桜ひとひら、夢うつつ。
三月の終わり、ピクニックに行った。それも、週に三回!桜、晴天、夫の連休、と条件が揃い踏みだったのだ。
朝、詰め終わった弁当に達成感を抱く。自分のこんな姿、数年前なら考えられなかったけれど今では当たり前、人は変わるもんだ。
三度それぞれ違う場所に向かったが、中でも家族四人で行った岡崎公園は素晴らしかった!
矢作川の支流のひとつである乙川をのぞむ堤防には、何と800本もの桜の大木!それも春爛漫、満開の姿である!
整備された河原には、お花見イベントとしてキッチンカーが立ち並ぶ。コロナ規制が緩和されたばかり、平日でも人出は多い。レジャーシートを敷いたり階段状の堤防に腰を下ろしたり、老若男女(そして手入れの行き届いたワンコたち)、それぞれの花見を楽しんでいる。
大荷物(含、歩かぬ娘たち)をキャリーワゴンを乗せた私たちも、手頃な場所を見つけレジャーシートを敷いた。簡易テーブルに弁当を広げると、長女が歓声を上げる。大したものではないが、やはりこの反応は嬉しい。
花見の空気に飲み込まれた夫は、いそいそとキッチンカーに向かった。残るオンナ三人はさっそく弁当に手を伸ばす。いつもはどこそこ動き回りこちらを落ち着かせない一歳の次女も、キョロキョロ辺りを見回しつつ、卵焼きを頬張る。普段と違う雰囲気を感じているらしい。
私もおにぎりを摘む。足を投げ出しひと息つくと、目の前には、穏やかに流るる川、それを挟んで満開の、桜、桜、桜!薄桃色の花びらは、遠目にも柔らかく、そよ風に優しく揺れている。川にかかる橋を、電車が呑気な音を立てて走っていく。ガタタンゴトトン。うららかな春の陽気、現時点では手のかからない娘たち、最高!!
並んでいたから時間がかかった、と戻ってきた夫の手には、ビール、焼きそば、フランクフルト。浮かれてんなぁ、とこちらも愉快な気持ちで、それぞれひとつ700円ほどという狂気じみたお花見価格も笑い飛ばした。まぁ夫の財布だし。
あまりの居心地の良さにこのまま動きたくなってきた大人たちと、そうはいかない、幼なご二人。
大荷物と共に、次は岡崎城下へ移動する。本日の目的のひとつである、大河ドラマ館へ向かうのだ。
わざわざ大きな声で言うことではないが、我が地元勢が「城」と聞き、思い浮かべるであろうイメージと岡崎城では、恐らく、かなりスケールが異なる。日本三大名城と言われる熊本城をデフォルトにしてはならんのだ。無論、岡崎城を否定する訳ではない。そんな訳で、私には「こんなもんか」感が拭えなかったのが、本音。
大河館は見応え抜群、しかし娘たちは、当然ながら早々に飽きてしまった。親の趣味に付き合ってくれて有難うね。私は二人を連れて足早に外に出た。最近大河ドラマに熱を上げている夫が、じっくり楽しめれば良い、いつも仕事ばかりで頑張ってくれてるし。なんとまぁわたしゃ良き妻だこと。
大いに自分を褒め、えげつない重量のワゴンを引いたり押したりえっさほいさ、凄まじい音を轟かせながら周辺をうろつく。それに乗せられた娘たちは、疲れ気味なのかおとなしいので助かる。とはいえ、城周りの砂利道はかなりしんどい。こんな風態、他にはいない、わたしゃ一体何をしているんだ、えっさほいさ。
ほどなくして、桜のトンネルに入った。呼吸を落ち着かせつつ、改めて周りを見渡す。そして、息をのむ。桜の大木が立ち並び、空も見えない。視界の全てが、春風にたゆたう桜色の世界。吸い込む空気ですら、うっすら色づいているのではと思えてくるほど。そこを行き交う人々の頬も心なしか紅潮して見える。まるで異世界に迷い込んだ気分。
夢見心地でワゴンを引いていると、心と体が切り離されたような感覚がした。美しさに心奪われる、というのはこういう事なのだろう。ふわふわとした気分で、酔っぱらった時に少しだけ似ている。
スマホが鳴り、現実に引き戻される。夫から、合流のための着信、どうやら存分に楽しめたらしい。それで十分だ、この重労働も報われる。
体は疲労感たっぷりだが、心は浮き足だったまま。今度は四人で桜のトンネルをくぐり、帰路へ向かう。
すれ違うひとびとの中、寄り添いながら歩くカップルも多い。この桜色の中で見る恋人は、きっといつもより愛しい存在なのだろうな、と想像された。ちょっとだけ、羨ましい。
ここ、すごくよかったね。家族みんなで来られたのも楽しかったけど、なんかさ、子どもたちが産まれる前に二人で来てみたかったなぁ、と思っちゃう私がいるよ。
そうこぼすと、夫は少し笑った。彼が何を感じたのか、私には分からない。キャリーワゴンを引く音が、私の声なんてかき消しそうなほどガラガラと響いていた。
子どもの頃、お家に帰るまでが遠足ですよと耳にタコができるほど言われてきたが、ピクニックに関してはお家に帰ってからが戦闘ですよ。疲れて不機嫌な子どもたちの相手をしつつ後片付けに追われる。連携プレーがたいへん重要だ。チーム名は、夫婦。
慌ただしく空の弁当箱を取り出す手が、ふと止まる。保冷バックの底には、ひとひらの桜。
あぁ、ついてきちゃったの。花びらをそっと摘む。透けてしまいそうなほど儚げで小さなそれは、あの幻想的な世界が確かに存在した証に思えた。この現実と、夢をつなぐ存在。
洗面所の夫に報告に行く。桜の花びらが、あの世界を脳裏に蘇らせてくれた、などと小さく興奮しながら思いつくままに語ると、彼は困ったように笑い、「よくわかんないな」と答えた。
自分の感情や感覚を伝えるには、言葉にするしかないのに、その唯一の手段がいかに難しいことか。
最後に、この時私の心に浮かんだ歌を。
季節も状況も違うが、通ずるものがあったのだ。私が必死になってダラダラと言葉を選んでいた心の全てを、この歌がまとめてくれている気がする。
思い出の ひとつのようで そのままにしておく
麦わら帽子のへこみ
俵万智