石油ストーブと生協と父の胃癌告知
父の腹部大動脈瘤の手術を終えてから、約1週間、私は実家に残ることに決めた。
コロナ第6波の冬のこと。
実家の暖房は石油ストーブであった。
エアコンでも暖房機能はもちろんあるのだけど、私の母にはその概念がない。
長年、実家の暖房が石油ストーブなのは、煮込み料理やお湯を沸かしたりなど、何かと両親にとっては効率が良かったのだろう。
だが、ここで問題が・・・・
長年の一人暮らしにより、一人でなんでもできるようになってしまった私と違って、母は違う。
機械ものは父、掃除や洗濯、料理は母と役割がきっちり分担されて両親
はここまで生きてきたのだ。
そして、この私も石油ストーブの缶に灯油を入れたことがなった。母も同じ。
これは、怖い。物忘れが始まっている母だ。しかも父は急な入院だったので
きっちりとレクチャーできていない。
父の入院期間中に、父に聞いてみたが、口頭で灯油の入れ方を母に説明しただけだった。私にも教えてくれたけど、うん。それではできないね、きっと。
試しに、私自身が入れてみることにした。
私が実家暮らしをしていたのははるか昔のこと。
あの頃も石油ストーブだったけど、
灯油を入れるのはオレンジの手動式ではなかっただろうか・・・(おぼろげ)
今は電池式の自動タイプに我が家もなっていたのだが、満杯になると自動で止まってくれるのかどうかもわからん。いつ頃買ったものかもわからん灯油入れ機?で
溢れたらどうしようと思いながら、恐る恐るやってみると、なんとかできた。
自動停止装置が付いているのかどうか知らんけど。。。
(後日、父に確認すると自動で止まるとのこと。早く教えてよ、それ。)
そして、次の日、母にやり方を私からレクチャーする。
そう、いつまでも私は実家には残れないので、そして、父が胃癌となると、
今後のことも考えるて、母には自立してもらわなければならないのだ。
まるで、子供に教えるかの如く、母に教えていく。危なっかしい手つきだ。
しっかり、灯油缶の蓋を閉めること。灯油缶を石油ストーブまで持っていくときには必ず蓋を上にすること。雑巾を添えること。父から教わった方法を私から母に
教えていく。
うん。どう見ても危なっかしい。この1週間の間で反復練習が必要や。
合わせて、灯油の買い出し。
5年前に車の免許を返納してくれた父は、近所のガソリンスタンドまで台車を転がして、灯油を買いに行っていた。さすがに、これは母には難しい。体力的にも、購入の仕方の機械的にも。とりあえず、私が買い出し。私も初めてだ。
私は車の免許は持っていても、車を運転したことがない。だから、ガソリンスタンドを自分で利用するのも初めてだ。50前になって、初めてのこと、まだまだあるのね。
今後のためにも調べると、最近は高齢者世帯向けなのか、灯油を車で売りにきてるくれるらしい。週に1回、私の実家の地域にも来てくれる。少し割高だが、インターネットで1週間前に予約すれば、安くなる。しかし、両親共にインターネットはできない。今後の課題だ。
一方で母は昔から続けている生協の配送で、ご近所さんが集まる中、
父の病気のこと、娘が帰ってきてくれて助かったこと、自分(母)自身は病院から父の病気のこと説明があってもちっともわからないから、娘がきてくれてよかったーーー助かったーーと自慢話をしたらしい。
ご近所さんも、お姉ちゃん帰ってきてくれてよかったじゃないと言ってくれてると嬉しそうに話す。
おい。笑
昔だったら、本で調べたりしたよね、お母さん。。。
もっと父のこと心配したよね。。。
老いるとはこういうことなのだろうか。やはり少し認知症気味だからいろんなことが、めんどくさくなっているからなのか。。。。。
やはり、母の様子は以前とは違うのは確かであった。
父の方は、2日に1回お見舞いに行き、父の様子を確認することと、病院の方にはどうやって父に胃癌を告知するのかを確認していった。
父には、日常生活を送るためのリハビリをしてもらいながら、検査をし、この入院期間中に、胃癌を告知すると言う。
問題は胃癌のステージだ。病院の先生からは、ステージは3くらいだと思うと事前に聞いていた。ただ、このステージをはっきりさせるためにも、細かい検査をしていくと同時に、父にはもしかしたら胃癌かもとやんわりと伝えていくと言う。
腹部大動脈瘤の手術から、4日後。父をお見舞いに言った際に、父が言葉にした。
「どうも、胃潰瘍とかじゃなくて、お父さん胃癌かもしれんわ。」
ああ、やんわり告知がされたのだな。
父は落ち着いていたし、しっかりしていた。
「そうなん?」
初めて聞いたフリをする私。(結構辛い・・・)
「退院する時、またおかあさんとお前とで一緒に病院に来てくれ」
父はそう言った。
家族で胃癌の病状を、告知されるのを聞くのだなと私は思った。