ンッパ、と唇を馴染ませながら、えっそれまじで何の意味?と心内自分に突っ込む。何のため、そう己のためさ。いざ、客席へ。

客層はほぼ女性、年齢も、まぁ高め。平日の夜だし、そもそも舞台鑑賞という趣味のファン層は、そちらの方々が割合を占めるのが事実。

冒頭の通り、今回のコンサートはコーラスグループ「JBB」によるもの。ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」に出演したメンバー4人で構成されている。つまりこの作品の同窓会グループとも言える。メンバーは、中川晃教・藤岡正明・東啓介・大山真志。日本のミュージカル界を牽引する俳優たち。
ミュージカル鑑賞きっかけでファンになった方も多いはず。客席前方は特にガチ勢が多そうで、既にペンライト握って準備万端といった様子。くそ、あたしだってファンであることに変わらないんだぞ。

わたしの席はというと、前方だが上手寄り。しっかり左を向かないと舞台が見えない。すぐ左隣には、わたしより15は歳上と見られる女性がおひとりで座っている。ちゃんとペンライトを握りしめている。舞台を見るわたしの視界には、常に彼女が入ることとなる。そしてその先は通路を挟んで次の座席ブロックという状況。

そのまま延長線上の客席に目を見ると、これまた女性たちがどんどん席を埋めていく。おひとり様が多そう。座った途端、手鏡を取り出しグロスを塗る者、はたまたビューラーまで手にする者まで現れ、はてどこかで見た光景だな、何のため、そう己のためさ。(客席でそれをするのはいかがなものかと思うが)

人間観察を楽しみつつ、ついに開演。
一曲目は、Queen「ボヘミアン・ラプソディ」のカバー。
コーラスグループということで、基本的にセットリストは既存楽曲のオリジナル・アレンジカバー。それも日本最高峰の歌唱力を持つ方々だ。原曲に、新たな命を吹き込んでいく。

ひとたび歌声が響けば、もうそこは異空間。そもそも、音というのは空気の振動。この震えが直に聴き手に伝わるのだから、生の音楽とスピーカー等で聴くのとではまったく感覚が違うらしい。
つまり、生音とは全身で受け止めるものなのだ。
素晴らしい生の音楽を聴くたび、その音の震えは、目には見えない、けれど確かに存在する、固体と液体のあいだのようなものとなり、わたしはその中に全身が包み込まれていくかのような感覚になる。それが最高に気持ち良い。

一流の歌声、一流の演奏。4人の歌声が見事に融合、最高のハーモニーを奏でる。わたしはすっかりその素晴らしさに打ちのめされ、椅子に沈み込んでしまいそうな心地。最高、心震える。これ以上の言葉は、ない!

あぁアッキー、わたしのアッキー(違います)…。

彼のもつ、圧倒的「主役力」。小柄なのに、そこにいるだけで凄まじい存在感。矛盾するが、それでいてどこか慎ましさも感じる。そして、チャーミング!!あぁ、アッキー!

彼が大切にしているという「歌は語るように、セリフは歌うように」とは、こういうことか。発する一語が、歌う一音が、全てが「中川晃教」の体得した答えなのだと感じた。

生きていてよかった。わたしの目はハート(だから昭和感)、両手は祈りのポーズ。あなたと同じ時代に生まれて幸せです。

客席では例のペンライト達が仕事をしている。それに加え、曲の合間には「フー!」「ヒューヒュー!」と言った歓声が飛び交う。いわゆる、というやつ。いつから日本人はこんなに「フーフー」言えるようになったのか。会場の「フーフーおばちゃん」達のボルテージも上がっていく模様。この境地には、わたしはまだ行けていない。

リリースされたばかりで話題沸騰中の「アイドル」のカバーについて、編曲した藤岡さんは「リーヴァイ感あるよね」と仰っていたが、なるほど、納得のアレンジ。というか本当、本家のYOASOBIとは全く別物で荘厳な感じ。

セカオワ「Habit」のカバーでは、メンバーから「客席の皆さんも踊ってください!」と、サビ部分の振り付け、手の動きをレクチャー。簡単そうだが、初見で同時に曲を楽しむのはなかなか難しい。ノリ良く踊れたらいいのだが、ちゃんとお手本通りにと思うと、そうはいかない。

曲中は、先述の左隣の方が手をじたばた振り回し、必死に踊ろうとしているのが気になって仕方なかった。わたしも必死だったが。はたから見たら滑稽だろう、しかしこちとら大真面目である。

トークパートでは即興アラペラの披露もあり、これが凄かった。衝撃の歌唱力。まじで本当、歌、上手いんだな…とバカみたいな感想しか抱けなかった。一流を目の前に、パンピーの語彙力は為すすべなし、ただただひれ伏すのみ。因みにそのアカペラの歌詞は「味噌カツぅ…」「天むすぅ…」など名古屋飯をひたすら挙げていく、というもの。

さて、素敵な時間はあっという間。アンコールが終わった。会場の熱は冷めず、拍手は続く。しかしパラパラと席を立つ人も出てきた。
わたしは拍手を送り続けていた。すると、例の左隣の方がパッとこちらを振り返った。

「もうこれで、終わりですよね?」

突然のことに面食らいつつ
「た、たぶん…」とどうにか答えると、
「あの、遠方からなんで、もう、行かなきゃで。じゃ、お先に失礼します」

はぁ…と返事するのがやっとのわたしをよそに、彼女は立ち上がり、その場を去っていった。
一瞬の出来事に笑えた。いつの間にか、仲間意識を持って下さっていたらしい。愉快だ、Habitのダンス?効果かしら。

こうして振り返ると、4ヶ月以上経った今もあの、会場を包む空気、音楽が身体中に響く感覚、歌声の湖に全身が沈み込むようなあれ、周囲の高揚感が鮮明に思い出される。心震わす体験というのは、カメラに収める必要はないのだ。

ミュージカルを細く、長く愛すことおよそ30年。とりまく環境やファンの雰囲気、グッズの傾向など時代と共に移り変わるものもありつつ、それでも尚、根底にある、変わらぬ営みの素晴らしさよ。

かつては客の中でも若者気取りだったが、わたしもなかなか「お姉様方」の世代によってきたなぁ…。自分もいつか「フーフーおばちゃん」になるのかもしれん。

兎にも角にも中川晃教という国宝はじめ、JBBというグループだからこそ奏でられるコーラスに酔いしれた、最高の夜だった。言及出来ないが、メンバー皆さんそれぞれがもう、すんんんばらしい。

余談だが、終演後出口に向かうJBB勢の流れは殺伐とし、それぞれの家庭に一刻でも速く帰ろうと殆ど競歩かよレベルで突き進む女性たちで溢れ返った。先程までの恍惚の余韻を一瞬で捨て去る切り替えの速さは無粋な気するが、それが現実である。

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