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2024年、国民の意識に起きた政治革命

全く政治に関心がなかった。
石丸伸二に出会うまでは。

2024年春ごろから石丸伸二が気になりだした。議会や記者会見で無双する彼の話をラジオ感覚に聞き始めた。なるほどその正論には心地よいものを感じ、政治家の話を人生で一番聞いた一年になったんだろうと思う。

職場で石丸伸二の事を話したことがある。日本の政治と同じような状況に企業もまた陥っていて、共通点があったからだ。プロジェクトのマネジメントに不条理があったその状況で、みんなが悩んでいた。上司との人間関係や、他チームとの軋轢にだ。

そこで合理的かどうかを常に考えて行動するようにメンバーに諭した際に、このように伝えた。

「広島県の安芸高田市の市長の動画をぜひ見てみてほしい。本来やるべきことをやっていない議会に市長が説教をするんです。私たちもやるべきことをやろう。今、変な人間関係で悩んでる場合じゃないです。契約書に書いてある通りの仕事をする。お客さんはお客さんの仕事をする、それだけです。」

まさか政治家の言葉を仕事で引用するとは思わなかった。

東京を動かそう

都知事選に出るという話を聞いて、ソワソワしていた私は自由が丘の演説に赴いた。それがこちらの動画。

日本の政治を変えてくれ、東京都民に心からそう願った。

この時、私は石丸伸二を応援しようというよりも「東京を動かそう」という言葉が突き刺さった。この大きな人口と市場を抱えた「東京」を動かす…石丸伸二が言うならば、できるのではないか。

普通に考えて無理だ。しかし、見たこともない熱気のこの聴衆が東京の各地で集っている。私のように、もし「東京を動かそう」と思った大人が、本気でこの選挙に挑んだら?一人では無理でも、何千人の大人がこの選挙だけでも本気で挑んだら?

その3日後、私は石丸伸二の選挙事務所に赴いてボランティア活動を始めた。そこには5000人を超える仲間たちが集まっていた。話した人は数人だが、全員と話さなくても思いは理解し合っていた。本気でやってみよう、本気で「東京を動かそう」としている大人たちだった。

その思いに同じように応えてくれた東京都民は165万人を超えた。しかし、2位は本当に悔しかった。当選を信じて疑わなかったからだ。普通に考えて無理なのに、毎日泣き、毎日人の温かさに振れ、自分にもこんな勇気があったんだと気づかされた。

この経験をしたことで、私はもう政治に興味のない人間には戻れなくなったと思う。たった一度のきりの本気の選挙。政治家を応援するのではなく、有権者を動かす。それがどういうことなのか、草の根というがどれだけ地道な活動なのか、どれだけ莫大なエネルギーが必要なのかが分かった。


国政選挙

一方で国政選挙にはそれほど熱を上げることはなかった。自民党の総裁選挙もそれなりに盛り上がったが、どの候補も応援しようとは思えなかった。

これまで国会議員として何をしてきたのか全てを知るには情報が煩雑すぎるし、人として魅力を感じることはなかったからだ。

高市早苗や小泉進次郎、コバホークが人気だったように思えたが、どの候補もピンとこなかった。

誰が総理にふさわしいか?

そう聞かれたら、「今はいない」。そう答えるだろう。

理由を後付けするならば、これまで与党の政治家として仕事をしていた彼らの成果が今の日本そのものである。この状態を評価しろと言われて、OKという人がいるだろうか?例にもれず私もNOだ。

それ以上の理由はいらないのではないかと思う。


衆院選では国民民主党が躍進した。石丸伸二が最終日の演説でも登場したが、私は国民民主党を応援する気にはなれなかった。

政策で評価しろなどとXでは言われたが、石丸伸二に感じた「日本をひっくり返す可能性」を感じることはなかった。あの細かい政策パンフレットも全部読んだが、最も欲しかった言葉がなかった。むしろ維新の会の方が近しい考えがあるようだった。

それはReHacQでの対談を見ると分かる。維新の吉村代表と、国民の玉木雄一郎、それぞれとの石丸伸二との対談が公開されているが、後者はどこか噛み合わなかった。

その後の不倫騒ぎでも意志の弱さが分かった。議席を伸ばしたところで、引き締めるのではなく緩める。そういった驕りのような姿勢は、例えばこの先躍進を続けたとしても、総理にふさわしいかと言われれば私はNOというのではないだろうか。

徹底的な一貫性。石丸伸二にはそれがあるし、冷徹に自分の役割に徹することができる。それがまた彼のやさしさでもあることを知るのも簡単だ。分かりやすく言葉にしてくれているから。


兵庫県知事選挙

何が起きているのか。関心を寄せるべきなのか。

そう思い続けて静観し続けたのが兵庫県知事、斎藤元彦のスキャンダルだった。結果的にはスキャンダルの様相でマスコミが大げさに報じただけなのだが、当初は批判することも避けていた。

誹謗中傷の酷さに心を痛め、自身で事実関係を洗った結果から斎藤元彦を応援することに決めた。この選択は正しかった。

不信任決議案の全会可決からの失職、再選を目指した斎藤元彦の応援に際し、やはり意識したのは、政治家を応援することではなく、有権者である兵庫県民の応援をしなければならないということだった。

都知事選とそれは状況が大きく違うようで、実は似ていたのではないかと考えていた。

小池百合子都知事という存在は、匠に都民を味方につけていた。経済合理性に欠け、組織ファースト・利権ファーストの政治が行われているのではないかと疑われながらも、多くの東京都民はそれでも小池政権を選択した。

兵庫県においては、斎藤元彦によって県政が停滞しているという疑いが掛かっていたが、それは大きな改革の副作用だったことが分かっていた。組織や利権政治を廃し、真に県民に届く県政を行った結果の反発に覆われてしまっているように見えていた。

8年間の恩恵というもので有権者を覆った小池政権と、文書問題による疑惑というもので有権者を覆った兵庫県政のクーデター。解決方法が似ていたと感じたのは、結局のところ選挙によって「動かそう」という有権者の意思にゆだねるしかないということだ。

覆われた霧を払うためには、一票を積み重ねるしかない。この選挙で負けた時、日本の政治が終わってしまうという危機感を強く感じた。これ以上好きにさせてはいけない。都知事選の悔しさが私の心に火をつけた。

都知事選ではこの足で1900枚のポスティングを行って回ったが、兵庫は遠すぎた。SNSや動画で少しでも有権者に興味を持ってもらおうと斎藤知事の情報を拡散した。

勝手ながら兵庫の皆さんとは心が通じているように感じていた。SNSや動画のレスポンスを感じる度にそう思った。1投稿すれば、数百から数千、万バズも数回あった。

それだけ兵庫の皆さんが本気だということを遠くに居ながらにして感じたし、私は援護に徹するしかないと心に決めて発信活動を時間の許す限り行ったつもりだ。

どうにかして、投稿をみた兵庫のおひとりおひとりが勇気をもってほしい。普段は政治の話をしないけど、今回だけは斎藤知事の話をしてみようかな、そうやってひとりでも多く声をかけて一票に繋げてほしい。

家族や友達、親戚や職場の同僚に声をかける、話をする、それしかないと思っていた。SNS戦略などと言われていたが、些細なきっかけに過ぎない。

私がひるむべきではないとも思っていた。兵庫の皆さんに勇気を持ってもらうために、1投稿・1動画でも多く、話すきっかけになる斎藤知事の情報を発信しようと思っていた。

アンチの声はかすんで、ほぼ聞こえなかった。都知事選の時はあんなに気になっていたのに。ひるまずに発信を続けられたのは、信念をもって正義を貫くその姿勢を石丸伸二に教えてもらったからだと思う。

本当に信じていた。この日本の政治が今際の際にある。兵庫の地でこの選挙に負けたとき、日本の政治が死ぬ。

これはこの時noteにつづった文章だ。

“これは単なる選挙ではない。 私たちの民主主義が誹謗中傷の声や、マスメディアの偏向報道に、あるいは既得権益にこのまま屈してしまうのかどうか、日本の政治の在り方をも左右する、大きな意味を持つ選挙になる。”

2025年へ

見事、再選を果たした斎藤知事。兵庫の皆さんが、兵庫を動かした。兵庫の皆さんによって日本は救われた。

この兵庫県の文書問題を全国でメディアが面白おかしく報道したおかげで、奇しくも2024年は国民の政治意識に衝撃が走った一年になった。

自分で情報を取り、考え、そして選択する。日本国民は、ここまで腐敗が続いた政治においてもそれが出来るということが証明されたと言えるのではないだろうか。

1年の区切りにそこまで意味はないかもしれないが、政治を体験した貴重な一年になった。

振り返ってみても、政治家を応援したのではなかった。

夏は東京都民を応援した。
秋には兵庫県民を応援した。

これまで政治に興味を持たなかった、持てなかった人たち。政治なんてくだらない、怖い、ダサい、暗い、難しい、そういったイメージを持った人たち。そうした人たちに一人でも多く、あきらめず、次の世代に「私たちは闘ったよ」と胸を張って言えるようになろうと、声を上げ続けたいと思う。

もし、明日死ぬとしても、今年の選挙に悔いはない。

2025年もきっと私は、私の信念に従って仲間たちを応援するんだろうと思う。


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kanachi
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