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ミニさくらとかなちゃんの歩み

私がNPO子どものまちの活動に参加し始めてから、まもなく20年が経ちます。
今30歳なので、人生の3分の2を子どものまちと生きていることになります。
これは我ながらちょっとすごいかも。

1番初めのきっかけは、2002年のミニさくらにクラスメイトに誘われたからでした。
当時、私は小学5年生が終わって6年生になる前の春休みでした。

おもしろそうなやつあるから行ってみようよ、そんな誘いだった気がします。

会場の中志津中央商店街では、「市民登録をする」子どもたちが長い行列を作っていました。そして、そのあとの「職安」も。

何のブースで働いたのか、細かいことはあまり覚えていません。
とにかく楽しかった、それだけを覚えています。

次の年、2003年にもう1度開催されることを何かで知って、事前にミニさくらの中身を考える「子どもスタッフ」になりました。
公民館に集まって「まち会議」をしました。
その当時、会議を率いていたお兄さん・お姉さんをカッコいい大人に感じていました。
そのお兄さん・お姉さんも当時は高校生、大学生くらいだったのですが。笑

カッコいい大人だと思っていた1人である、ますちゃんと、今一緒に理事として活動していること、すごいなーと思っています。

2003年のミニさくらは七井戸公園で7日間開催でした。当時の大人たちのことを思うと、本当に大変だっただろうと思います。
私は小学校の卒業式を終えた頃でした。まち会議に一緒に関わっていたクラスの男子がクラス全員に声をかけ、みんなが七井戸公園に終結したこと、本当におもしろかったです。

2004年、ミニさくらは1度お休みをしました。その時、開催当時主催だったNPO佐倉こどもステーション(略称:SKS)で市民ミュージカルの企画があり、誘われたので参加しました。
この時、ミュージカルに参加していなかったら関係が希薄になっていたでしょうから、やはりSKSの人の人とのつながりを保つワザはすごいなと感心します。

そして2005年、すっかりSKSの一員となった私はミニさくら再開と聞いて迷いなく子どもスタッフになりました。選んだり決めたりした記憶もなく、やることは当然のような感覚だったかもしれません。

その後、2006年も子どもスタッフとして参加。この年に、NPO子どものまちのメンバーの中からドイツに行くことになりました。
希望した子どもたちの中から、作文と面接での選考を経て、8月にミニミュンヘンに行きました。こども大使として派遣され、ミニミュンヘンとミニさくらは姉妹都市提携しました。
会が渡航費を出してくれました。
他にもたくさんお金も心配もかかったでしょうが、送り出してくれた親には感謝です。
当時、高校1年生でした。

記憶が曖昧ですが、この辺で会の理事になります。高校生理事、という名前がついていました。

高校、大学生の時に日本全国のこどものまちをたくさん訪問しました。
たくさんの人と出会い、言葉を交わしました。
大人の全国子どものまち主催者サミットに参加したり、子どものサミットのクロストークをファシリテートしたり、講演の依頼も沢山いただいて、多くの方に話を聞いてもらいました。

2011年、ミニさくら直前の震災の影響で様々な行事が中止になりました。そんな中、子どもたちはもちろん、親たちの閉塞感や不安に寄り添い、過剰に恐れず対策を取ろう、という趣旨のもと、名前を「きんきゅう対策かいぎ」に変え、こどものまちを実施しました。空き缶での炊飯をやってみたり、うどんではなくすいとんを作ったり。
地震が起きた時どうしたか?公園で遊んでいる時に大地震が起きたらどうする?等みんなで話をする機会をつくりました。普段は市長はワイシャツにネクタイをしたり、たすきをつけたりしますが、この年の市長はヘルメットにつなぎ姿でした。

2013年、大学を卒業し社会人になりました。
引き続き代表でした。

2015年、事務所取得のためクラウドファンディングをします。
そして、2016年、NPO法人格を取得し、理事長になりました。

2020年のミニさくらは延期になり、おばけ通路を実施。
2021年、初めてオンラインでミニさくらを開催しました。
そして、今日に至ります。

長い!!!
何日かに分けて記事を執筆していますが、今回すごい時間かかりました。

その都度、色んなことを感じて、考えて、想ってきたので、その話もまたいずれ。


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