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暁のラブレター

毎週、土日の朝を心待ちにしている。大好きなラジオ番組、「BigYup!」の放送があるのだ。

金曜日の夕方、「明日は土曜日?!やったジョージがある!」と週末のアニメを楽しみにする長女を見て、自分も同じだな、と笑えた。

先週は特に期待が高かった。事前の番組告知によると、ニューアルバム「残心残暑」のリリースにあわせ、aiko特集をするというのだ。

まさしく「恋愛ジャンキー」のティーンエイジャーだったわたしにとって、aikoは師であり友であり代弁者だった。ともすれば「自分自身」だとさえ感じていたのかもしれない。

キャッチーでポップ、それでいてどこか不安定、彼女にしか作れないメロディラインに乗せた恋心は、当時のわたしの心を掴んで離さなかった。彼女の歌に何度も泣かされ、救われた。

抽象と具体の絶妙なバランスを保つ歌詞が、淀みのない真っ直ぐな声で届けられる。「お喋り」の延長上にあるような声色、ブレスのタイミングや、伸びやかな歌声の最後にフラットがかる特徴が切実さを生む。爽やかさ可愛らしさと共に、妙な生々しさがある。どこを捉えても唯一無二だ。まじで天才だと思う。この音楽を、「じぶんごと」としてリアルタイムで聴けた少女は幸せ者だったと信じている。

今なお、わたしの喋り言葉の一人称は「あたし」なのだが、これは間違いなくaikoからインスパイアされている。

そんなaikoへの情熱も、大人になるにつれ薄れてしまい、いつまでも変わらず「恋に恋する」曲ばかりだな、とすら思ったこともある。要するに共感指数が下がったのだ。

気づけばわたしも愛だ恋だと言ってられない年齢になっていた。そんな中、昨年aikoがリリースした「ラジオ」。(正確にはこの曲が特典収録されたのはもっと前、配信が昨年)
深夜ラジオに思いを馳せるこの曲に、同じく孤独をラジオで埋めてきたわたしは深く感じ入った。またaikoを聴きたいと思った。

だからこそ、このBigYup!の放送が楽しみだった。そしてやはり、番組は最高だった。

新旧織り交ぜたオンエア楽曲。そしてトークは、先日テレビ放送された、情熱大陸のaiko回について。(この情熱大陸については、CBCラジオ「#むかいの喋りかた」でも言及していたし、かなり話題になったのだろうがわたしは全くのノーマークだった)

それから、西岡さんがzipfmナビゲーターとしてデビューしたまさにその日、初収録のためスタジオに行ったタイミングで、プロモーションのためaikoもそこに来ていたという話。どれも聴き入ってしまった。

中でも特に、アルバム「暁のラブレター」についての西岡さんご自身のエピソードが最も心に残った。このアルバムがリリースされた当時彼は12歳。クリスマスプレゼントにこの1枚を買ってもらったのだという!

寒い冬の日。部屋のストーブの熱で、窓には結露が。その熱で膨張したかのような空気の中、「西岡少年」はお母様のエクササイズ用エアロバイクをゆっくり漕ぎながら「暁のラブレター」に耳を傾けた…というエピソード。膨れ上がる室内の空気、エアロバイク、aikoの歌声。このアルバムは、西岡さんのそんな記憶と深く結びついている1枚なのだという。

多感な時期の少年が、aikoのアルバムをクリスマスプレゼントに、というのがまず衝撃だった。そして、むわっとする冬の部屋の空気、そこに「暁のラブレター」のモヤがかかったようなジャケットが連想されて、わたしは何だかジーンとしてしまった。

わたしは西岡さんと同世代だ。そして同じく、暁のラブレターを何百回と聴いてきた。
なけなしの小遣いでCDは買えないからレンタルして、ピンク色のMDに焼いた。手書きでラベルシールに曲目を書いた。青色のペンだ。そして毎日毎日聴いた。
あのアルバムには、思春期のわたしの深い共感や涙、胸のときめきといった思い出が詰まっている。

同じ音楽を同じ時期に聴いていた同世代の男の子がいたこと、また、それが全く違う記憶として、でも、共に大切な思い出として人生に刻まれていることに感銘を受けた。
音楽って凄いなぁ。月並みだがそう思う。

そして改めて、窓の結露とエアロバイクとaikoが結びつく、そんな西岡さん(もとい西岡少年)の感性は素敵だと感じた。余談だが、これがまた「エアロバイクガチ漕ぎ」となるとまた全く思い出の色合いが変わってしまうよなぁ、と想像するとちょっと笑える。

同じ音楽を愛する人がいたとしても、そこにまつわるそれぞれの記憶について語り合う機会なんて殆どない。特に音楽との思い出は、極めて内省的だ。だからこそ、こうやって思いがけないエピソードを知り、自分との対比ができたこと、その意外性に感銘を受けたのである。

日曜の早朝、胸がいっぱいになった。

その日は、車内で「暁のラブレター」のCDをかけた。昨年、閉店するTSUTAYAでレンタル落ちとして叩き売りされていたのをたまたま見つけ、感激しながら手に取ったものだ。やはりこのアルバムには何か縁がある。

久々に聴く一枚は、あまりに思い出を背負いすぎていて、もう、心臓が握り潰されそうな心地だった。

そして何やかんや言っておるが、ニューアルバムを聴く踏ん切りはまだつかない。思い入れがあり過ぎる分、更新できないというか。分かって頂けますか、この感覚。

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