(今年)はじめての物流業界に、1歩足を踏み入れて
今年1月に、倉庫での梱包の仕事を始めてから1年弱が経過した。時間と場所が丁度良いからという理由で、たまたまかけ持ちの接客の仕事が休止になる前に始め、こういう時期の下だったから運が良かったと思っている。(これはいつもわたしのお気に入りの考え方だ。)
ずっとしたい仕事かと訊かれれば疑問符が付くため、この度休業補償付きの接客の仕事に復帰することにし、退職を申し出たが少し寂しさもある。
初めて物流業界の仕事に少し足を踏み入れ、スマホ画面のワンクリックで物販ができ、それが定着しつつある時代、コロナ下でますますそれが加速しようとする時期に、ある種の社会見学の機会を得たとも言える。(もちろん単なる見学ではなくって、主体的に手を動かす仕事なのだけれど。)
そういう場所に足を踏み入れたことにより、今まで知らなかった社会の一部分に触れることになり、少しだけれど新しい情報にアクセスしてみたいという好奇心も生まれた。
物流業界の労働環境についての動画を見て、衝撃を受けることもあった。トラックの運転手さんが荷物を降ろす為、センターに到着してから自分の番が来るまでに、何時間も待機を強いられるということ。(自分に置き換えると、わたしにとってそれは拷問に近い。)それから、物流トラックの積載率が4割ということもショックだった。そのような効率の悪さを解消するために、物流業界も変わらなければということのようだ。どんどん増えて行く荷物に対して、物流業界は本当に人手不足だ。
(モビリティ変革番組 『モビエボ』第3回「物流」NewsPicksより)
それから、わたしの個人的な経験でいえば、多くのベトナム人留学生と一緒に働く初めての機会となった。荷物を箱に黙々と積める作業なので、多く言葉を交わす機会はなかったけれども、ひとつの作業が終わって畳み終わったパレットをお互いの位置から積みやすいように動かす時などは、少し会話をしているような気分になった。
わたしより長く働いている、わたしよりも年下の留学生が、次にやってくる新しい留学生たちに、母国語で親切に作業の仕方を教えているのを観るのは、なんだか微笑ましかった。
彼らを取りまとめる立場の日本の人たちは、彼らが日本語を学んでから来日していることでそれを和らげているとはいえ、言葉や文化の壁があるので、苦労することもあるのかもしれない。(実際にそれらしき場面を何度か目撃したこともあった。)
今回の職場では、挨拶や軽く話しかけることはあっても、わたしが積極的に彼らとの人間関係を構築することはなかったけれども、きっと(もちろん)できるだろうという柔らかな感覚を抱いた。これからやってくるであろう、様々な機会のうちにとっておくことになる。
それから、重い荷物を扱うこともあったので、身体的に男性的な特徴を持つ人たちの優しさに触れる機会も多かった。彼らの心にお礼を言いたい。何時間もそのような荷物を扱うため、時には身体的な苦痛を伴いながら(これに関しては身体的特徴が男性であろうと女性であろうと、どちらでもなかろうと関係ないのだけれども)、きっと相手の方がつらいのだろうと、手を貸してくれる人がいることを目撃できたことに感謝している。
或いは、これはその人の性分なのかもしれないけれど、その口先だけではない、継続的な優しさを目撃できたことをわたしはこの先の人生でも時々思い出すのではないかと思う。(文章に書くのは簡単だけれど、それを実際に行うのは難しいことだってあるのだから。)それはわたしにとってのギフトであり、財産にできるものなのだ。だから、どうもありがとう。